鈴木雅之、姉・鈴木聖美とのデュエットは伝説級!実家は町工場&両親との別れ

ラッツ&スターのメンバーでサングラスと口髭がトレードマークの歌手・鈴木雅之(すずきまさゆき)さん。

彼が生み出す音楽へ影響を与えたという姉とのデュエット曲は、ひとつの時代を象徴する大ヒットソングとなりました。

今回は、鈴木雅之さんの姉・聖美さんに焦点を当てつつ、彼の実家や両親についてもお伝えします。

鈴木雅之のプロフィール

愛称:Martin(マーチン)

本名:鈴木雅之(すずきまさゆき)

生年月日:1956年(昭和31年)9月22日

身長:176cm

出身地:東京都大田区

最終学歴:中学校卒業

所属事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント

鈴木雅之、姉・鈴木聖美との姉弟デュエットは伝説級!

鈴木雅之さんといえば、もちろん「ラッツ&スター」のリードボーカルであり、1986年からはソロでの活動もよく知られています。

数々の名曲を世に送り出してきた雅之さんですが、とりわけラブソングやデュエットソングの評価が高く、カラオケでよく歌うというファンも多いのではないでしょうか。

近年では、TVアニメ「かぐや様は告らせたい」の主題歌を担当し、デュエットソングが話題になりました。


そんな雅之さんが生み出す音楽にひとつの方向性を与えたのが、姉・鈴木聖美(すずききよみ)さんだったといいます。

幼い頃から音楽を聴くことが大好きだったという聖美さんの影響で、雅之さんも音楽にのめり込むようになり、やがてプロのミュージシャンとして自らの世界観を表現するまでになったのです。

聖美さんは、1952年7月20日生まれで、2024年に72歳を迎えます。

弟・雅之さんとは4歳違いです。

知っている人も多いと思いますが、聖美さんもプロの歌手として活動しています。

聖美さんが本格的にデビューしたのは1987年、34歳になってからでした。

デビュー曲『シンデレラ・リバティー』の作詞はあの山口百恵さんで、作曲にはアン・ルイスさんという豪華な作品となっています。

当時の基準からしても遅咲きだったと言えますが、メジャーデビュー以前からアマチュアとして音楽活動をしていたそうです。

ラッツ&スターの前身である「シャネルズ」が1982年に発売した8枚目のシングル曲『もしかして I LOVE YOU.』に聖美さんも参加しています。

「シャネルズ+1」名義で発売されたこの曲は、ラッツ&スターの仲間たちが聖美さんを盛り上げるための曲でもあったそうですが、雅之さんと聖美さんによるデュエットソングとして注目が集まったそうです。

こうしてデュエットソングが好評となりましたが、後にリリースされた聖美さんのセカンドシングル『ロンリー・チャップリン』も姉弟によるデュエットソングとして大ヒットしました。

作曲はもちろん雅之さんで、「鈴木雅之のデュエットソングといえばロンリー・チャップリン」と言われるほどに評価も高く、カラオケでも定番曲となりました。


その人気は、もはや伝説級といえるのではないでしょうか。

また、『ロンリー・チャップリン』には別バージョンも存在しており、聖美さんとアフリカ系アメリカ人の演歌歌手・ジェロさんとのデュエットはYouTubeでも聴くことができます。

聖美さんはジェロさんのことを息子のように思っているそうで、雅之さんが妬いてしまうほど仲が良かったそうですよ。

残念ながら、ジェロさんはIT関係の会社に就職し活動休止してしまいましたが、とてもいい歌声ですよね。

伝説のデュエットソングに盗作疑惑?

鈴木雅之さんが作曲したデュエットソングのなかでもとくに評価が高い『ロンリー・チャップリン』ですが、なんと、一部で盗作の疑いがあるのではないかと噂になったようです。

なんでも、とあるアメリカのデュエットソングにソックリなのだとか。

その曲とは、あのホイットニー・ヒューストンさんとジャーメイン・ジャクソンさんによるデュエットソング『Take Good Care Of My Heart』(邦題:やさしくマイ・ハート)です。

曲の細部こそ微妙に違っているものの、イントロからラストにかけて曲全体の流れや雰囲気がよく似ているということで、リリース当時から話題になったといいます。

実際に両方の曲を聴き比べてみると、たしかに似ているように感じてしまいますね。

ちなみにリリースは、『ロンリー・チャップリン』が1987年で『Take Good Care Of My Heart』が1985年です。

当時、日本でも人気が高かったホイットニーさんの曲を雅之さんが聴いていなかったとは考えにくく、インスパイアされたことは否定できないかも知れません。

とはいえ、実際に訴訟になったといったこともないようですので、相手側からは問題視されていなかったのではないでしょうか。

ほかにも似ている曲はあるでしょうし、聴く側としては、そういった曲を探すのも楽しみ方の一つだといえるかも知れませんね。

実家は町工場&両親は亡くなっている

鈴木雅之さんの実家は東京・大田区にあって、父親が町工場を経営していたそうです。

羽田空港からそう遠くない工場が立ち並ぶ地域にあり、すぐ隣も工場という環境だったといいます。

ミュージシャンとして成功するまでは、雅之さんも父親の工場で働いていたそうです。

父親は、雅之さんが「第43回NHK紅白歌合戦」に出場した1992年に亡くなりました。

この年、雅之さんは『もう涙はいらない』を歌っています。

それから28年後の2020年、母親も亡くなりました。

奇しくも、実に28年ぶりとなる「第71回NHK紅白歌合戦」への出場が決まったその日に、亡くなったということです。

そこで歌った曲は『夢で逢えたら』でした。

この曲は、数ある雅之さんの曲のなかでも、とくに母親が好きだった曲なのだそうです。

雅之さんは、母親が最期を迎える瞬間に紅白出場を伝えることができたそうで、「母親が大好きだった曲を歌うことになり感慨深い」と当時のインタビューで語りました。


2020年といえばコロナウィルスが蔓延した年でもあり、年末に聴いた彼の歌声で元気づけられたという人もいることでしょう。

雅之さんは、コロナ禍で大変だった日本中のファンへのエールとして、そして、天国へ行ってしまった両親へのエールとして歌ったそうですよ。

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