小西康陽(こにしやすはる)さんは、1990年代に大ブームになった「渋谷系」を牽引したバンド・PIZZICATO FIVEのメンバーで、唯一結成時から解散まで在籍してたメンバーです。
類稀なるプロデュース能力で、ミリオンヒットを記録した「慎吾ママのおはロック」なども作詞作曲を手がけられています。
そんな小西さんのプライベートや家族について、お伝えします。
小西康陽のプロフィール
本名:小西康陽
生年月日:1959年(昭和34年)2月3日
出身地:北海道札幌市
最終学歴:青山学院大学経営学部
所属事務所:レディメイド・エンタテインメント
小西康陽、最初の妻は事務所の社員だった
小西康陽さんがはじめて結婚をした女性は、PIZZICATO FIVEが在籍していた事務所・グレイテスト・ヒッツに所属していた杉村純子さんです。
もともとはPIZZICATO FIVEが世に出るきっかけを作った細野晴臣さんの個人事務所「ミディアム」でマネージメント業務をしていた杉村さん。
PIZZICATO FIVEがソニーに所属するタイミングで杉村さんが「ミディアム」から独立し、PIZZICATO FIVEのマネージメントを請け負うことになりました。
小西さんと杉村さんがいつごろからお付き合いをされていたのかは、明らかになっていません。
PIZZICATO FIVEの「衛星中継」という曲には、「ア」という杉村さんのサンプリングボイスが楽曲中、全体を通して使用されています。
同曲は1989年7月21日にリリースされた3枚目のアルバム「女王陛下のピチカート・ファイヴ」に収録されています。
小西さんはプライベートなことをほとんど語らないため、結婚した時期も明らかにはなっておらず、マネージメントの杉村さんと結婚したことも、ファンには知られていませんでした。
ですが、1995年10月21日にリリースされたPIZICATO FIVEの9枚目のシングル「悲しい歌」の歌詞は「ふたりの愛は終わった」というもの。
男女の愛が終わってしまったことを歌っています。
映画のような世界観を歌にしていたそれまでとは作風が全く違っていたり、女性ボーカルなのに1人称が「ぼく」だったため、ファンの間でも憶測が飛び交いました。
小西さんが結婚相手との関係でうまくいってないと、噂されるようになったのです。
実際にその頃には離婚に向けての話し合いが進んでいたそうです。
その後、1996年6月21日にリリースされた「子供たちの子供たちの子供たちへ」という曲は、杉村さんと、杉村さんとの間にできた娘と別れる時に書いた楽曲だそうです。
この曲は、ミニアルバム「フリーダムのピリカート・ファイヴ」に収録されています。
離婚理由については、もちろんご本人からは語られたことはありません。
ですが、離婚調停を経て離婚をしていることから、小西さんの浮気が原因だと思われています。
1993年12月1日にリリースされた5枚目のシングル「東京は夜の七時」の歌詞が、当時のガールフレンド(後の2人目の妻)との恋愛について書かれたという公表も、噂に影響したようです。
その後、小西さんは再婚をしていますが、杉村さんが再婚されたかどうかについては明らかになっていません。
ですが、2019年4月30日に出版された「わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019」の中で、杉村さんが2018年3月31日に逝去された事について触れられていました。
この本は、1992年から2019年までの小西さんのコラムを集めたものです。
杉村さんは離婚後、娘さんと一緒に茨城県水戸市に引っ越されていたそうです。
そして、その娘さんから小西さんの元に4月1日の午後、「お母さんが昨日の19時ごろに亡くなりました」というメール連絡があったそうです。
死因などは公表されていません。
そして、2018年6月6日にリリースされた「素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事1986-2018」というアルバム集には「杉村純子さんの思い出に。」という言葉が記されていました。
このアルバム集は、小西さんが携わった楽曲の中から90曲を収録したものです。
*「素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事1986-2018」小西さんの全曲解説、一曲目「黒い十人の女」の項で既にちょっと胸が締め付けられるような。表紙裏の「杉村純子さんの思い出に。」という一文が沁みる pic.twitter.com/aLsAI5Ic83
— ONO (@popholic) June 8, 2018
離婚はしてしまいましたが、小西さんにとって杉村さんがいかに大きな存在だったかが伺い知ることができますね。
娘はバンドのドラマーという噂
小西康陽さんの娘は、「スーパーアイラブユー」というバンドでドラムを担当するシーコ・フォーエバーさんではないかと言われています。
根拠としては、シーコ・フォーエバーさんの本名は「杉村詩子」さんであることが公表されており、小西さんの1人目の妻の姓と、小西さんが公表している娘の名前が一致しているからです。
小西さんは「これは恋ではない」「ぼくは散歩と雑学が好きだった。」「わたくしのビートルズ」という3冊のコラム集に「この本をぼくの娘、詩子に捧げる」と書いておられます。
小西康陽『わたくしのビートルズ』
1984年から三冊目のコラム集。軽妙なコント、エッセイ、対談、何より待望の2013年からの膨大な映画メモ収録。年を重ねるにつれ、変わっていく著者の志向、考え方にしみじみととした感慨と、3冊とも捧げられた(杉村)詩子を巡る物語とも読め、センチメントな思いも。 pic.twitter.com/SJfEP5p4hc— 三月の水 (@mizuhikoy) May 23, 2019
また以前SNSに、「世界で一番好きな人」が所属するバンドのライブをこっそり見て缶バッジを買って帰ったという投稿をし、前後に演奏された曲のタイトルも投稿したことがありました。
それが「スーパーアイラブユー」の楽曲のタイトルだったことから、ドラムの杉村詩子さんは小西さんの娘さんで間違い無いのでは、と言われています。
小西さんと詩子さんは、離婚後会えなくなっていました。
そんな会えない娘のために書いた楽曲が、1996年12月21日にリリースされたPIZZICATO FIVEの11枚目のシングル「メッセージ・ソング」です。
「忘れないで ぼくはきみを ほんとうに愛している」といった歌詞や、最後には「そしていつか きみとぼくは きっとかならず逢える」という部分もあります。
小西さんから詩子さんへのストレートなメッセージが込められていました。
「メッセージ・ソング」は1996年12月から1997年1月まで、NHK「みんなのうた」で放送されていました。
まだ幼かった詩子さんは、そんな小西さんからのメッセージを偶然耳にしていたかもしれませんね。
再婚した妻は文筆家・長谷部千彩
小西康陽さんの再婚したお相手は、文筆家の長谷部千彩さんです。
長谷部さんは、小西さんの個人事務所「レディメイド・エンタテインメント」の代表取締役も務めています。
お2人がいつごろご結婚されたかについては、明らかになっていません。
プロポーズをしたのは、小西さんからなのだとか。
小坂忠さんの「好きなんだから」のレコードをかけて、長谷部さんに聞かせたそうです。
なかなか素敵なプロポーズですね。
小西さんと長谷部さんの間にはお子さんは生まれていないようです。
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