山本富士子の息子・長男は一般人。娘なく孫2人、実家は裕福。夫は山本丈晴&家族構成5人

第1回ミス日本でグランプリに輝いた女優・山本富士子(やまもとふじこ)さん。

その後は女優として活躍されました。

そんな昭和の大女優の長男ら子供たちの話や夫、実家の家族らの情報をまとめてご紹介します。

山本富士子のプロフィール

愛称:お富士さん

本名:山本富士子

生年月日:1931年(昭和6年)12月11日

身長:159cm

出身地:大阪府大阪市西区立売堀

最終学歴:京都府立第一高女卒業

所属事務所:フリー

山本富士子の息子・長男は誰、美しい遺伝子を引き継いだ娘はいるの

山本富士子さんには夫の跡を継いでいる長男がいます。

彼女は1962年に結婚すると1968年には長男を出産します。

山本さんが女優、旦那さんもミュージシャンということで息子さんも芸能界にいるのではと考える方もいるかもしれません。


しかし長男の山本茂晴さんに関して調べてもほとんど情報がないため、どうやら過去にも芸能界で活躍したことはないと言えそうです。

そんな茂晴さんがどんなお仕事をしているのかというと、株式会社TVCの代表取締役ということが分かりました。

TVCとは広告と映像制作をする会社です。

TVCはテレビCMなどを作っているので、芸能界と全く縁がない仕事をしているわけでもないのですね。

実はこの会社父・丈晴さんが創業した会社。

長男は演劇や音楽の道には進まなかったようですが、会社経営という部分ではしっかり父の跡を継いでいたのです。

初代ミス日本の美貌を受け継いだ娘がいるのか

初代ミス日本で、昭和を代表する美人女優・山本富士子さんに娘がいればさぞお美しいことでしょう。

芸能界が放っておくはずがないと思い調べてみました。

しかし、山本さんが出産したのは長男1人だけのようで女の子はいないようです。

長男出産の時点で山本さんは既に37歳と当時にしてはかなり高齢出産だったようなので、1人だけを産んで大切に育てることを選んだのかもしれませんね。

山本富士子の孫は何人いるの

子どもは長男1人だけですが、孫は1男、1女がいるようです。

2015年にテレビ番組に出演された際に「上が高3、下が中3」と明かしていました。

2023年現在ではそれぞれ26歳、23歳くらいになっているはずですが、一般の方のようで情報は出てきません。

2人の父親が親の跡を継いで会社の代表取締役を務めているので、将来的にはどちらかがその会社を継ぐ可能性はありますね。


ちなみに富士子さんは孫との間にあるユニークなルールを定めているようです。

そのルールとは彼らに自分の事を「おばあちゃん」と呼ばせないというもの。

孫たちには自身を「大(おお)ママ」と呼ばせているようです。

年齢を重ねてもエレガントな美人女優、気持ちから若さと美しさを保っているようですね。

山本富士子の実家は有名な金持ち

山本富士子さんは大阪府大阪市の西区立売堀が出生地となっており、実家は南大阪では名の知られる素封家でした。

彼女は大きな鉄工所の経営者である父と船場の綿花問屋「山重」主人の長女である母・山本勝代さんとの間に誕生、幼い頃から踊りのお稽古などをして育ちます。

山本富士子さんは外見だけでなく振る舞いや話し方もエレガントな印象ですが、やはり育ちがいいようですね。

しかし両親は富士子さんが9つの頃離婚、母親は娘2人とともに実家へ帰ります。

大阪で富士子さんらが暮らしていた自宅は当時では珍しい西洋風の建築でした。

それが理由で戦後は米軍用の住まいとして進駐軍に接収されてしまったため、一家は京都に引っ越したようです。

現在では富士子さんらが京都で暮らした家は残っていませんが、家があった場所には石碑が埋め込まれています。

「京都寺町三条下ル」が京都時代の山本家の住所。

寺町三条といえば京都市役所からも近い京都市の中心部付近ですが、家の跡を形にして残してもらえるなんてさすがは名家出身の大スターですね。

2018年の山本富士子さん。


