長年演歌歌手として輝き続けている川中美幸(かわなかみゆき)さん。
若い頃から順風満帆だったわけではなく苦労が多かったようです。
兄弟は兄が1人いて、母親とは仲が良く、父親を早くに亡くしています。
実家が大阪でお好み焼き屋をしていたことなどについてお伝えしていきます。
川中美幸のプロフィール
本名:山田岐味子(やまだきみこ)
生年月日:1955年12月5日
出身地:大阪府吹田市
最終学歴:東京都小松川高校定時制課程卒業
所属事務所:株式会社美幸オフィス
川中美幸の若い頃は苦労人
大ベテラン演歌歌手の川中美幸さん。
1973年に春日はるみという芸名でデビューをしてから50年。
今でも第一線で活躍をされています。
長年、演歌歌手として人気を継続されているので、ずっとファンから愛され続けている印象がありますよね。
しかし、ここまで演歌歌手として昇りつめるのはそんなに簡単なことではなかったようです。
若い頃には苦労もありました。
そこで、今回は川中美幸さんの若い頃について調べていってみたいと思います。
のど自慢大会で何度も優勝した子供時代
川中さんは大阪府吹田市出身です。
裕福な生活とはほど遠く、狭いアパートで両親と兄の4人暮らし。
兄には勉強机があったものの、川中さん用の机は買ってもらえず兄の机の引き出しの中の1つだけを使わせてもらっていたそうです。
演歌好きの両親の影響で、物心がついたころから家の中では演歌が流れていたので、川中さんも真似して歌ってみたりしていたといいます。
小学3年生の頃に地元の大阪で開催された「ちびっこのど自慢大会」に父の強引なけしかけに応えて飛び入り参加。
当時は人前で歌うことは恥ずかしくて嫌だったそうなのですが、父親の言うことは絶対という時代だったので渋々出場することになりました。
歌った曲は都はるみさんの「馬鹿っちょ出船」。
結果はみごとに優勝を飾っています。
そのときの副賞が電動の鉛筆削り付きの勉強机。
買ってもらえなかった勉強机を自分の力で手に入れたことになります。
この優勝をきっかけに川中さんは関西で行われるのど自慢大会へ父親にたびたび連れていかれるようになりました。
子供の頃から歌唱力がとても高く数々の大会で優勝をしたそうで、賞金以外にも副賞でステレオセットや8ミリビデオなども獲得したといいます。
狭いアパートに暮らしていたので置き場に困り、副賞を立てに積んでいたというほど数多く大会に出場し優勝をしていました。
父親は体調を崩したこどが原因で仕事が出来ず、代わりに母親が大黒柱として働いていたので、大会で優勝することを喜んでくれる母親を見て歌手になれば親を助けられると思うようになっていったようです。
中学2年のときに作詞家のもず唱平(しょうへい)さんにスカウトされ、中学卒業後に父親と上京。
住まいは江戸川区にある銭湯の2階だったそうです。
高校は東京の定時制高校に通い、デビューの準備をしていました。
挫折からの復帰
川中さんは、17歳のときに芸名「春日はるみ」でデビューを果たしています。
#豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃みたいなことを言う
川中美幸がまだ春日はるみだった頃。同じ月の「TBS新人オーディション」に山口百恵や夏木マリと一緒に出ていた。 pic.twitter.com/2yETIXV7c9— Y-YAMAMOTO (@y_y_yamamoto) July 22, 2021
デビューをしたら売れて両親に家を建ててあげられると考えていた川中さんですが、プロの世界はそんなに甘くはありませんでした。
すごい歌手が出てきたという評判はあったものの、デビューをした1970年代はアイドル全盛期。
演歌は全く売れませんでした。
2年間は頑張ったものの歌手生活を辞め、地元に戻ります。
大阪に戻ったあとは母親が経営するお好み焼き屋で働きながら今後のことを考えたそうです。
お好み焼き屋さんでもうけて、将来自分の店を持ちたいという目標も出来ました。
今日は⤴️❤️
久々に~大好きな店❤️
川中美幸様~のお店~😍食べてきたぁ☺️😍
餃子🥟うんまぃ🥟久々に~お疲れ様会かなぁ💐😍
