数世代先の子孫まで、とてつもない財を築いたであろう手塚治虫(てづかおさむ)さん。
では妻や子供はいったいどんな人で、今何をしているのでしょうか。
もはや偉人と言っても過言ではない手塚治虫さんの、気になるご家族の現在についても調査してみました。
手塚治虫のプロフィール
生年月日:1928年11月3日
出身地:兵庫県宝塚市
身長:173cm(諸説あり)
血液型:詳細不明
最終学歴:大阪帝国大学附属医学専門部
手塚治虫の息子・手塚眞とは
手塚治虫さんと妻悦子さんの間には、1男2女と3人の子供がいます。
長男の名前は手塚眞(てづか まこと)さんといいます。
1961年生まれの彼は、2023年で61歳を迎えられるようです。
映画『白痴』舞台挨拶に主演の甲田益也子さんが来てくれました。当時から伝説の人は今も伝説。変わらぬ神秘的な存在感。シアター・イメージフォーラムで11 月6日まで。https://t.co/HUc92c95lH #手塚眞 #坂口安吾 #浅野忠信 #日本映画 #dipinthepool pic.twitter.com/Gh0LcsR9d9
— Macoto Tezka (@MacotoTzk) November 1, 2020
写真を見ると、どことなく父治虫さんの面影があるのではないでしょうか。
そんな眞さんの2023年現在は、ヴィジュアリストという肩書で、映像全般に関するクリエイターとして活動中であることがわかりました。
またそれだけでなく、手塚プロダクションの取締役や、東京工科大学メディア学部の客員教授などを兼任しています。
他にも、有限会社ネオンテトラの代表取締役、出身地でもある兵庫県宝塚市の大使を務めるなど、様々な方面で活躍されていることがうかがえます。
監督を務めたテレビアニメ「ブラック・ジャック」では、東京アニメアワードの優秀作品賞を受賞。
監修を行った漫画「PLUTO」がメディア作品賞を受賞するなど手腕が高く評価されています。
2019年には、父手塚治虫さんが原作かつ、数ある手塚作品の仲でも問題作として知られる「ばるぼら」の映画監督も務めたことでも大変話題となりました。
ルスカ国際ファンタスティック映画祭にて監督賞も受賞した今作は、彼の代表作ともいえるでしょう。
このように仕事で大成をおさめている眞さん。
プライベートでは、1989年に漫画家の岡野玲子さんと結婚されています。
彼女の代表作には漫画「陰陽師」などが挙げられる、有名な漫画家の方です。
驚きのエピソードとしては、岡野さんは眞さんと結婚をするまで手塚治虫さんの作品を読んだことがなかったのだそう。
結婚することになり、あわてて読んだのだといいます。
一方で、手塚治虫さんもそれまでに岡野さんの作品を読んだことがなかったそうなので、お互い様なのかもしれません。
もしかすると、案外に同業者というのは、そういうものなのかもしれません。
ちなみに、2人の間にお子さんがいるかどうかは、はっきりとわかっていません。
優秀な手塚家のDNAが途絶えてしまうことを心配するファンも多いようです。
いつかその詳細が明かされる日が待ち遠しい限りです。
手塚治虫の娘・るみ子と千以子とは
長女の名前は手塚るみ子さんといいます。
彼女は、プランニングプロデューサーであり手塚プロダクションの取締役でもあります。
他にも、有名漫画家の子供、すなわち二世たちによる交流会「二世会」を主宰するなど、少々ユニークな方のようです。
彼女が33歳の時には、自身の肩にアトムのタトゥーを掘ったのだとか。
いかに父の作品を愛し、尊敬しているかが伝わります。
そんな手塚るみ子さんの夫は、漫画家の桐木憲一さんなのだそう。
父である手塚治虫さんと同じ職業の方と結婚したのは、なにか運命的なものを感じらるのではないでしょうか。
名字は桐木さん側が手塚姓に改めたそう。
手塚姓を乗れることは、漫画家にとって光栄なことなのかもしれません。
ちなみに、2023年現在で、るみ子さん夫妻の間にもお子さんは誕生していないようです。
そして、次女は手塚千以子(ちいこ)さんという方です。
彼女は、学生時代に”立教大学劇団テアトルジュンヌ”に所属し、演劇に励んでいたといいます。
千以子さんが演劇に興味を持ったのは、父治虫さんの影響だったのだとか。
大学卒業後は一般企業に就職するも、やはり舞台への夢を断ち切れず、演劇に理解のある会社に転職し、その後は役者としての活動にも邁進していたといいます。
そして彼女が29歳の時に、企業広報誌などの編集を手掛ける阿部隆二さんという4歳年下の男性と結婚しています。
千以子さんの情報はここまでしか明らかになっておらず、その後女優として大成したのかなどは不明のままです。
手塚治虫さんの娘であれば話題になっても不思議ではないのですが。
もしかすると結婚して家庭に入ってからは、芸能界から引退したのかもしれません。
手塚治虫の妻は親戚で幼馴染
手塚治虫さんは1959年に岡田悦子さんと結婚。
2人は血のつながりはないものの、親戚であり幼馴染でもあったそうです。
1952年に医師免許を取り「鉄腕アトム」を連載していた手塚治虫さん。
翌年の1953年には「リボンの騎士」の連載が始まるなど、結婚した時期はちょうど第一次の全盛期真っただ中。
そのため手塚治虫さんと悦子さんは結婚前のデートは2回だけだったそうです。
しかも手塚治虫さんは結婚披露宴の1時間前まで原稿を書いていたという多忙ぶり。
タイプの女性は「鉄火肌のおもしろい子」だったという手塚治虫さん。
悦子さんが通っていた学校が「酷い方で一流」だったことから結婚したそうです。
結婚してみると期待外れだったそうですが、3人の子宝に恵まれていることから幸せな結婚生活を送っていたことでしょう。
手塚治虫の死因は胃癌
1989年2月9日に半蔵門病院で亡くなった手塚治虫さん。
死因はスキルス性胃癌。
手塚治虫さんがスキルス性胃癌と診断されたのは1988年11月のこと。
上海で開催されたアニメーションフェスティバル終了後に倒れたことで入院・診断を受けスキルス性胃癌が発覚しました。
当時は患者に癌を告知しない慣習だったことから、手塚治虫さんも癌だとは告げられませんでした。
ですが、手塚治虫さんは自分が胃癌であることに気付いていたともいわれています。
その理由が「ネオ・ファウスト」という作品。
「ネオ・ファウスト」は手塚治虫さんが病院のベッドで連載していた漫画です。
この作品の主人公も胃癌となります。
医師からはそのことが伝えられないものの、胃癌であることを知っていて最後には亡くなってしまいます。
主人公の置かれた状況が完全に病床の手塚治虫さんと一致しています。
この一致は単なる偶然では済ませられないのではないでしょうか。
手塚治虫さんの最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」。
いかに漫画を愛していたかが痛いほど伝わってくる一言です。
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コメント
>優秀な手塚家のDNAが途絶えてしまうことを心配するファンも多いようです。
手塚治虫はフツーに孫おるだろw
「ブラックジャック創作秘話」を読んだファンなら誰でも知っとるわ
数世代先の子孫まで、とてつもない財を築いたであろう手塚治虫(てづかおさむ)さん。
「版権チューチュー」これにつきますね(笑)
1989年2月に亡くなってるのに、
「1989年に結婚」??
違うと思う。
ちゃんと確認しな。