今でも変わらない品の良さは、いい家でしっかり躾られて育った女性ならではといったところでしょうか。

山本富士子の夫はミュージシャンの山本丈晴

1962年にはギタリストで作曲家の山本丈晴(旧姓:古屋、古賀丈晴)さんと結婚します。

夫は美空ひばりさんの『芸道一代』などで知られ、2006年には日本レコード大賞功労賞を授与された有名な方です。

ところで女優の山本富士子さんとミュージシャンの丈晴さんはどこで知り合ったのかが気になりますよね。

2人は富士子さんが歌のレッスンのため訪れた古賀政男さん宅で出会ったのが最初のようです。

1956年、昭和を代表する作曲家・ギタリストである古賀政男さん宅へ歌を習いに行った富士子さん、そこで古賀門下の古賀丈晴さんと知り合います。

2人は結婚を望みましたが、それぞれの親は両家の跡継ぎ問題などを理由にこの結婚に大反対だったのだとか。

実は当時丈晴さんは結核を患っていたので、これも結婚を認めてもらえなかった理由の1つだったと見られます。

丈晴さんは富士子さんと結婚すべく手術を決意、オペの前日に「手術が成功したら結婚しよう」とプロポーズしたのだとか。

まるで映画のワンシーンのようなお話ですね。

その後無事手術は成功、2人は1962年に晴れて夫婦となりました。

富士子さんの実家である山本家には娘2人しかおらず、姉は既に嫁いで家を出ていたため丈晴さんは婿養子となり、以後は山本姓を名乗ることに。

ちなみに彼はミュージシャンとしてだけではなく、ビデオ制作会社を設立・古賀政男音楽文化振興財団理事長就任など多方面で活躍されました。

そんな最愛の夫は2011年、肺炎により都内の病院で息を引き取りました。


しかし夫の死後も山本富士子さんは彼の事を心から愛しているようで、とある月刊誌に寄せた文章には「生まれ変わっても、また亡くなった主人と一緒になりたい」との想いが綴られています。

また2017年のある対談では次のようなエピソードを明かしていました。

なんでも文章を書くのが好きな山本さん、夫が他界した後にも変わらず続けている習慣があるのだとか。

実は、6年前に亡くなった夫に宛てて、今でもメッセージカードを書いています。結婚して以来、お誕生日、結婚記念日、バレンタインなど、節目節目には必ずカードを送りあっていましたので、今でも同じように続けて書いています。

山本富士子さんは心から丈晴さんを慕っていて、まだまだ彼に話したいことがたくさんあるのでしょう。

長年寄り添った後にもこんな気持ちでいられるなんてとても素敵なご夫婦ですよね。

山本富士子の家族構成は

山本富士子さんが生まれた家は両親、兄1人、姉1人の5人家族だったようです。

しかし彼女が9歳の頃に親が離婚、その後は女3人で母親の実家に身を寄せます。

1948年には母親が再婚、世間では親の再婚相手と子供たちがうまくいかないこともありますが、山本家に関してはそういう問題は起きなかったようで姉妹は新しい父にもよくなついたといいます。

共に育ったお姉様も美しい方で、1949年には地元新聞主催のコンクールでミス京都に選ばれたほどの美貌の持ち主。

さすが初代ミス日本の姉ですね、きっと地元では評判の美人姉妹だったに違いありません。

ちなみにミス日本に輝いた後、富士子さんの元には当然映画界からのスカウトが殺到しました。

しかし彼女はもともと女優になる気がなかったため迷っていたようです。

そんな中姉に「これからの時代は女性も仕事を持つべき」と諭され、ついに女優になることを決心したそう。

当時にしてはモダンな考えを持った姉のおかげで女優・山本富士子が誕生したと言っても過言ではありませんね。


その後は1962年に古賀丈晴さんと結婚、68年に長男が生まれて3人家族に。

その長男には2人の子供がいるので現在は2人の孫をもつ祖母となっています。

2023年には93歳になる山本富士子さん、最愛の夫には先立たれていますが、子供や孫をもつ素敵なおばあちゃんのようです。

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