大好きな店で最高の幸せと直に笑顔を頂き笑顔になれた1日になったぁ☺️😍#お好み焼きかわなか#川中美幸#お好み焼き#餃子#笑顔#食べれる幸せ pic.twitter.com/VsrD0TIHwR— ☆haru★ (@happy09happy06) December 3, 2021
そんな生活をしていた川中さんの元にもず唱平さんから歌手をやり直さないかという話が飛び込みます。
19歳の頃でした。
芸能界には戻らないという決意で大阪に戻ってきた川中さんでしたが、もずさんの熱心な説得を受け、母親にも背中を押され再度頑張ることを決意します。
もずさんに勧められて出場をした「ネオン街音楽祭」という大会で650人の中のグランプリに輝き、再デビューのきっかけをつかみました。
一度は挫折を経験した川中さん、再デビューでは25歳までに結果を出せなければ大阪に戻ると期限をつけて歌手活動を始めています。
再デビューは21歳。
芸名は「川中美幸」。
しかし、川中美幸さんという名前で再デビューをした後もすぐに売れたわけではありませんでした。
3年経ってもヒット曲を出すことが出来ません。
ようやくヒットしたのが5作目の「ふたり酒」。
ふたり酒
川中美幸 pic.twitter.com/oKqnoUnLl0— 時代屋 (@lr29451) February 28, 2024
まるで両親のことを歌っているような歌だと思ったそうです。
母への想いのせ歌ったところ徐々に手ごたえを感じるようになり、結果的には大ヒットとなり代表曲になりました。
そして当初から目標にしていた両親に家を建ててあげることは32歳で達成。
都心から少し離れた場所に家を建てて、両親を東京に呼び寄せました。
34歳のときに元関西テレビの社員と結婚をしています。
川中美幸の兄弟は兄が1人
川中美幸さんの兄弟は兄が1人います。
年齢は川中さんより2歳年上。
結婚はされておらず独身です。
川中さんが家族のために建てた東京都町田市の家で両親と暮らし、両親が他界された今でもそこで暮らしています。
仕事は川中さんが経営する東京都渋谷区のお好み焼き屋で働いているようです。
川中美幸と母親の絆
川中美幸さんと母親は一卵性母娘と言われるほど気持ちの通じ合う関係性でした。
子供の頃は病気で働けない父親に代わり母親が大黒柱となって働き家庭を支えていました。
そんな母親の力になりたいと子供の頃から川中さんは考えていたようです。
大阪でお好み焼き店を営んでいた両親を東京に家を建てて呼び寄せています。
東京で暮らしてからは母親のために川中さんが渋谷区にお好み焼き屋さんをオープンさせました。
80代になっても毎日お店に通い接客をしていたそうです。
2011.3.11 14:46 東北地方を襲った未曾有の災害「東日本大震災」
あの地震が起こる1時間ほど前に、川中美幸さんのお母様が経営していた(当時)お店でお昼を食べていました😋
あれ以来行ってないや😅
今度7年ぶりに行こうかな🎶#尾道焼き #お好み焼き #豚玉 #かわなか #渋谷 #川中美幸 pic.twitter.com/B1s4ZsItNz— Masha💫 (@Oo_masha_oO) May 25, 2018
その後に心筋梗塞を患い、川中さんは母親の介護を懸命にしています。
4年に及ぶ介護が続き、2017年に亡くなっています。
川中美幸の父親に事故の過去
川中美幸さんの父親は川中さんが幼かった頃に交通事故の加害者になりました。
加入していた保険が事故の1日前に切れていたということで、一家は大きな借金を負うことになったといいます。
父親は事故後に酒に溺れてしまい身体を悪くしたため、父親の代わりに母親が生活を支えていました。
川中さんが中学卒業後に演歌歌手デビューをするために上京した際には父親も一緒にきています。
その後は大阪に戻っていたようですが、川中さんがヒット曲を出し家族のために東京都町田市に家を建てた際に上京。
上京した年の暮れに他界をしています。
川中美幸の実家は大阪
川中さんの実家は大阪市吹田市にありました。
父親が交通事故の加害者となりその後に身体を壊したことで、働き手は母親だけになります。
住まいは狭いアパートだったそうです。
両親は大阪でお好み焼き屋をしていましたが、川中さんがヒット曲を出し東京に家を建て両親を迎い入れたことにより東京へと移住しています。
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