岸田今日子の娘・まゆ。夫・仲谷昇との関係。孫を弟呼び。父親は岸田國士。岸田森が弟はデマ

舞台・映画・ドラマなどで独特の存在感を放った個性派女優・岸田今日子(きしだ きょうこ)さん。

悪役・敵役などとして異彩を放つ一方、1969年から放送されたテレビアニメ『ムーミン』では主人公・ムーミンの声を担当しました。

実はムーミンを演じた理由は娘のためだったそうですので、今回は娘さんの詳細を確認していきましょう。

また俳優だった夫・仲谷昇さん、孫、父親の劇作家、弟の情報も解説します。

岸田今日子のプロフィール

本名:岸田今日子

生年月日:1930年4月29日

死没:2006年12月17日

身長:156cm

出身地:東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)

最終学歴:自由学園高等学校

岸田今日子の娘は西條まゆ

今日子さんの娘は西條まゆさんという女性です。

母子家庭で育ったため、母との関係は親密で良好だったとされています。

1954年、今日子さんは自身と同じ劇団文学座の俳優だった、仲谷昇さんと結婚しました。


仲谷さんはインテリ風の二枚目俳優として知られていました。

今日子さんの映画デビュー作である1953年の『にごりえ』には、仲谷さんを含む、文学座メンバーが出演しています。

同作を確認すると、非常にかっこよく、知性的な男性だったことがわかりますよ。

今日子さんは結婚直後に最初の妊娠をしていますが、多忙だった結果身体に負担がかかったようで、流産してしまいます。

2度目に妊娠したときは仕事を断り、1968年にまゆさんを出産しました。

今日子さんは出産や育児を経験しながらも、売れっ子女優としてほとんど休まず仕事をしていました。

結果的に仲谷さんとすれ違うようになり、1978年に離婚して、母娘2人の生活を送るようになったのです。

多忙な生活を送りながらも娘に深い愛情を注ぎ続けました。

1969年版・1972年版のアニメ『ムーミン』で、主人公ムーミンを演じたのは、娘に見せるためだったそうですよ。

まゆさんは片親の家庭でも寂しい思いをせず、優しい母の愛を受けて育ったのですね。

『ムーミン』は残念ながら今では再放送されていません。

このときの『ムーミン』はトーベ・ヤンソンの原作を、日本人が理解しやすいよう改変された作品でした。

その後、原作を忠実にアニメ化した『楽しいムーミン一家』が放送された結果、再放送されなくなってしまったのです。


それでもまゆさんにとっては、母が演じたムーミンこそかけがえのないキャラクターであり、作品自体も大好きだったに違いありません。

岸田今日子は夫・仲谷昇とおしどり夫婦だった

結果的には破局してしまったものの、今日子さんは夫で俳優の仲谷昇さんと、おしどり夫婦として有名でした。

「キリンビール」のCMに夫婦で共演したこともあり、公私ともにパートナーとして支え合っていたのです。

しかし今日子さんの評価が高まっていくにつれて、仲谷さんとしては自分の存在が小さく感じられてしまうようになったのかもしれません。

次第に多忙な妻との関係がうまくいかなくなっていったようです。

まゆさんからの「お父さんとお母さんは仲が悪いの」という質問をきっかけに、夫婦は離婚を決意しています。

世間に向けて「おしどり夫婦」と偽り続けるのも苦しくなっていたそうです。

しかし離婚後も2人は「演劇集団 円」で俳優として一緒に仕事を続けました。

夫婦としてはうまくいかなかったものの、俳優としては同志として支え合い続けたのですね。

仲谷さんは円を運営していた「株式会社円」の代表だった芥川比呂志さんの死後、代表取締役社長の座を引き継いでいます。

また1990~91年にフジテレビで放送された教養バラエティ番組「カノッサの屈辱」では、「教授」としてナビゲーターを担当しました。

世界の歴史についてわかりやすく理解できる深夜番組としてヒットし、仲谷さんはお茶の間で深く親しまれる存在となったのです。


2006年11月16日、慢性閉塞性肺疾患により77歳で死去。

ちょうど1か月後に今日子さんも亡くなっており、結果的には仲良く旅立ったように思えてなりませんね。

岸田今日子は孫を「弟」と呼んでいた

今日子さんは晩年、一人娘のまゆさん一家とともに暮らしていました。

家庭内では、なぜか母娘関係が逆転していたそうです。

今日子さんは「娘夫婦の長女」という設定でした。

立派に成長して家庭を持った娘さんを「お母さん」として考え、甘えてみたかったのかもしれませんね。

まゆさんには、今日子さんの孫にあたる息子が2人いました。

あくまで「娘」としての地位を貫こうとした今日子さんは、孫2人を「弟」と呼んでいたそうですよ。

孫兄弟のうちの兄は、祖母の気持ちを理解してか「おばあちゃん」ではなく「今日子ちゃん」と呼んでくれていました。

仲睦まじい一家のなんとも微笑ましいエピソードですね。

岸田今日子の父親は劇作家の岸田國士

今日子さんの父親は、昭和初期~中期を代表する劇作家の岸田國士(きしだ くにお)さんです。

戯曲『牛山ホテル』『チロルの秋』『紙風船』、小説『暖流』『双面神』などの代表作があります。

今日子さんが所属し、2023年現在まで続いている老舗・劇団文学座の創立者でもありました。

劇団では舞台で上演する戯曲の執筆をしたほか、自ら演出も担当し、幹部として俳優を指導した演劇人です。


國士さんは陸軍軍人の長男だったため、17歳で陸軍中央幼年学校に進学しています。

しかし軍隊生活が不向きだったのに加え、フランス文学に興味を持ち始めます。

陸軍士官学校を卒業して少尉に任官したものの、どうしても文学の道を志したくなった結果、軍籍を離れました。

28歳で父から勘当されたのち、東京帝国大学文科大学でフランス文学や演劇を学んだのち渡仏しています。

現地でもフランス演劇を学び、帰国後は劇作家・演出家として活躍。

1954年、63歳のときにゴーリキーの『どん底』を演出中に脳卒中で倒れ、そのまま亡くなりました。

業績を讃えて、劇作家を顕彰するために作られた「岸田國士戯曲賞」は、「演劇界の芥川賞」と呼ばれる権威ある賞として知られています。

岸田今日子の弟ではなく従兄弟が岸田森

國士さんを中心に偉大な演劇人が多い岸田一家。

よく今日子さんの「弟」と間違われるようですが、俳優の岸田森(きしだ しん)さんもまたこの一族の一員です。

実際には今日子さんの従兄弟ですが、彼女にとっては弟のようにかわいい存在だったようです。

森さんは1958年に大学を中退し、2年後に文学座附属演劇研究所に入所します。

ドラマ『氷点』の辻口徹役でピュアな演技を披露し注目されると、メロドラマに引っ張りだことなりました。

その後は映画『怪奇大作戦』の主人公・牧史郎役、映画『呪いの館 血を吸う眼』の吸血鬼役などでイメージチェンジに成功。

純朴そうな青年のイメージを払拭し、怪優としての地位を確立しました。


ドラマ『傷だらけの天使』では今日子さんと共演し、2人そろってかなりの異彩を放っています。

さらなる活躍を期待されていた1982年、食道がんにより43歳の若さで亡くなりました。

岸田一家の人々は演劇界・芸能界に多大な足跡を残したことがわかりましたね。

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