日本映画の黄金期を築いた京マチ子(きょうまちこ)さん。
出演作品は海外でも評価されており、元祖国際派との呼び名も高い名女優です。
永遠の美女の異名も持ち、官能的な立ち振る舞いは多くの女性の憧れの的でした。
今回は、京マチ子さんの性格や結婚、ハーフの噂の真偽について見ていきます。
京マチ子のプロフィール
本名:矢野元子
生年月日:1924年(大正13年)3月25日
身長:160cm
出身地:大阪府大阪市
最終学歴:吾妻小学校
京マチ子は純朴な性格&生涯独身を貫いた
日本にはスター女優が無数に存在しますが、生前の京さんほどプライベートな話題がほとんどない女優はいないでしょう。
話題がないことが話題とまで言われたほど、スキャンダルとは無縁だったのです。
京さんと聞いて、映画「羅生門」での妖艶な姿を思い浮かべる人も多いでしょう。
「羅生門」の真砂を演じる京マチ子さんの、
多襄丸(三船敏郎さん)と金沢武弘(森雅之さん)の
決闘を煽るシーン。真砂の絶叫の煽り。
もうアジテーションに近い感じで怖いくらいに
迫力満点です。
この真砂の煽りのシーンは何度見ても、
京マチ子さんの演技、凄い!!と思ってしまいます🎥 pic.twitter.com/wWwZi9fsxS— ari_san(もうしばらく低浮上です。ごめんなさい🙇♀️) (@arisan3874) June 13, 2021
「男はつらいよ」で見せた、かわいらしい姿が印象に残っている人も多いようです。
女優の京マチ子さんが12日にお亡くなりになったという訃報が発表されました。「#男はつらいよ」シリーズにもマドンナとしてご出演いただいております(第18作「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」)。
京マチ子さんのご冥福をお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/XcYHGcP9PF
— 映画『男はつらいよ』公式アカウント (@torasan_50th) May 14, 2019
スクリーンの中の姿を見ていると、私生活でも派手でモテそうですよね。
しかし結婚はおろか、彼氏も作らなかったそうです。
所属事務所の社長である永田雅一さんとの恋仲を噂された時期もありましたが、真偽は謎のままです。
日本初の億ション「コープ・オリンピア」に引っ越した際も、恋愛について何も語っていません。
あまりの美しさに恐れをなして、誰も近づけなかったとの噂もありますね。
釣りとキッチン用品を物色するのが趣味で家事は自分で行うなど、庶民的な性格だったようです。
1本の口紅を1年間使い続けたというエピソードも残っているように、物を大切にする一面もありました。
そして京さんは、人の悪口は絶対に言わなかったそうです。
周囲に配慮できる性格だったため、石井ふく子さん他晩年まで寄り添ってくれる友達がたくさんいました。
生涯独身を貫き、2019年に95歳で亡くなります。
晩年は親しい友人と同じマンションに暮らしており、独り身でも幸せそうだったと伝えられています。
色恋沙汰には目もくれず、役者に全身全霊をささげた一生でした。
80歳を過ぎた頃から公に姿をあらわしませんでしたが、晩年も現役時代と変わらない上品さを保っていたようです。
神秘的な上品さを維持できたのは、徹底的にプライベートを守り続けたからかもしれませんね。
結婚についても何も語らなかった
生涯独身を貫いた京さんは、生前結婚の噂もほとんどありませんでした。
結婚願望の有無についても不明で、どんな男性が好みだったのかもわかりません。
数少ない情報から推測する限り、そもそも結婚願望がなかった可能性が高いです。
京さんは、どんな役柄にも全力で取り組んでいました。
「羅生門」のメイクアップテストで、一切躊躇せず眉毛をそり落とし黒澤明さんを驚かせたエピソードは有名です。
俳優業にかける情熱から鑑みるに、若い頃から結婚より仕事を優先していたのでしょう。
また、1971年に所属していた大映が倒産して舞台やドラマへと活動の場を移すことになったため、結婚について考える暇がなくなった可能性も捨てきれませんね。
黒澤明さんは、京さんを「純情な感じなので、良い妻になるはず」と評しました。
本人に伝わったかは不明ですが、結局結婚することなくこの世を去ってしまいます。
昭和を代表する大女優は、一体どんな結婚観を持っていたのでしょうね。
京マチ子は両親が結婚していない3人家族
京さんの両親は正式には結婚しておらず、父親は5歳の時に蒸発しています。
母親と祖母によって育てられることになります。
昭和初期という時代背景を考えれば、2024年現在よりも女性が稼ぐのは難しかったはず。
女手だけで子供を育てるのは相当大変だったでしょう。
そんな母親に苦労をかけたくなかったのか、京さんは素直で気丈な子供に育ちます。
スキャンダルを問われても動じない性格は、幼少期にすでに確立されていたのかもしれません。
小学校卒業と同時に大阪松竹少女歌劇団に入団、「京マチ子」という名前はこの時に母親と祖母が考えてくれたものでした。
父親とは5歳で生別していますが、会いたい想いはずっと胸に秘めていたようです。
終戦後、叔母の調査によりブラジルにいることが発覚。
後に新しい妻子がいることもわかりますが、1955年には念願の再会を果たします。
父親も、父性愛を描いた映画を見て涙を流したとの情報もありますので、日本に残した娘のことをずっと気にかけていたようです。
1971年にサンパウロでチャリティーショーに参加した際は、約16年ぶりに2度目の対面をしています。
父親と2度対面して何を感じたのか、今となっては知る術がありません。
父親との対面で家族を持つ大変さを学び、生涯独身を貫こうと決めたのかもしれませんが、推測の域を出ません。
生別した年齢を考えると、思い出などはほとんどなかったはずです。
にもかかわらず情報を集め、日本の裏側にまで足を運び再会を望んだのは、父親に対する感謝の気持ちがあったからでしょう。
母親や祖母との関係については不明ですが、律儀な性格の京さんのことですので、きっと親孝行されていたと思われます。
肉感的な魅力の持ち主だったがハーフは嘘
京さんは、目鼻立ちのくっきりした顔立ちで、比較的大柄な肉体の持ち主です。
上半身も下半身も肉感的で、日本人離れした色気を放っていました。
しかし、ハーフは嘘の可能性が高いです。
母親の名前は矢野保子さんで、素性までは明らかになっていませんが、名前からしてほぼ間違いなく日本人でしょう。
父親は石田治三郎さんでブラジルに移住していますが、元々は日本人だと思われます。
本人の独特の色気に加えて、国際的な評価が高いこともハーフと噂される理由の1つでしょうね。
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