山本富士子の現在(2023)。老人ホーム説なぜ&自宅マンションと蓼科に別荘。若い頃ミス日本

絶世の美女として騒がれた、昭和を代表する女優の山本富士子(やまもとふじこ)さん。

現在はどのように暮らしているのでしょうか。

老人ホームのCM出演でメディアに久々に登場した際は、話題になりましたね。

自宅をマンションに移し、別荘は売却したといいます。

若い頃の美しい姿も、再確認していきましょう。

山本富士子のプロフィール

愛称:お富士さん

本名:山本富士子(やまもとふじこ)

生年月日:1931年(昭和6年)12月11日

身長:159cm

出身地:大阪市西区

最終学歴:京都府立第一高等女学校(現:京都府立鴨沂高等学校)卒業

山本富士子の現在。老人ホームのCM出演からはあまり見かけない

2023年には92歳になる山本富士子さん。

料理や掃除が大好きだったそうで、健康的な生活を送ってきたからこそ長生きができているのでしょう。

しかし、さすがに高齢でコロナ禍であることもあり、2020年以降にメディアの前に出たことは無いようです。


最後に出演したテレビ番組は2019年のトーク番組「徹子の部屋」。

その時の山本さんは、変わらず元気な姿を見せていましたね。

若い頃から日々の生活の中にエクササイズを取り入れているから、体力を維持できているそうです。

また、肌を美しく保つために化粧水を惜しまずたっぷり使っているのだとか。

趣味もお持ちだそうで、一筆画を習い続けているといいます。

コツコツと努力を積み重ねて日常に楽しみを見つけているからこそ、いつまでも元気で美しい山本さんがあるのですね。

その山本富士子さんに関して「老人ホーム」と聞くと、いかにもどこかに入所したのかと思ってしまいますよね。

実際は、老人ホームのCMの仕事を受けたことが話題になっていたのです。

それは「スーパーコート」という関西を中心に展開している老人ホーム。

一般的なホームから富裕層向け・パーキンソン病患者向けなど、高齢者の細かいケアができるように対応している施設のようです。

山本富士子の自宅はマンションで蓼科に別荘を所有していた

ここでは、山本富士子さんの住まいについて見ていきます。

2016年にマンションへ

山本富士子さんは、56年も住み続けた戸建ての自宅を引き払っていたことがわかりました。


新居は戸建てではなく、マンションに決めたのだそうです。

歳をとってからの戸建ての手入れは大変だ、という理由から決めた引っ越し。

長年住み続けると、家のあちこちに修理が必要になりますよね。

途中で一度建て直したようなので、引っ越し当時「築30年」になっていました。

30年経つと再び家が古くなってきており、また修理をしなければならなくなってしまったのだとか。

それならばマンションに移った方が楽だろうということで、気持ちが固まったようです。

マンションだと、ワンフロアで室内に階段も無い家が大半ですよね。

山本さんが引っ越したマンションは一般的なものより広かったようで、リビングが戸建ての家と同じ広さでした。

つまり、引っ越しても前と同じような家具の配置が可能。

リビングにいると、同じ家に暮らしているかのように感じていると語っていました。

山本さんが前の家を振り返りながら、新しいマンションで落ち着いた暮らしをしていることが想像できますね。

蓼科に別荘を所有していた

「山本富士子さんが蓼科に住んでいたのではないか」という噂があったようです。

きっと近辺で目撃情報があったのでしょう。


蓼科は長野県にあり、老後に移住したのかとささやかれました。

しかし実際は、自宅として利用はしておらず別荘を構えていたことが判明。

2023年現在は、その別荘もすでに売却済みのようですよ。

山本富士子は若い頃ミス日本で芸能界デビュー

山本富士子さんは、19歳だった1951年に「初代ミス日本」に輝きました。

ミス日本に応募する女性は、みなさんきれいですよね。

その審査でも満票を獲得したといいますから、山本さんがいかに美しかったかが想像できます。

当然、芸能界からスカウトの嵐が押し寄せました。

その頃は映画会社が一番強かった時期で、どの会社も山本さんが欲しかったのです。

しかし慎重な性格なのか、デビューをすると決意するのに3年も悩みました。

学生時代から目立っていたに違いない美貌を持つ山本さんでしたが、女優になりたいと考えたことがなかったので戸惑ったようです。


結局デビューの決め手となったのは、家族の後押しでした。

当時すでに医学生になっていた姉が、「これからの時代は女性も職業があった方が良い」とアドバイス。

1953年、3年後にフリーになるという条件付きで大映に入社しました。

とにかく目の覚めるような美人だったので、一躍人気女優となった山本さん。

3年経っても、売れっ子の女優を大映が手放すはずもありません。

フリーの話はどこかへ消えていってしまいました。

10年間で出た映画の総数は100本以上と、どれだけ人気があったのかわかりますよね。

しかし、1963年に大映の専属を維持することを拒否。

怒った社長は、山本さんを映画業界から閉め出してしまったのです。

「映画に出られなくなる」という不安から、泣き寝入りするケースもありそうですよね。


しかし山本さんは自由に生きることを選んで、テレビ出演から演劇中心にシフト。

自分の生きる道をしっかり自らの意思で切り開いていったのです。

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