笠置シヅ子、娘の出産秘話と現在。夫が夭逝、晩年の活動と死因について

パワフルな歌声とスイング感で「ブギの女王」と呼ばれ、戦後の日本を明るい歌で元気づけた笠置シヅ子(かさぎしづこ)さん。

歌謡史に残る大ヒット曲『東京ブギウギ』は70年以上も昔の歌ですが、耳にしたことがない人のほうが少ないのではないでしょうか。

私生活では一人娘を出産していますが、2022年現在、娘さんはご健在なのかどうかも気になります。

また娘さんの父親であり、夫になるはずだった吉本興業の御曹司との恋、晩年の活動、死因についてもみていきます。

笠置シヅ子、娘・エイ子の出産秘話

1947年1月、妊娠5か月のお腹を衣装でカモフラージュしながら日劇の主演舞台をつとめあげた笠置シヅ子さん。

笠置さんにとっては、これが引退公演になるはずでした。

なぜなら、お腹の子の父親である吉本穎右(よしもとえいすけ)さんとの結婚が、穎右さんの母にようやく認めてもらえそうだったからです。

しかし、結核が悪化して兵庫県の実家で療養していた頴右さんは、5月19日、23歳の若さで帰らぬ人に。


出産のために入院していた病院で訃報を受けた笠置さんは、全身がガタガタ震え、お腹の子の鼓動まで止まるのではないかと思ったと日記につづっています。

絶望の淵で初産に臨むことになった笠置さんは、6月1日、穎右さんの浴衣を握りしめながら無事に女児を出産。

穎右さんの遺言どおりに「エイ子」と命名し、一人で育てる決意をしました。

生まれてくる子供のために穎右さんが遺してくれた通帳と印鑑以外、吉本家からの資金援助は受けなかったといいます。

シングルマザーになった笠置さんは、生きるために再びステージへ。

乳飲み子を楽屋に寝かせ、幕あいに授乳する健気な姿を、作曲家の服部良一さんが見つめていました。

「先生、新曲たのんまっせ!」と彼女に頼まれた服部さんは、とびきり明るく楽しい曲を歌ってほしいと考えます。

『東京ブギウギ』の誕生でした。

シングルマザーであることを伏せる女性芸能人も多かったこの時代、たくましく生きる姿を包み隠さず見せた笠置さん。

ブギの女王は戦後の世相を明るくしただけでなく、戦争未亡人の母親たちにも大きな勇気を与えたことは間違いありません。

笠置シヅ子の娘・エイ子の現在

穎右さんとの死別後は生涯独身を貫いた笠置シヅ子さん。

後年、娘のエイ子さんは、「母は穎右ひとすじで、男性は父だけだったと思います」と語っています。

二人が初めて出会った時にもらった名刺を、笠置さんは終生大切にしていたそうです。

エイ子さんは1947年6月1日生まれなので、ご健在であれば2022年に75歳。

「亀井エイ子」として成長しましたが、結婚して姓が変わっている可能性がありますね。

残念ながら近況については一切の情報がありません。

過去の情報もないことから、おそらく一般人であろうと思われます。

2017年には、穎右さんの母であり、吉本興業の創業者でもある吉本せいさんの生涯をモチーフにした連続テレビ小説『わろてんか』が放送されました。

エイ子さんもドラマを視聴していたかもしれません。

のちに笠置シヅ子さんは歌手廃業を宣言して女優活動に専念しますが、歌手引退後は私生活でも、鼻歌にいたるまで一切歌を歌わなかったとエイ子さんは話しています。

大スター・笠置シヅ子の素顔を知る身近な人物の貴重な証言です。

笠置シヅ子は夫と入籍しないまま死別

1943年6月、笠置シヅ子さんは名古屋で公演中だった先輩役者の楽屋を訪ね、吉本穎右さんと出会います。

彼はまだ19歳で早稲田大学の学生でした。

二人はお互いに一目惚れ。

美男子好きの笠置さんが「眉目秀麗な青年」と自著に記していることから、二枚目だったことは間違いないでしょう。

恋の炎は燃えあがり、翌年には結婚の約束を交わすまでになりますが、ここで思わぬ障害が。

穎右さんを吉本興業の後継者にと期待していた母・せいさんが結婚を認めなかったのです。

反対した理由については、笠置さんが9歳年上だったから、またはせいさん自身が芸能界の裏を知りつくしていたからなど諸説があり、真相は不明です。

穎右さんは母親に認めてもらうために大学を中退し、吉本興業東京支社で働くことに。

やがて笠置さんの妊娠がわかると、せいさんの態度も軟化して、二人の結婚は周囲に公認されるようになりました。

笠置さんは芸能界を引退して結婚する予定でしたが、穎右さんの病状は悪化の一途をたどり、入籍が実現しないままこの世を去ってしまいます。


息子の死後、せいさんは孫にあたる女児を引きとりたいと申し出ますが、笠置さんはこれを断りました。

エイ子さんは穎右さんの血脈を受け継いではいるものの、吉本家の人間ではありません。

家系図のうえでは吉本家の穎右さんの家系は絶えてしまったことになります。

笠置シヅ子の晩年の活動と死因

生まれたばかりのわが子を抱え、生きるためにブギを歌った笠置シヅ子さんですが、やがて歌と踊りに衰えを自覚して歌手業を引退。

以降は女優業に専念するようになりました。

その際、自ら映画会社やテレビ局に足を運んで、これまでどおりのギャラでなくてよいので、ギャラを下げてでも使ってくださいと頼みこんだそうです。

一世を風靡した大スターが娘を育てあげるために出演料ランクの降格を申し出たわけですね。

女優としても多くの作品に花を添えた笠置シヅ子さんですが、代表作は高峰秀子さんと共演した『銀座カンカン娘』でしょう。

晩年は、たくましく生きる明るい母親役を好演していた印象が強いです。

人気番組『家族そろって歌合戦』の審査員や、台所用クレンザー「カネヨン」のCMのおばさんとしても親しまれていました。

乳がんが発覚したのは1981年のこと。

手術は成功しますが、2年後に卵巣に転移。

1984年9月からは入院生活を送っていました。

闘病もむなしく、70歳でこの世を去ったのは1985年3月30日でした。

死因は卵巣がんです。

服部良一さんの伝記ドラマ『昭和ラプソディ』で笠置シヅ子役を演じている研ナオコさんを見て、「日劇時代は楽しかったねえ」と懐かしそうにつぶやいたのが最期の言葉でした。


美空ひばりさんが登場するまで、大衆音楽のスターとして君臨した笠置シヅ子さん。

戦後復興期を象徴するスターといえば、まず最初にブギの女王を思い出す人も多いのではないでしょうか。

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