永田雅一(ながたまさいち)は日本の実業家で、大映のワンマン社長として数々の破天荒な伝説を残しています。
そんな通称・永田ラッパの家族や愛人についてなど、お伝えします。
永田雅一のプロフィール
愛称:永田ラッパ
本名:永田雅一
生年月日:1906年(明治39年)1月21日
没年月日:1985年(昭和60年)10月24日
出身地:京都府京都市中京区
最終学歴:東京経済大学卒業
永田雅一に妻はいない
永田雅一さんに妻がいたことはありません。
つまり、生涯結婚を一度もしたことはなく、1985年に79歳で他界するまで独身を貫きました。
どうして永田さんが生涯独身を貫いたかについては、「仕事が一番だったから」や「多くの女性と遊びたかったから」という噂があります。
また「生い立ちが関係している」といった理由も囁かれていますが、本当の理由は明らかになっていません。
永田さんの生い立ちは壮絶で、京都の染料と友禅の問屋の長男として生まれました。
永田さんが3歳の頃から、工場が火事になったり、従業員が金を持ち逃げしたりしたことで父親の事業が傾き、貧乏な暮らしを余儀なくされたそうです。
永田さんはなんとか永田家を持ち直させたいと考え、小学校卒業後すぐに上京し親戚を頼って働かせてほしいと頼み込みますが、中学卒業の学歴が必要だと反対されます。
そのため、大倉商業学校に入学しました。
ですが、学校を卒業する前に父親が47歳とい若さで急死してしまいます。
失意の永田さんは大倉商業に通うことをやめ、学業半ばで中退してしまいました。
その後、永田さんは社会主義の思想に傾倒し、京都のヤクザ組織にも入っていた時があったそうです。
@romantica_ でもオタク的興味を別にしても、「ラッパと呼ばれた男」は面白かったです。若いときは京都のやくざ組織に所属し、1920年代から入った映画界では陰に陽に活躍して頭角を現し、戦後は大映経営の傍ら政界のフィクサーとして暗躍する永田雅一。
— steward (@stewardtokyo) June 6, 2013
そんな永田さんを母親は嘆き、父の位牌の前で永田家を追放されてしまいました。
このように、永田さんは両親との良い思い出が全くなく、家庭を持つことの意味を見いだせていなかったのではないでしょうか。
また、自分が結婚しても同じことを繰り返してしまう、という懸念があったのかもしれません。
一方、女性遊びは派手にしていたようで、若い女優などにも手を出していたそうです。
破天荒に生きていた永田さんですので、「結婚」という制度に縛られたくなかった、という一面も結婚しなかった理由としてはあったのかもしれませんね。
子供は2人、孫が4人いる
永田雅一さんは生涯一度も結婚しませんでしたが、実は娘さんと息子さんがいらっしゃいます。
娘は「永田雅子」さんですが永田さんとの血の繋がりはなく、養女でした。
いつごろ、何が目的で養女を迎えたのかは明らかになっていません。
雅子さんは、1962年に8代目市川雷蔵さんと結婚されました。
【新入荷紹介】#市川雷蔵 関連商品 ◆「#銀杯」 ※昭和37年、大映社長の永田雅一の養女・永田雅子と結婚したときの引出物。 「寿」の下に二人の名前があります。 #歌舞伎 #kabuki #古本 pic.twitter.com/7UtGXD7W6u
— 木挽堂書店 (@kobikidoshoten) June 5, 2018
スター俳優と大映社長の娘との結婚という事で、世間では大きな話題になりました。
永田雅一さんの息子さんは「永田秀雅」さんで、父親と同じく多くの大映映画の制作に携わりました。
また父親が「永田ラッパ」と呼ばれているのをもじって「ジュニアラッパ」とも呼ばれていました。
1957年の「朝の口笛」に大映のジュニアラッパこと永田秀雅(当時、東京撮影所所長)がスケート場のシーンでエキストラ出演している。 pic.twitter.com/3v1zMihTvu
— hayamin (@hayamin_tw) January 27, 2019
秀雅さんも優秀な映画プロデューサーで、1968年に公開された大ヒット特撮映画シリーズ「ガメラ」の「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」の主題歌である「ガメラマーチ」と「ぼくらガメラ」の作詞を担当しました。
秀雅さんはガメラを子供たちの友達にしたいと考えながら作詞をしたそうです。
永田雅一さんには、わかっているだけでも4人のお孫さんがいました。
その内の1人は秀雅さんの息子さんで「永田守」さんです。
守さんは1978年にTBSに入社し、テレビやラジオ番組の制作の仕事をしていました。
人気深夜ラジオ番組「伊集院光 深夜の馬鹿力」を始めるために伊集院さんを口説き落としたのは守さんだったそうです。
2024年現在は、TCエンタテインメント株式会社の取締役相談役を務めておられます。
永田さんだけではなく、お子さんやお孫さんらも日本のエンターテインメント業界にはなくてはならない方になられているようですね。
愛人は京マチ子だった?
永田雅一さんの有名な名言で「女優を愛人にしたんじゃない。愛人を女優にしたのだ」というのがあります。
昔、映画会社大映の名物社長である永田雅一が、
「女優を愛人にした」
と批判された時、
「それは違う。愛人を女優にしたのだ、何が悪いか」
と名言(迷言)を残したが、
さしずめ、
「愛人をアドバイザーにして、何が悪いか」
ということですかな。行け行け山尾ラッパ!
— キルゴアさん (@KilkilGoregore) November 13, 2017
「愛人」というと不倫をしているようですが、永田さんは結婚をされたことはなかったので単純に「恋人」という間柄だったでしょう。
ですがそこをわざわざ「愛人」とスキャンダラスな表現にしているのが、永田さんらしいと言えると思います。
そのような感じで、多くの若手女優と浮名を流した永田さんですが、大女優の京マチ子さんとも関係があったと言われています。
マチ子さんも生涯独身を貫いた方なので、一時永田さんとマチ子さんは恋人として時を一緒に過ごした仲だったのでしょう。
もしかしたら永田さんが自分の名前を使ってでも売り出したいほどの女優が、マチ子さんだったのかもしれませんね。
それほど女優としての才能に惚れ込んでいたのかもしれません。
関連記事
山本富士子の息子・長男は一般人。娘なく孫2人、実家は裕福。夫は山本丈晴&家族構成5人
京マチ子の性格は純朴。独身で結婚はしていない。家族は両親のみ&ハーフはデマ
若尾文子、黒川紀章との再婚と子供。菅原謙二に当てつけ結婚の噂とは
長谷川一夫の息子は俳優、娘と孫が女優。妻は2人&家族に芸能人が多い
市川雷蔵の息子が喫茶店を経営。娘は?子供時代の苦労&結婚した嫁とは