元トレンディ俳優で現在はバライティ番組にも数多く出演されている石田 純一(いしだ じゅんいち)さん。
父親は元NHKアナウンサーですが、母親や姉、実家はどうなっているのでしょう。
なんでも、お姉さんはピアニスト兼会社社長として活躍しているやり手の人物なのだとか。
他にも大学中退、トレンディ俳優時代の石田さんの過去にも迫ります。
石田純一のプロフィール
芸名:石田純一
本名:石田太郎
生年月日:1954年1月14日
身長:177cm
出身地:東京都
最終学歴:早稲田大学
所属事務所:メロン
石田純一の父はアナウンサーで母は被爆者?
石田純一さんの父親は、元NHKアナウンサーであることは有名です。
名前は石田武(いしだ たけし)さんと言って、アポロ11号の月面着陸の時には現地に行きその様子を日本に伝えるという大役も務められています。
石田純一の父、石田武はNHK時代、アポロ11号月面着陸を実況中継。https://t.co/4AKfR42bYL
戦国武将石田三成の末裔、石田純一。
彼も上級国民。
ホリエモン含め、上級国民は宇宙利権にも関与し国民に嘘を撒き散らす。
上級国民とは?詳しくはこちら↓https://t.co/60DPs7fwMu pic.twitter.com/Crg0I06Dgi— ”ねこっち”(社会派大喜利) (@B1U3rgXOvpqqhB3) January 6, 2020
そんな父武志さんですが、元々はアメリカの牧場で働くべく、陸軍の獣医を目指して麻布獣医専門学校を卒業されたそう。
しかし、終戦後に大勢の獣医が復員したため職に困ることに。
そのため、ひとまずはGHQの在日米軍基地で、家畜の世話していたといいます。
その後、その英語力を活かそうと考え、NHK報道員に応募したところ見事に採用され、アナウンサーとして活躍することとなりました。
しかしながら、NHK在職中に脳卒中で倒れて後遺症が残り、退職後は長い闘病生活を送っていたのだそう。
そして63歳という若さで亡くなられています。
もしかすると、NHK時代の多忙な生活が、彼の寿命を蝕んだのかもしれません。
一方で、石田さんの母親ですが、実は被爆者であることを息子である石田さん自身が明かしています。
母親である静枝さんは、2007年に白血病で亡くなられていますが、広島市の残留放射線を浴びてしまい被爆されたそうです。
当時、女学生だったという静枝さん。
原爆投下後の後片付けに行かされ、そこで被爆してしまったといいます。
当時はまだ核兵器の恐ろしさや、プルトニウムの恐ろしさがあまり知られていない時代でしたので、静枝さんのように残留放射線で被爆した人が多くいました。
だからこそ、息子である石田純一さんは原子力発電所などの存在に警鐘を鳴らしていきたいといいます。
それでも石田さんと姉を健康に出産されたことは、母親にとってもとても幸せな事だったのではないでしょうか。
石田純一の姉はピアニストって本当?
石田さんには1人姉がいて現在はピアニストとして活動されています。
名前は「石田桃子」さんといい、2023年で73歳を迎えられるそう。
爆報!THEフライデー|TBSテレビに、石田純一さんの姉として紹介されています。
— 石田桃子〈プロモーション事業部〉 (@ishidamomoko) November 18, 2011
6歳の時に、父武さんがNHK特派員に任じられたことをきっかけにアメリカに移住し、アンソニー・ダミーゴさんの元でピアノを学んだといいます。
そして桐朋女子高等学校音楽科にてピアノと作曲を学び、桐朋学園大学音楽学部作曲理論科を卒業しています。
近年では、コンサート以外にも、ラジオパーソナリティーやテレビ出演、講演会などにも積極的に取り組んでいるとのことでした。
また、過去には石田純一さんのコンサート及びディナーショウにゲスト出演を果たすなど、仕事の面でもつながりがあるようです。
他にも、自ら率いるバンド「石田桃子&グローバル・ルネッサンス(地球維新・地球復興)」としても活躍しています。
しかもピアニストだけではなく、「グローバル・ルネッサンス」という会社を立ち上げ、社長として活躍中です。
こちらの会社は、東京都練馬区の氷川台に拠点を構える会社のよう。
法人として構えたのが2015年とのことですが、具体的な事業内容などは明かされていませんでした。
今後大きな動きがあるかもしれません。
石田純一の経歴!大学を中退
1954年1月14日生まれの石田純一さんですが、出身は東京都目黒区という生まれた時から生粋のお坊ちゃんだったようです。
その後アメリカのワシントンへと生活を移し、4歳までアメリカで育ちます。
高校は渋谷区の東京都立青山高等学校を卒業し、早稲田大学商学部へと進学しました。
大学在学中に演出家になりたいと思い、演劇を学ぶために再びアメリカへと渡っています。
演劇に目覚めた石田さんはアメリカから帰国後、早稲田大学を中退し「演劇集団 円」という劇団に入団しました。
入団後、下積み生活を送った石田さんですが1979年にNHKで放送されたドラマ「あめりか物語」にて俳優デビューをはたします。
デビュー当時、石田純一さんは”石田純”という芸名だったそうです。
1984年に昼ドラマ「夢追い旅行」に準主役で出演したことをきっかけに知名度が上がりカッコイイルックスと面白いトークが受け大人気となります。
石田純一のトレンディ俳優時代
元祖トレンディ俳優として大人気だった石田純一さんですが、俳優デビューは26歳と当時では遅い方でした。
今となっては想像もつきませんが、昔はドラマに出演するまでかなり苦労されたそうです。
事務所の社長にまで無理と言われたこともあったのだそう。
そんな中、石田さんは”ターシャ・テューダ”さんという絵本作家のある言葉を信じて頑張ったそうです。
「夢を持ち、思い描いた通りに努力すれば大抵のことは実現出来る」
いくつかのテレビ出演はあってもなかなか売れることが出来なかった石田純一さんは事務所から「もう辞めなさい」と勧告を受けたそうです。
それでも諦めることが出来なかった石田純一さんは「あと1年だけ一生懸命やってみよう」と決心され、見事ドラマ「抱きしめたい!」の準主役を掴みました。
それからは仕事も増え順調な毎日を送っていましたが、1996年には不倫騒動が原因で出演していたテレビ番組やCMを全て降板してしまいます。
仕事がなくなり、収入も激減。
家賃や税金を支払うのもままならない生活を送っていたそうです。
昔はバライティ番組にイケメン俳優が出演することはとても珍しかったのですが、徐々にバライティ番組への出演が決まり仕事が安定し始め、今に至ります。
スカウトを受けて淡々と俳優への階段を上っていったのかとおもったら相当な苦労をされていたようです。
ですがそんな苦労を経験しているからこそ面白い石田純一さんを見ることができるのかもしれません。
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