独特な雰囲気を持ち、幅広い役をこなせるイメージの女優・岸田今日子(きしだきょうこ)さん。
声優や童話作家などとしても知られる多彩な女性でした。
そのため2006年に彼女が亡くなった際には多くの人がその死を悼みましたよね。
岸田さんの死因や若い頃の話、樹木希林さんやとんねるずとの意外な関係についてもまとめてみました。
岸田今日子のプロフィール
本名:岸田今日子(きしだきょうこ)
生年月日:1930年(昭和5年)4月29日
身長:156cm
出身地:東京府豊多摩郡(現・東京都杉並区)
最終学歴:自由学園高校卒業
所属事務所:演劇集団 円
岸田今日子の死因は脳腫瘍
岸田今日子さんは2006年12月、脳腫瘍による呼吸不全のため東京都内の病院で亡くなりました。
突然の訃報には驚かれた方も多かったのではないでしょうか。
それもそのはず、実は亡くなる前年の暮れまでは精力的に仕事をこなしていたのです。
2005年11月には舞台『オリュウノオバ物語』、12月にはドラマ『あいのうた』にも出演、コンサートの舞台にも立つなど元気な様子を見せていました。
しかし彼女は年が明けた1月下旬に体調を崩します。
頭痛などの症状があったため医療機関で検査を受けたところ脳腫瘍が発覚。
この時すでに脳腫瘍は手術が出来ない状態だったため、その後は投薬治療を続けていました。
8月ごろに一時危篤状態になりながらも持ち直し、その後は小康状態が続いていたと言います。
亡くなる前日までは見舞客らと言葉も交わしていたようですが、17日に容態が急変。
最期は長女の西條まゆさんら家族に看取られながら息を引き取りました。
実は元夫の中谷昇さんも同年の11月に亡くなっており、まるで元旦那の後を追うように彼女も逝ってしまったようです。
76歳でこの世を去った岸田今日子さん、現在は多磨霊園で静かに眠っています。
岸田今日子の若い頃
岸田今日子さんは若い頃文学座の舞台でデビューし、実力派女優として活躍していました。
女優を志したきっかけはあの大女優の娘役の経験から
岸田さんは高校を卒業すると文学座付属の演技研究所に入ります。
実はこの時は裏方である舞台美術見習いとしての入所でした。
ところがある日、研修生全員参加のオーディションを受けたところ看板女優・杉村春子さんの娘役に合格してしまいます。
その作品こそが1950年の舞台『キティ颱風』、岸田今日子さんの女優デビュー作なのです。
ちなみに劇作家で文学座の創設者でもある父・岸田國士さんは娘が女優になることには猛反対だったそう。
一方の娘はこの時名優たちと稽古をするうちに芝居の楽しさに目覚め、女優として生きていこうと心を決めたそうです。
一時は文学座を離れるも、再び女優復帰
女優を目指すようになった岸田さんですが、それを何とか阻止しようとする父親の意向によりフランスへ留学することになり、フランス語を本格的に学ぶことになりました。
そのため一時は文学座を離れていた時期があります。
しかしそんなある日、父親が結核にかかり留学は断念。
1952年には文学座に戻り『狐憑』で正式に舞台デビューを果たします。
翌年には『にごりえ』の端役で映画デビュー、以降は舞台・映画・テレビドラマ・声優としても活躍しました。
1960年にはあの三島由紀夫さんが演出を務めた『サロメ』の主役に。
三島由紀夫先生と岸田今日子さん。 pic.twitter.com/gBw9CSxyFX
— 濹東キネマ☆濹東名人会 (@bokutoukinema) April 10, 2020
岸田今日子さんと三島由紀夫さん、今となっては物凄いツーショットですね。
彼女はその後も次々と様々な作品の主役に抜擢されます。
初めから女優志望ではなかった彼女ですが、芝居の世界で大いに才能を開花させた印象ですね。
数々の映画・テレビ出演、女優賞を受賞し実力派女優の地位確立
舞台女優としてデビューした岸田さんですが、徐々に映画やテレビにもその活躍の場を拡大。
1962年『破戒』で毎日映画コンクール助演女優賞、1964年『砂の女』でブルーリボン賞を受賞するなどその実力が高く評価されるようになります。
テレビドラマだと1963年『男嫌い』に出演。
同作が当時の流行語まで生み出すほどの人気作だったこともあり、彼女の世間一般での認知度が飛躍的に向上することに繋がりました。
岸田今日子がムーミン役を引き受けた意外な理由とは
岸田さんが大人気アニメの声優を担当した背景には、愛娘の存在があったそうです。
岸田今日子さんと言えば女優以外にもムーミンの声優としてもお馴染みですよね。
1969年~70年、1972年、1979年のテレビアニメ『ムーミン』で主人公のムーミン・トロール役を演じました。
女優である彼女が子供向けアニメの声優をすることになった理由は、実は自身の娘のためだったようです。
どういうことなのでしょうか。
岸田さんは元夫・中谷昇さんとの間に1968年長女を授かっています。
幼かった娘は母・今日子さんが仕事に出かけるたびに「どこへ行くのか」を尋ねてきたそう。
それに対し岸田さんが「仕事に行く」と返事をすれば、今度は「どんな仕事か」という質問が返ってきたのだとか。
岸田さんは女優という仕事を幼い娘にどう説明すればいいのかに困っていたようです。
そこで「説明が難しいならどんな仕事か見せるのが一番」だと思いつき、幼い子供にもわかりやすいアニメの声優の仕事を引き受けたそうなのです。
岸田さんと言えばムーミンというほど彼女の代表作の一つとなったこの作品。
引き受けた理由は意外なものだったのですね。
タレント吹き替えというと微妙かもしれないが、岸田今日子さんのムーミン。我々世代はこれで育った。 #最高のタレント吹き替えを挙げる pic.twitter.com/UiQ0oRh4Ls
— はこオヤジ42 (@hakomarublog) May 15, 2019
岸田今日子と樹木希林との意外な関係とは
故・樹木希林さんと岸田今日子さんは実は親戚関係だったことがあるのです。
日本を代表する大女優の2人にどんな繋がりがあったのでしょうか。
樹木希林さん(当時は悠木千帆)は1964年、俳優・岸田森さんと1度目の結婚をしました。
ちなみに樹木希林さんの旦那といえば、「内田裕也さんじゃないの?」と思う方が多いでしょうが、内田さんは2人目の夫だったのです。
話を元に戻すと、この樹木さんの一人目の夫・岸田森さんが岸田今日子さんの従妹にあたるのです。
なので岸田さんから見ると樹木希林さんは従妹の妻だったわけですね。
しかし結局樹木さんと岸田さんは1964年には離婚していますから、その後は親戚ではなくなるのですが。
大女優の2人には過去に意外なつながりがあったのですね。
岸田今日子が『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演していたって本当なの
とても意外な感じはしますが、岸田今日子さんは『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演していました。
大女優の岸田さんですが、実はこのバラエティ番組内のコントコーナーに登場。
『連続テレビ小説 保毛尾田家の人々』という、石橋貴明さん演じるゲイキャラの男性が主役のコントでは保毛男の姉役、『われら定時制高校野球部』ではモトコマチ校長役などを務めました。
コントの放送当時60代前後になっていた岸田さんですが、この番組への出演もあって当時の若年層にも高い知名度を獲得しました。
彼女が幅広い年齢層に知られた存在だったのは、こういう意外な仕事の産物でもあったようです。
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