演歌歌手の原田悠里(はらだゆり)さん。
ヒット曲も多く出していますが年収はどれくらいなのでしょうか。
若い頃には父親に歌手の道を反対されましたが、母親が説得してくれたといいます。
高校時代は特に自慢できことがなかったことなどについてお伝えしていきます。
原田悠里のプロフィール
本名:原田 よしみ
生年月日:1954年12月23日
出身地:熊本県本渡市
最終学歴:鹿児島大学教育学部音楽科卒業
所属事務所:オフィスリリー
原田百合の年収は1000万超え?
演歌界の大御所の北島三郎(きたじまさぶろう)さんの愛弟子原田悠里さん。
2024年現在は60代後半になっています。
若い頃からヒット曲を出し、演歌界をけん引する存在の1人です。
独身を貫きここまできたようですが、結婚しない理由は原田さんの年収が高すぎで見合う男性がいないからだという噂もあります。
いったいどれほどいい年収なのでしょうか。
今回は原田さんの年収を調べていってみたいと思います。
まず、年収が明かされているかどうかですが、もちろん公表されていません。
演歌歌手がどれほど稼げるのかズバリな金額はわかりませんが、一般的に言われているのが演歌歌手の月収は45万円ほど。
年収にすると500万円を超える金額ですので、日本の平均的なサラリーマンより稼げる仕事のようです。
そして、原田さんの場合はヒット曲をだしている演歌歌手なので一般的な演歌歌手の年収には当てはまらず、比べられないほど上をいく収入を得ていることは確かです。
原田さんの公式ホームページでコンサートの情報を調べてみるとかなりの頻度で出演しているようです。
また、熊本放送ラジオで毎週レギュラー番組を担当。
テレビ出演などもしています。
新曲の発売も毎年コンスタントに行われており歌手活動が順調なことがわかります。
原田さんのリリースしたシングルの累計は100万枚を超える売り上げだということです。
老人ホームや公民館などでも歌を披露しているようです。
2023年には北島音楽事務所から独立をしていて個人事務所を設立。
仕事が順調なことを踏まえて、年収は1000万円を超えていると考えられます。
原田悠里の若い頃は音楽教師
2022年に歌手デビュー40周年を迎えた原田悠里さん。
ベテランの演歌歌手ですが、若い頃はどんな様子だったのでしょうか。
調べていってみましょう。
原田さんの小さい頃はあまり音楽とは近い環境にはいなかったようです。
ラジオで聴く歌謡曲に魅力を感じ、どんどん好きになっていき音楽が流れればどんなときでも歌ってしまう子に成長してきます。
大学は鹿児島大学教育学部音楽科に進学。
クラシック音楽やオペラなどの勉強をしていたそうです。
卒業後は歌手の道に進みたかったといいますが、父親に大反対をされ音楽の教員になっています。
原田さんは教員免許を持っていて、横浜市の公立小学校の教師として大学卒業後は勤務していました。
しかし、歌謡曲を歌いたいという気持ちは諦めきれず、音楽の先生をしながら夜はピアノの弾き語りのアルバイトをしていたそうです。
2年後には音楽教師を辞めました。
歌手になるチャンスにはなかなか恵まれず、原田さんは自分自身で北島三郎さんの事務所へ歌声のテープを送っています。
事務所からはクラシックの勉強をしているのに演歌に興味があるのは面白いと連絡があり北島さんの事務所に出入りができるようになりました。
それがデビューに繋がります。
20代後半になった1982年6月に「俺に咲いた花」でレコードデビュー。
当時はなかなかヒットに恵まれなかったといいます。
そして1985年にリリースした「木曽路の女」がミリオンセラーを記録。
原田悠里 – 木曽路の女 [1985.9.21]
作詞:やしろよう 作曲・編曲:伊藤雪彦
(最高53位 / 18.4万枚 / 1986年度 年間301位 / 1987年度 年間74位 / 1988年度 年間257位) pic.twitter.com/HX9lDkH1Y0— JMF (Second) (@JMFLibrary) May 1, 2022
その後も1999年に発売した「津軽の花」も大ヒットをしています。
母親と過ごした時間
原田悠里さんが歌手になりたいと言ったときに父親は大反対をしたということでしたが、母親はどんな反応だったのでしょうか。
父親については農業高校の教員であったことが明かされていますが、母親の職業の情報はありません。
原田さんは昔では珍しい一人っ子で育てられています。
歌手を目指し東京でお風呂も付いていないアパートで生活をしていたという原田さん。
ある日、そんな生活をしている娘を故郷の熊本へ連れ戻そうと父親が上京してきたそうです。
強引に連れ戻そうとする父親に母親が頑張っているのだからもう少しやらせてほしいと懇願。
原田さんに助け舟を出してくれたのだといいます。
父親は涙を流しながらその言葉を受け入れたそうです。
原田さんの母親はとても前向きで明るい性格で感情を表に出す人。
それを原田さんが受け継いでいるんだといいます。
父親が亡くなってしまった後は母親を東京へ呼び寄せました。
度々原田さんのコンサートを見に来ていたといいますので、娘を溺愛し応援していたことがうかがえます。
晩年は車いすでの生活になっていたようなのですが、そのような状態でもコンサートへ足を運んでくれていたそうです。
原田さんは自身のブログで母親が亡くなったことを報告。
享年99歳ということでした。
原田さんの一番の応援団だったようなので悲しみは深いものだったでしょう。
原田悠里の高校時代は地味だった
原田悠里さんは熊本県立天草高等学校を卒業しています。
高校時代の原田さんはどんな学生だったのでしょうか。
以前、原田さんが母校を訪問した際に話した内容によると「特に自慢の出来ることのない、地味な三年間を過ごした」ような高校生活を送ったことを明かしています。
今でこそ華やかな世界でスポットライトを浴びる様な生活をされていますが、高校時代は目立った学生ではなかったというですね。
原田さんは父親が教師ということもあり、彼女自身も先生になるよう言われて育っています。
ですので、大学進学が必ずしなくてはならず、高校時代は勉学に励んでいたのではないでしょうか。
ただ、子供の頃から「歌手」になる夢はずっと持っていたとはっきりと明かしています。
大学は鹿児島大学教育学部音楽科へ進んでいて、教職も持っています。
高校時代から成績は良かったのではないでしょうか。
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