2017年に逝去せれた渡瀬恒彦(わたせ つねひこ)さんは、長い芸能生活を通して活躍された俳優です。
若い頃は、芸能界で1番喧嘩が強いと言われていた渡瀬さんの逸話をまとめました。
渡瀬恒彦のプロフィール
名前:渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ)
生年月日:1944年7月28日だいや
出身地:島根県
学歴:早稲田大学法学部だが除籍
職歴:電通のPRセンター
渡瀬恒彦の若い頃の伝説
まさに数え切れない程の伝説がある渡瀬恒彦さんですが、伝説は東映の新人アクション俳優として、活躍し始めたころです。
元々、サラリーマンをしていて、これといった特技もないと自覚されていた渡瀬さんは、まさに命がけのスタントアクションに挑戦しまくります。
常に何事も本気でことに向かう渡瀬さんの誠実さ情熱の深さというのがこういうところでも感じられますね。
7月28日は名優 渡瀬恒彦氏の誕生日(1944)!!
大卒後広告代理店に勤務、そこで偶然出会った東映社員の勧めで役者の道へ!70年『殺し屋人別帳』でデビューし多くのアクション映画で活躍、80年代以降は円熟味を増しより幅広い役柄で数多の作品で名演を披露!!#渡瀬恒彦生誕祭#今日は何の日 pic.twitter.com/yEaZZbqpUF— Dylan Dog (@Dylan_Dog_0001) July 27, 2018
伝説のアクションその①
「狂った怪獣」にて、自らがバスを運転し横転シーンをスタントなしでやり遂げる。
バスハイジャック犯という役柄を演じることになった渡瀬さん。
監督としても、バスの横転シーンはスタントマンを使う予定でいたが、渡瀬さんは自らやると志願。
スタントマンにも「バスはやったことはあるのか?」と聞いたところ、スタントマンもバスは経験がないとの事。
であれば条件が同じということで、渡瀬さんも教習所に向かい、持ち前の器量と頭の良さを発揮させ、周りが驚く速さでバス免許を取得したそうです。
そして、実際のバス横転シーンも自らやり遂げ、映像にリアルさを出しました。
そのバスには「ピラニア軍団」(渡瀬恒彦の軍団)が乗っており、後日談として「本当は乗りたくなかったが渡瀬さんに、言われたら、乗らざるを得なかった」と語られています。
伝説のアクションその②
「暴走パニック大激突」では、またもや壮絶なカーアクションに挑戦。
なんとクライマックスシーンにて、200台の車が衝突し合う場面をアシスタントなしで、自身でやるというのです。
今回は全出演の中で唯一、1人だけ志願したとの事。
男気があり映画に真剣に向き合っていたのだと感じられます。
ラストシーンでは実際に対向車と衝突して飛び込むアクションとなり、一歩間違えたら確実に死に繋がっていた程です。
伝説のアクションその③
「北陸代理戦争」ではジープ下敷きになり大怪我を負う。
このシーンでは敵の組合員を並べてジープで引くというものです。
渡瀬さんは自ら志願しアシスタントなしでジープを運転することとなりました。
しかしこの日はあいにく雪が降っており、事前の準備をすることなくぶっつけ本番の状態で向かいました。
雪道で地面が見えずまっさらな状態なので渡瀬さんもハンドルを取られ横転してしまったそうです。
そしてその横転したときに渡瀬さんは、車内から外へ飛ばされてしまい、ジャンプしてきたジープがなんと渡瀬さんの上に落ちてしまったとのことです。
何とかジープの隙間に体が入り一命は取りとめたものの、意識不明の重体に陥り即入院となりました。
足は複雑骨折となったそうです。
危険なロケでも基本的にスタントマンを使わず演じ切り、映画『北陸代理戦争』の撮影ではジープの下敷きになり、複雑骨折で全治2か月の重傷を負うなど、数々の“武勇伝”を持つ男です
お見舞いに行った監督の深作欣二も謝罪をしたそうです。
当の渡瀬さんは「こうなっては仕方がない」と気丈に振る舞っていたそうです。
代役は伊吹吾郎さんが務めました。
実際このような事故が何度も起きてもおかしくない事をしており、生き延びているのが不思議な位伝説を何度も起こしている渡瀬恒彦さんでした。
けんかが強い噂は本当?怖い人物で誰も近寄らず?
渡瀬恒彦さんと言えば、喧嘩最強の噂で有名です。
よく語られるのが、安岡力也がイケイケで1番ヤンチャの頃、生意気だという事で東映会館裏の駐車場に呼び出し、シメたという事です。
安岡力也さんは身長が187センチもある元キックボクサーです。
安岡力也さんには『お前、恒さんを怒らせちゃダメだぞ。俺がどれだけ怖い思いをしたか知ってるか?』と脅されました。
渡瀬恒彦さんも空手の有段者とはいえ、あれだけの体格差があるのに倒してしまうのは、生まれつき何かが違うとしか言いようがありません。
空手道2段で「芸能界で最もケンカが強い男」と俳優仲間からも一目置かれていた渡瀬恒彦さん
そんな渡瀬さんを恐れて、周りの人が誰も近寄らないかと思いきや、全くそんなことは、ありません。
友人を助けるためにヤクザ関係の事務所に1人で乗り込むなど、頼れる兄貴な一面もあり、人情に厚い人物だと伺い知れます。
学歴がすごい
渡瀬さんは、ケンカだけが強いイメージがあるかもしれませんが、頭も非常によく、文武両道をまっとうしていました。
早稲田大学を入学し、サラリーマンとして働いていた時期もありました。
常に一生懸命で、人情味もある人物である渡瀬恒彦さんは非常に魅力的な人物です。
多くの人から愛された俳優だったことが窺い知れる逸話の数々でした。
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