長谷川一夫は若い頃からイケメン!事件で顔に傷&晩年は自宅で静かに生活

長谷川 一夫(はせがわ かずお)さんは戦前から戦後にかけて数多くの作品に出演し、昭和映画界に燦然と輝く”大スタア”として2024年になっても愛され続けている名優です。

芸もさることながら端正な顔立ちで女性たちの心をつかみましたが、若い頃に大事な顔を斬りつけられるという衝撃的な事件があり、その内容や背景も話題になっていました。

今回の記事では長谷川さんのイケメンぶりや傷害事件、晩年の様子について見ていきます。

長谷川一夫のプロフィール

本名:長谷川 一夫(はせがわ かずお)

別名義:林 長丸・林 長二郎

出身地:京都府

生年月日:1908年2月27日

没年月日:1984年4月6日(76歳没)

主な作品:「忠臣蔵」「雪之丞変化」など多数

若い頃の長谷川一夫は絶世のイケメン

まずは若い頃の長谷川一夫さんが絶世のイケメンだった件について見ていきます。

叔父が芝居小屋を経営していたこともあって小さい頃から芝居を見て育ち、1913年(5歳)に中村鶴之助一座の舞台に子役の代役として上がったこと縁になって芸の世界に入りました。

1918年に初代・中村鴈治郎一門に入って「林長丸」を名乗るようになり、舞台では持ち前の美しさから女形として大変な人気になったそうです。


残念ながら当時の画像はありませんが、これは生で見ることができた人の特権でしょうね。

1926年に観劇に来ていた大阪松竹の社長・白井松次郎さんにイケメンぶりが認められて松竹下賀茂撮影所に入社し、1927年に「稚児の剣法」で銀幕デビューを果たしました。

長谷川さんのイケメンさは昭和前半の重厚でたくましいタイプではなく、先に紹介した通り女形ができるほど美しく、綺麗なタイプの顔立ちをしています。

古い話なので鮮明な画像や動画は少ないですが、複数の画像が掲載されているインスタグラムの投稿とYoutubeの動画がありましたので是非ご覧ください。

どちらの投稿も若い頃の凛とした長谷川さんがたくさん登場して目を癒してくれますね。

平成中盤から中性的な顔立ちがイケメンとして一層評価される傾向になったことを踏まえると、長谷川さんは昭和でありながら新しいイケメンの先駆者と言えるかもしれませんね。

長谷川一夫の顔が切られる事件が発生

前の項目で長谷川一夫さんのイケメンぶりについて紹介しましたが、この項目では端正で美しい顔が切りつけられた傷害事件を見ていきます。

事件は1937年11月12日、渡辺邦男監督の映画「源九郎義経」の撮影期間中に起こりました。

京都右京区の東宝京都撮影所で撮影を終えた長谷川さんが門を出て宿舎に向かう道中、20代と思われる男性二人にいきなりカミソリらしき刃物で顔を切りつけられた、とされています。

傷は顔の左側、耳の下から鼻の下にかけて斜めに”長さ12センチ”も切られてしまい、深さは1センチで骨膜(骨の表面を覆っている膜)にも達しました。

長谷川さんは切られた直後に犯人を突き飛ばして追い払い、騒ぎに気付いて駆けつけた関係者に「鏡を、鏡を」という驚きの言葉を発します。


その叫びはまさしく自らの武器、いや存在意義を理解した者ならではの言葉と言えるでしょう。

長谷川さんは関係者から鏡を渡されることなく自動車で病院に搬送され、意識を保ったまま6針の仮縫いの応急手術を受けました。

幸いにして目や唇、鼻などが切られなかったことで深刻な事態には至らず、1938年に公開された映画「藤十郎の恋」で復帰。

さて、そこで気になるのは事件の背景ですが、多くの見方は長谷川さんが事件が起こった年に松竹を退社して東宝に移籍したことが一因とされています。

当時の世論は世話になった松竹をいきなり去ったことに批判的で、メディアも「忘恩の徒」と猛烈なバッシングをするなど”曰く付きの移籍”と話題になっていました。

中には給料や移籍金など金銭面が不満で移籍したとの声がある一方、東宝の機材や設備が最新で良い作品に出たいという役者の本能があったという声もあります。

長谷川さん自身も事件について「背後関係は探らないでくれ」と語っており、世間を騒がせた襲撃事件の真相は意図的に闇に消されたと言えるでしょう。

なお、警察は不良少年Aとその身内Bを逮捕し、懲役二年の実刑判決が下っています。

晩年はあまり表に出ず自宅で過ごす

最後に大スタア、長谷川一夫さんの晩年について見ておきましょう。

長年にわたって日本の映画界に君臨しましたが、55歳になった1963年をもって映画作品への出演を辞め、テレビのドラマや情報番組のゲストなどに軸足を移しています。

突然の方針転換について長谷川さんは二つ理由を挙げ、一つは「後進に道を開く」というベテランとしての意見、もう一つは自身の外見への強いこだわりでした。

早くから二枚目を武器にしてたことを大事にしており、シワくちゃのおじいさんが良い男の役で出るのは嫌だからね、というハンサムならではの役者観を明らかにしています。

異常なまでの外見へのこだわりには賛否両論あるかもしれませんが、これは自分のことよりも”長谷川一夫に良い男を期待する観客”の心情を考えた結論なのかもしれません。

長谷川さんの思いとは裏腹に、年を重ねても人気は一向に衰えることはなく、テレビや舞台、イベントに参加をしたときは大変な騒ぎになったそうです。

とは言え、全盛期に比べれば表舞台に出ることはほとんど無くなりましたが、東京都港区西麻布の自宅で愛妻・繁(しげ)さんと過ごす日々は何物にも代えがたいものだったことでしょう。


1984年2月17日に40年間連れ添った繁さんが癌で亡くなってからは精気が衰え、同年4月6日に76歳で波乱万丈の人生の幕を下ろしました。

銀幕の世界と自分の二枚目に揺るぎない信念を持ち、最期まで貫いた生き様は大スタア・長谷川さんならではのもので、まさに見事というほかありません。

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