荒木一郎の母親・荒木道子は女優。父親・菊池章一は文芸評論家&若い頃に事件で逮捕

マルチな才能を持った荒木一郎(あらきいちろう)さんは、俳優・シンガーソングライター・音楽プロデューサー・小説家・マジック評論家など多方面で活躍していました。

母親・荒木道子(あらきみちこ)さんは有名女優で、父親・菊池章一(きくちしょういち)さんは文芸評論家。

父母両方の才能を受け継いだことがわかります。

若い頃から芸能界で活躍していましたが、とある事件を起こして逮捕されたこともあったのだとか。

今回は、荒木一郎さんにフォーカスして見ていきましょう。

荒木一郎のプロフィール

本名:荒木一郎(あらきいちろう)

生年月日:1944年(昭和19年)1月8日

出身地:東京都

最終学歴:青山学院高等部卒業

荒木一郎の母親・荒木道子は大女優

俳優でシンガーソングライターの荒木一郎さんの母親は、女優の荒木道子さん。

中央の着物を着た女性が荒木さんです。


1917年生まれで、文芸評論家の父と作家の母という家庭で育ちました。

文筆業には進みませんでしたが、物語を演じる女優になったのは両親の影響が少なからずあったのではないでしょうか。

文学座研究所に入所して演技を学び、1938年に卒業。

文学座の看板女優になりましたが、1941年に結婚して1943年に荒木一郎さんを出産したため文学座を退団しています。

育児のために一旦女優業を休みましたが、芥川比呂志(あくたがわひろし)さんらが結成した劇団・麦の会に1947年に加入。

結局麦の会は文学座に合流する形を取ったため、元のメンバーと再び一緒に舞台を作り上げていきました。

1950年以降は、映画にも出演するようになった荒木さん。

出演依頼が途切れることなく、1年間に3本映画に出演するようになったそうです。

1953年に夫と離婚しましたが、これだけ仕事があれば子供を養って片親で十分生活できたでしょう。

テレビドラマにも数多く出演し、「過保護な母親や山の手夫人」が当たり役でした。

1989年に心不全のため72歳でこの世を去っています。

荒木一郎の父親・菊池章一は文芸評論家

荒木一郎さんの父親は菊池章一さんと言い、文芸評論家だったそうです。

そう言えば、母方の祖父も同じ文芸評論家でした。

父親は1918年に茨城県で生まれ、慶應義塾大学を卒業後は出版社に勤務。

大学生の時に、後に夫婦となる荒木道子さんたちと靑麥座演劇研究所を創立しましたが治安維持法違反で検挙されてしまいました。

戦争中で、色々と規制がある厳しい時代だったことがうかがえます。

後に新日本文学会に加入しており、「戦後・文学の五十年」が代表作でした。

荒木道子さんと離婚後は、郁江さんという女性と再婚。

2001年に食道がんのため、83歳で亡くなっていることがわかりました。

若い頃は俳優やシンガーソングライターとして大活躍

9歳の頃から舞台に立っていた荒木一郎さん。

母親・荒木道子さんが文学座出身だったので、そこのアトリエ公演に参加したのが最初でした。

1963年に青山学院高等部卒業すると、文学座に。

NHKの「バス通り裏」に出演して、本格的に俳優としてのスタートを切りました。

映画出演も次々とこなし、「893愚連隊」「日本春歌考」「今夜は踊ろう」などに出演。

演技には若い頃から評価が高くされており、新人男優賞を受賞しています。


荒木さんにはマルチな才能があり、俳優業だけではなく音楽方面でも若い頃から大活躍をしていたのです。

高校時代にモダンジャズにハマり、自分で作詞作曲をするまでになっていました。

東海ラジオの番組「星に唄おう」ではパーソナリティーを任されていたのです。

毎週月曜日から土曜日の22時50分からわずか10分間の番組でしたが、その中で自身が作った曲も流していたところ大人気に。

ついに、番組のテーマソング「空に星があるように」でレコードを発売することになりました。

荒木さんは、日本のシンガーソングライターとしては草分け的存在だったのです。

「空に星があるように」はヒットし、1966年日本レコード大賞新人賞を受賞。

さらに同曲を含むアルバム「ある若者の歌」は第21回芸術祭文部大臣奨励賞を授与されました。

荒木さんはデビューしてすぐに、役者としてもミュージシャンとしても売れていったのです。

二度も事件を起こし1度は逮捕されていた

デビューしてすぐに有名人になった荒木一郎さんでしたが、スキャンダルを起こしていたことがわかりました。

1969年に、知り合いから「女優になりたいという子がいるから会ってやってくれないか」と頼まれたそうです。

紹介されたのは17歳の女子高生で、母親と一緒に荒木さんに会いに来ました。


3人は六本木の喫茶店で会ったのですが、「今から映画制作担当者に会って、素質をテストしてもらおう」ということになったそうです。

ここで、母親には帰ってもらったことが問題だったのかもしれません。

荒木さんは担当者を呼ばずに、女子高生を麻布十番のマンションに連れ込んでしまったのです。

よほど魅力的な女の子だったのかもしれませんが、これはいけませんよね。

部屋に入ると荒木さんが「素質があるかテストする」と、自らチェックを開始。

なんと、女子高生にわいせつ行為や打撲を負わせて、警察に通報されてしまいました。

当初否認していたものの、医師の診断書を突きつけられてついに観念。

自供したものの、荒木さんと女子高生の言い分が異なっていたため示談までに1ヶ月以上の日々を要しました。

不起訴になったものの、マスコミに叩かれまくり謹慎生活を過ごした荒木さん。

実はその時結婚しており、夫婦関係も破綻したのです。

妻の榊(さかき)ひろみさんは、事件から半年後に当時1歳だった長男を連れて家を出ています。

スキャンダルは再び起こり、マスコミに追われる身となったのが1977年のこと。

30歳の女性クラブ歌手をレッスンしていた荒木さん。

「稽古中に性的ないたずらをされた」として東京地裁に訴えられてしまいました。

130万円の損害賠償を請求された荒木さんは、一旦非を認めて謝罪。

しかし、相手の怒りは治らなかったようです。


その女性と婚約者に暴力を振るわれ、逆に今度は荒木さんの方が警察に告訴。

相手の2人は逮捕されたということです。

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