昭和の名俳優のひとり、三船敏郎(みふね としろう)さん。
黒沢映画の常連だった三船さんですが、同じく日本の名俳優の高倉健さんとは共演したことがあるんでしょうか。
さらに、三船さんの殺陣シーンを越える人はいまだにいないなんて言われていますが、そこまでいくのにかなりの努力をされたようです。
そしてよく見る三船さんの映像よりも若い頃、実はかなりのイケメンだったとか…。
三船敏郎のプロフィール
生年月日:1920年4月1日
出身地: 膠州湾租借地(現:中国山東省青島市)
血液型:O型
身長:174cm
最終学歴: 大連市第二十四中学
黄金コンビ三船敏郎と黒澤明。実は不仲だった?
黒沢映画といったら三船敏郎なんて言われた時期もあったふたりですが、昭和40年の作品『赤ひげ』を最後に一緒に仕事をすることがなくなりました。
その為ふたりに何かがあって不仲になったのではないかと言われています。
ウワサでは、三船さんの酒癖の悪さが原因だとか、ふたりの間に金銭トラブルが起きたなど言われていますが、のちに黒沢監督はこの不仲のウワサについて言及しました。
別に喧嘩したわけではなく、三船さんとはやり切ってしまったという実感が強かったんだとか。
もうこれ以上の作品はできないと思ったようですね。
三船敏郎と高倉健は共演したことがない?
昭和の大スターとして名前が並ぶのが高倉健さん。
でも実は三船さんの方が10歳年上で三船さんがスターだったころ、高倉さんはまだヤクザ映画などに出演していたそうです。
なのでこのふたりにあまり共演のイメージがありませんね。
でも実は、世代が違うということよりも東宝と東映という違う映画会社に所属していたこともあって共演がなかったようです。
その後高倉さんがフリーになりますが、共演は1968年に公開された「祇園祭」のみです。
プライベートでもあまり接点のないふたりですが、お互いを尊敬していたんだそう。
三船敏郎の殺陣が凄すぎる?
三船さんといったら、殺陣のシーンがスゴイと有名ですよね。
しかし実はこの殺陣、独学で自宅の庭で先生をつけずに自分で研究しながら考えた動きだったそうです。
そしてそんな殺陣の特徴としてあげるのが眼光です。
動きはもちろんですが、眼力が強くその迫力に負けてしまい斬りに行けなくなってしまう共演者も多かったんだとか。
普通の時代劇では斬るフリが主流なようですが、三船さんは刀を相手に当ててその反動でまた次の相手を斬っていたためリアルな作品に仕上がっていたんですね。
イケメン?三船敏郎の若い頃がかっこいい
よくテレビで紹介される三船さんはもう中年世代のイメージですが、若い頃はさらにかっこいいんです。
20代の頃は驚くほどの美少年と言われていた三船さん、脚も長くスタイルも良かったんです。
海外からも三船さんの美少年ぶりを評価する声もあったんですが、その後時代劇に出演する機会が増えると美少年から男くさい雰囲気となりました。
しかしこの男くさい三船さんの雰囲気もまた海外から評価され、サムライ=三船敏郎と言われいたそうです。
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