大食い魔女と呼ばれフードファイターとして活躍した故・菅原初代(すがわらはつよ)さん。
一般人だった彼女は「TVチャンピオン」や「元祖!大食い王決定戦」での活躍が記憶を通して一躍有名に。
その知名度を活かしてパン屋・カンパーニュを開店するも、突如病魔が襲いました。
今回は、カンパーニュ閉店の理由や有名人になる前の菅原さんについてお伝えします。
菅原初代のプロフィール
愛称:魔女
本名:菅原初代(すがわらはつよ)
生年月日:1963年(昭和38年)11月14日
身長:167cm
出身地:岩手県水沢市
最終学歴:山形県立米沢女子短期大学卒業
菅原初代のパン屋・カンパーニュ閉店の理由は“がん闘病”のため
菅原初代さんは、生前、岩手・盛岡でパン屋を経営していました。
フランス語で“田舎”を意味する「カンパーニュ」と名付けられたパン屋がオープンしたのは、2016年12月5日のこと。
自宅の一部を改装したささやかなパン屋でしたが、あの“大食い魔女”の店ということもあり注目を集めました。
口コミサイトでの評価も高く、実際に店を訪れた人たちからの評判も良かったようです。
そんな人気のパン屋・カンパーニュですが、2022年6月30日をもって突然閉店してしまいました。
菅原さんのSNSではそれ以前に閉店を示唆するような投稿もなく、数週間先の店舗の予定がいつも通り投稿されていたこともあり、突然の閉店に驚いた人も多いといいます。
インターネット上では閉店当時からその理由について憶測が飛び交っていたようですが、そればかりか、菅原さんが亡くなってからも無責任なデマが流されています。
実はさほど人気ではなく経営難?とか、摂食障害で作業できなかったのでは?などといったものなど、さまざまな憶測が見られますが、カンパーニュが閉店した本当の理由は、がんの闘病のためで間違いないと思われます。
菅原さんは、カンパーニュが閉店した2022年6月に大腸がんが見つかり闘病生活を余儀なくされました。
医師から告げられた診断結果は「大腸がん・ステージ4」という残酷なものだったのです。
この無慈悲な宣告をされた時の菅原さんの心中は、いったい、どのようなものだったのでしょうか。
当時、成人を目前に控えた19歳の息子はADHD(注意欠如・多動性障害)を抱えており、彼の将来が心配でならなかったことでしょう。
これからの仕事のことなど、冷静に考えることができたはずもありませんよね。
菅原さんが治療に専念するという選択をしたことは、当然のことだったのではないでしょうか。
また、カンパーニュが閉店する直前には臨時休業していたようですから、もしかすると、ちょうどその頃に通院・検査していたのかも知れません。
菅原さんのSNSでは、ちょうど同じ頃に「夏季休業のお知らせ」も投稿されています。
「閉店のお知らせ」が投稿された前日にも定休日や夏季休業、LINEでの予約について投稿されていますので、閉店直前まで平常運転だったことが窺えます。
「大腸がん・ステージ4」という宣告は、菅原さん自身にとっても予想だにしないものであり、突然のことだったのではないでしょうか。
カンパーニュ閉店から8か月余りが過ぎた2023年3月9日、菅原初代さんは59歳でこの世を去りました。
身近な人やご自身で“がん”という病気と闘った経験がある人ならば容易に想像できると思われますが、がんとの闘いというものは、決して生半可なものではありません。
がんの闘病生活というものは、患者本人はもちろん家族も含めて全身全霊で挑まなければならないものなのです。
たとえその結果がどうなろうとも。
3月9日深夜、菅原初代は永眠いたしました
長い間お付き合いいただきありがとうございました故人に変わりご報告させていただきました
— 魔女菅原 (@greengreen442) March 16, 2023
昔は公務員で殺風景だった
大食い大会で活躍し、魔女の呼び名が定着した菅原さん。
彼女のSNSのプロフィールに使われている色鮮やかなイラストも、どこか誇らしげです。
すっかり有名人になった菅原さんですが、昔は公務員だったそうで、福島県の司書として働いていたといいます。
5年ほど務めた司書の仕事を辞めてからは、メガネ店の販売員として働いたそうです。
菅原さんは自身のブログで、そんな一般人だった昔の自分について「殺風景だった」と振り返っています。
司書として働いていたにもかかわらず、休日の外出先と言えば、9割がた図書館だったのだとか。
一般の会社に勤めるようになってからも制服がある職場ばかりだったそうで、あまりファッションにお金や時間をかけることもなかったそうです。
たまに映画館や書店に行ったとしても目的以外の寄り道などはせず、まっすぐに帰宅するのが常だったといいます。
自動車の免許も30代半ばになってから取得したそうです。
菅原さんは、そんな20代~30代前半の自分について「無趣味で殺風景」としながらも、そのおかげで「すべてが新鮮」だと綴っています。
無趣味で殺風景な私の20代~30代前半(笑)。
ディズニーランドへ出かけたのも、ライオンキングを観に行ったのも30代後半になってからだということです。
若い頃に控えめな生活を送っていたぶん、有名になって歳を重ねてから経験するものが新鮮に感じられたということですね。
それにしても、司書という仕事をしていながら休日も図書館で過ごすとは……、活字に囲まれて過ごすのは心地よいものではありますが、菅原さんの本好きは筋金入りだったようです。
貧しかった生い立ち
菅原さんは1963年11月14日生まれで、故郷は岩手県水沢市です。
大工だった父親とパートをしていた母親、3歳年下の弟、母方の祖父母の6人家族で暮らしていたといいます。
菅原さんの実家は貧しかったそうで、味噌汁に入っていた出汁用の煮干しを普通の具だと思って食べていたそうです。
小学生だったときに友人の家へ泊まりに行ったところ、朝食に目玉焼きが出てきて驚いたといいます。
朝食におかずが出ること自体、菅原さんの実家では「ありえないこと」だったといいますから、当時の基準からしても貧しい幼少期を過ごしたようです。
家族全員、ご飯を茶碗ではなくどんぶりに装って食べていたとも。
菅原さんは、生前のインタビューで当時を振り返り「大会でいっぱい食べることができたのは、厳しかった親のおかげ」「何を食べても“美味しい!”と感じられた」と語っています。
フードファイター“大食い魔女・菅原”の原点は、幼少期の貧しさにあったのですね。
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