鼻眼鏡のとぼけた風貌で今もなお愛される三木のり平(みき のりへい)さん。
桃屋のキャラクターが変わらない限りは人々の心に生き続けることでしょう。
三木のり平のプロフィール
本名:田沼則子(たぬま ただし)
生年月日:1924年4月11日
身長:不明
血液型:不明
出身地:東京府東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)
最終学歴:日本大学
所属事務所:東宝(最終所属)
三木のり平の息子もコメディアン
あまりプライベートが知られていない三木のり平さん。
時期やお相手の情報は分かりませんが既婚者。
また、人数は分かりせんが子供もいます。
三木さんの子供で唯一情報が分かっているのが小林のり一さん。
偉大な父の背中を見て育ったからか、コメディアンとして活躍しました。
テレビに出演することが殆どなかったので小林のち一さんを知っている人は少ないでしょう。
ですが、古今亭志ん生の最後の弟子でもある小林のり一さんの笑いセンスは永六輔さんや立川談志さんも評価する程。
笑いに厳しい立川談志さんに認められるとは相当凄いことですよね。
また、小林のり一さんは「のり平」が出演する桃屋のテレビCMでナレーションを務めています。
小林のり一さんの姿を見た事がなくても声は頻繁に耳にしていたようです。
父の真似ではなく独自の演技を
桃屋のナレーションを父から引き継いだ小林のり一さんは、急に声が変わることでファンが寂しがることを考え、最初は父の声に寄せていたそうです。
その声は、本当にそっくりで、「似てる」と評判になりました。
ところが、そのうちに声が似ていないものを収録すると、「最近は小林のり一じゃなくなった」と言われることもあったようです。
声を変えた理由には、三木のり平さんの仕事から学んだことが影響しています。
お父さんは、芸の鬼でしたから、CMでも役になりきってるでしょ。
徹底的に役になりきる父の姿を思い出し、役に合わせることを意識し始めたのだとか。
三木のり平さんが息子の仕事を見ていたら、やはり自分らしく演じるようアドバイスしたのかもしれません。
2022年7月に死去
小林のり一さんは、2022年に亡くなったことが報道されています。
あまり詳しい情報は公開されていませんが、死因と亡くなった場所については明らかになっています。
小林 のり一氏(こばやし・のりかず=ボードビリアン、コメディアン、本名田沼則一=たぬま・のりかず)6日、心不全のため東京都の自宅で死去、71歳。
「桃屋のCMといえば小林のり一」という世代にとって、突然の訃報は寂しいニュースだったことでしょう。
このときは、多くの著名人が追悼のコメントを発表しました。
ゴールデン街で夫婦ともども機嫌よく飲んで、機嫌よく朝帰りをして、機嫌よく横になって、夕方には息をしてなかったという。これを大往生と言わずしてなんと呼ぶべきなのか。小林のり一よ、見事な幕の引き方だ。羨ましいぜ。向こうには志ん生も談志も志ん朝もいるぜ。そこでゆっくり機嫌よく過ごせや。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) July 8, 2022
小林のり一さんは79年のガロの漫画『青春の汗は苦いぜ』(電脳MAVOで今でも読めます)で知りました。湯村輝彦とはまた違うテイストの、当時の言葉で言う、ヘタウマ漫画で大好きだった。「んや、あずいときは、あずいおじゃをのんだほーが、あどがすずつくなるん」「いいぞう 円生」お疲れ様でした。 pic.twitter.com/0nAmQsAAPY
— 唐沢なをき (@nawokikarasawa) July 9, 2022
小林のり一さんのご冥福をお祈りします。https://t.co/Q3HwNisOmm pic.twitter.com/hKy1ZDjICw
— 森下裕美@ゴマちゃん/青少年アシベ6巻7月12日発売! (@Morishita_oop) July 10, 2022
親子でかかわった桃屋の仕事は、これからも長く語り継がれていくことでしょう。
三木のり平の孫は田沼遊歩
三木のり平さんの孫は、ものつくり株式会社で活躍する田沼遊歩さんです。
インタビューでは、孫から見た祖父の姿を語ったことがあります。
陽気にベラベラしゃべるってことは、
ぜんぜんなかったです。
むしろ、人前で何か食べる姿さえも、
見せたくないという人でした。
こうした生前の様子を振り返った田沼遊歩さんは、仕事モードと素の状態をうまく切り替えられなかったと考えているようです。
三木のり平さんにとっては、演技をしているときの自分こそ通常モードであり、食事などの日常的なことは非日常の世界だったのだとか。
