前川清と韓国の関係。若い頃はクールファイブ!兄弟4人の末っ子&父親と母親はクリスチャン

歌手の前川清(まえかわきよし)さんは、韓国と関係があるのではないかと言われているようです。

若い頃は内山田洋(うちやまだひろし)とクールファイブのボーカル担当で、とても人気がありましたよね。

また家族にも注目が集まっており、兄弟や父親と母親についても気になるところです。

それでは早速見ていきましょう。

前川清のプロフィール

本名:前川清(まえかわきよし)

生年月日:1948年(昭和23年)8月19日

身長:177cm

出身地:長崎県佐世保市

最終学歴:長崎南山高等学校中退

所属事務所:前川企画

前川清と韓国の関係は妻絡み&韓国人歌手との共演

前川清さんには、韓国と何かしらの関わりがあるのではないかと言われています。

妻が韓国にルーツがあるという噂

再婚した妻の朝美さんが、韓国出身なのではという意見があるようです。


朝美さんの旧姓は「竹井(たけい)」で、福岡県の出身なのだとか。

福岡は韓国に近く、確かに朝鮮半島出身の人が他県と比較すると多いかもしれません。

しかし、それだけの情報で前川さんの妻を韓国出身と決めることは難しいですよね。

「嫁は韓国出身です」とカミングアウトしているならともかく、一般人のために情報はほとんどありません。

旧姓が日本の名字であるため、どの国の出身かを決めることはできないでしょう。

韓国人歌手とデュエットをしていた

もう一つ、前川清さんと韓国を関連づける情報がありました。

それは、韓国人歌手とデュエットをしていたということ。

2003年にチェウニさんと「スロー・グッドナイト」という曲を出しています。

チェウニさんは、韓国では本名の「チョン・ジェウン」という名前で8歳から歌手として活躍しているそうです。

母親のイ・ミジャさんも歌手で、「韓国の美空ひばり」と言われたとても有名な方なのだそう。

前川さんとチェウニさんがデュエットしたのは、この1曲限りでその後は他の韓国人歌手と新曲を発表したことも無いようです。

チェウニさんは、お笑いコンビのイワイガワ・岩井ジョニ男(いわいじょにお)さんと「ミッドナイト・アワー」「灼熱の恋の物語」という2曲を出していますよ。

「ミッドナイト・アワー」はYouTubeの公式レコードチャンネルで135万回再生をするほどの人気曲。

振り付けも有名なラッキイ池田(いけだ)さんが担当しており、楽しそうでつい見入ってしまいます。


このように、確かに前川さんと「韓国」には何かしらのつながりがあることは分かりました。

しかし、妻が韓国出身なのではないかという話も噂にすぎず、ルーツがあることは確認できていません。

前川清の若い頃は内山田洋とクール・ファイブのボーカル

高校2年で中退し、さまざまな職に就いたという前川清さん。

セールスマンに溶接工やダンプの運転手、そしてバーテン見習いと手当たり次第に自分の進む道を探し続けていたことがうかがえます。

しかし前川さんは学生時代からジャズにハマっており、自然と音楽の道に進むようになったのでしょう。

小さなキャバレーを転々としていたところ、クールファイブのベース・小林正樹(こばやしまさき)さんに「一緒にやらないか」というお誘いが。

長崎のグランドキャバレー「銀馬車」では、「内山田洋とクール・ファイブ」のボーカルとして地元で活躍していました。

歌の業界で評判が上がってきたのか、スカウトが聴きにきて即デビューしたのが1969年。

デビュー曲は、2023年現在も歌い継がれる名曲「長崎は今日も雨だった」でした。

年末の賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場するなど「内山田洋とクール・ファイブ」はあっという間にトップスターの仲間入りを果たしました。

ただ前川さんたちは、キャバレーでクールファイブとして活躍していたことに満足していたのだとか。

そのため、「芸能界にデビュー」のお誘いが来ても当初は乗り気ではなかったという逸話も残されています。

すでに結婚しているメンバーもいたので、成功しないといけないという思いが強かったのでしょう。

実際に、上京してデビュー曲がヒットするまで収入がめっきり減ってしまったそうです。


しかしそれもわずか半年程度のことでしたので、「内山田洋とクール・ファイブ」は実力だけでなく運もあったのですね。

デビューからわずか2年で前川さんは歌手の藤圭子(ふじけいこ)さんと結婚しましたが、翌年には離婚しています。

デビューから結婚・離婚と、目まぐるしく人生を大きく変える出来事が続いていました。

離婚の原因は、お互い忙しくすれ違いの生活が続いて気持ちが冷めたことだけではなかったようです。

子供が欲しかった前川さんに藤さんは反対だっそうで、何もかも歯車が噛み合わない2人が夫婦生活を続けるのは難しかったのでしょう。

「内山田洋とクール・ファイブ」はその後もヒット曲を連発。

「逢わずに愛して」「噂の女」「港の別れ唄」「そして、神戸」「東京砂漠」など名曲がたくさんあり、年末の紅白歌合戦には合計11回出場しました。

前川清は4人兄弟で兄は12歳の時に早逝

優しい笑顔が素敵な前川清さんですが、4人兄弟の末っ子だったそうです。

兄や姉にかわいがられて育ったことが、表情に表れているのかもしれません。

前川さんには、兄が1人と姉が二人いたといいます。

兄は9歳年上と、年齢がかなり離れていました。

とても優しいお兄さんだったそうですが、小学6年生の時に日射病にかかって亡くなってしまいました。

天候のせいで若くして命を落とすとは、残された家族も非常に辛かったことでしょう。

きっと、「あの時もっと早く何かしておけば、助かったかもしれない」と悔やんだに違いありません。


前川さんは当時3歳で、わけがわからないまま大好きな兄がいなくなってしまったので寂しかったはずです。

次に2人の姉についてですが、一般人のため詳細はほとんど知られていません。

「2人とも、大阪に住んでいる」という情報はあるようですね。

また、姉の娘の結婚相手が、加勢大周(かせたいしゅう)さんの兄弟だそうです。

前川清の父親は船大工で母親は看護師

前川清さんの両親は、どちらもクリスチャンだったそうです。

長崎出身なので、キリスト教信者は他の地域よりも珍しくないかもしれません。

父の海藏さんは米軍基地で船大工をしていたそうですが、酔うと気が荒くなるという一面があったようです。

前川さんの母親につい手をあげてしまっていたという話も残されています。

それも戦争で満州に渡り、寒さをしのぐためにお酒を飲んでいたことが原因。

海藏さんはアルコール中毒となり、人が変わってしまったのでした。

前川さんの父親は、舌がんのために62歳でこの世を去っています。

前川さんの母親・ハツさんは自分の父親が早逝したため「自分が家の稼ぎ頭になる」と、小学校卒業後看護師になったそうです。

結婚するまで、個人の医院で看護師のリーダーとなり一生懸命働きました。

結婚後は家庭に入り、専業主婦として家族の世話をしていたハツさん。

また地元のカトリック教会の婦人会長も務め、地域の貧困家庭を助けていたといいます。


人のために働き続けたハツさんは、亡くなる前まで大阪のカトリック平野教会で困窮者の世話をしていました。

芸能界で成功を収めた前川さんからもらっていた仕送りは、困っている人たちに使っていたそうです。

76歳で肺がんのために亡くなりましたが、葬儀にはハツさんに助けられた人が長蛇の列を作っていたといいます。

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