そうした逆転した意識があったからこそ、食事を誰にも見せたくなかったのかもしれません。
とはいえ、子供の頃にそんな行動を見ていた田沼遊歩さんは、理由がわからず不思議な気持ちになっていたのではないでしょうか。
三木のり平の妻の死因は不明
三木のり平さんは、奥さんについての詳しい情報を、ほとんど公表していないようです。
そのため、死因についてもよくわかっていません。
亡くなった時期については、三木のり平さんが69歳になる1993年という説があります。
ですが、それ以上のことは不明であり、奥さんは一般人と思われます。
子供たちが大きくなり、独立したあとは、一人暮らしだったという三木のり平さん。
奥さんがいない家で、寂しい思いをしていたのかもしれません。
三木のり平と似ている大村崑
今の若い人達には「鼻眼鏡」で思い浮かべるのは大村崑さんではないでしょうか。
若い頃から三木のり平さんに見た目や雰囲気が似ていた崑さん。
自分に似ていたからか三木さんは大村崑さんのことを可愛がっていたようです。
また時代劇コメディの「とんま天狗」では崑さんの父親役で出演しています。
この時に「鼻眼鏡」の芸を大村崑さんに譲ったそうです。
ですが、似ているということは良いことばかりではありません。
三木のり平さんは大村崑さんに間違えられ怒りだしたことがあるそうです。
ですが、この時の三木さんは酔っ払っていたそうなので、もし素面であれば面白い返しをしていたことでしょう。
一方の大村崑さんも三木のり平さんに間違えれて
こんちゃん、孫が食が細かったんだけど、『江戸むらさき』のおかげでよく食べるようになって、柔道部に入ったんですよ
と声をかけられたことがあるんだとか。
きっと大村崑さんは大先輩に間違えられて恐縮してしまったでしょうね。
三木のり平といえば桃屋ごはん
大きな鼻に鼻先まで下した丸眼鏡のキャラクター「のり平」でおなじみの桃屋。
このキャラクターのモチーフとなっているのが三木のり平さんです。
今もなお続くのり平が出演するコマーシャルが最初に放送されたのは1958年。
半世紀以上も人々に愛されるキャラクターとなっています。
人気キャラクターのモデルとなった三木のり平さん。
コメディアンの印象が強いですが東宝と専属契約を交わし映画に主演するなど人気俳優でもあります。
また、演出家という顔を持ち、森光子さんの代表作と言える舞台「放浪記」の演出を担当していました。
「放浪記」や「雪之丞変化」の演出により菊田一夫演劇賞や読売演劇大賞を受賞するなど演出家としての三木さんも高く評価されています。
今やお笑い界の重鎮の一人である志村けんさんがコメディアンを志したのも三木のり平さんがきっかけ。
出演する「雲の上団五郎一座」を見てコメディアンを目指したんだとか。
芸能界に多大なる足跡を残したことが良く分かりますね。
吉永小百合とキスをして泣かせた?
年齢を重ねた今もなお美しさを保つ大女優の吉永小百合さん。
女優として活動するには避けて通れないのがキスシーン。
吉永小百合さんは15歳の時に出演した映画でキスシーンがありました。
キスシーンの相手役だったのが三木のり平さん。
この時のキスシーンが公私ともに初めてのキス、つまりファーストキスだったという吉永小百合さん。
いくら仕事と分かっていてもキスシーンには強い抵抗があったのでしょう。
撮影後には悲しさのあまり号泣してしまったそうです。
吉永小百合さんはこの時のキスシーンは唇にキスしたと記憶していたそうです。
ですが実際の映像を見るとキスは唇ではなく額へのキスでした。
ただ、この時の関係者の話によると吉永小百合さんがあまりにも激しく泣いていたために違うテイクの映像と差し替えた可能性があるそうです。
当時の吉永小百合さんの人気を考えると唇へのキスシーンが使われいたら三木のり平さんは命の危険があったかも。
今も昔も熱狂的なファンというのは何をするか分かったものではありませんからね。
三木のり平はセリフを覚えない?
「現場で台本を見ない」、「台本数ページの長台詞を完璧に覚える」などセリフ覚えの良さが逸話として語られる俳優がいます。
ですが、三木のり平さんはセリフを全く覚えようとしなかったそうです。
セリフを覚える代わりに火鉢や小道具などにセリフを書いた紙を貼っていたんだとか。
確かにそうすることでセリフを覚える必要はなくなりますね。
並みの俳優が同じことをしたら間違いなく監督を始め共演者から顰蹙を買ってしまいます。
三木のり平さんだからこそ許される芸当ということですね。
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