カルメンマキ、夫と結婚し娘あり。現在(2024)と若い頃の活動&逮捕の過去

カルメンマキさんは、69年にデビューし『時には母のない子にように』でブレイクした歌手です。

そんな彼女は結婚していますが、夫や娘は誰なのでしょうか。

また、2024年現在や若い頃の活動、逮捕された過去についてもご紹介します。

カルメンマキのプロフィール

愛称:不明

本名:伊藤牧

生年月日:1951年(昭和26年)5月18日

身長:不明

出身地:神奈川県鎌倉市

最終学歴:香蘭女学校高等学校中退

所属事務所:不明

カルメンマキ、夫との結婚時期は公表せず

カルメンマキさんは、サラリーマンの男性と結婚したことがわかっています。

しかし、調べたところ具体的にいつ結婚したのかははっきりしません。

また、夫についてもサラリーマンの男性という情報以外は何も見つかりません。


ちなみに、昔から彼女を知るファンは、彼女にシナトラというパートナーがいたと言います。

このシナトラさんという男性は、カルメンマキさんが当時所属していた劇団・天井桟橋の劇団員だったようです。

さて、カルメンマキさんとシナトラさんとの関係については、田原総一朗さんが大きく関与しています。

まだ、カルメンマキさんが歌手デビューする前のこと、当時田原総一朗さんが『「わたしたちは・・・・・」カルメン・マキの体験学入門』という番組を作りました。

そして田原さんは、カルメンさんの書いた小説的日記を再現させるべく、カルメンさんとシナトラさんを同棲させたのです。

単に同棲させるだけでなく、日記の記述に沿い2人に裸でパンを食べさせるなどしたというので衝撃的ですよね。

そうして、一緒に暮らすうちに2人は本当に愛し合うようになったとも明かしています。

これが本当だとすると、カルメンマキさんとシナトラさんは恋人だったことになりますね。

そうだとしたら彼がカルメンマキさんの結婚相手なのでしょうか。

これについては、「サラリーマンと結婚」という情報と合致しないので可能性は低いといえます。

仮にシナトラさんが劇団を辞めサラリーマンとなっていたとしても、以前パートナーとまで見られていた男性が相手ならはっきりと書かれるはずです。

結局カルメンマキさんの結婚した夫が誰かは分かりませんが、普通の一般人と考えて良さそうです。

カルメンマキの娘

カルメンマキさんには子供がいることが分かっています。

子供を授かったのは彼女が38歳の時で、性別は娘です。

カルメンマキさんは、1986年ごろから鳴瀬喜博さん松本孝弘さんなどがいたうるさくてゴメンねバンドに参加していました。

バンドはライブ活動を中心にし、87年にはライブ盤である『うるさくてゴメンねLIVE』を発表しています。

その後は89年ごろに長女を出産したと考えられ、育児に専念するという理由で音楽活動の休止を宣言しました。


彼女は当時のことについて、10代にして有名になってしまった自分が、歌手ではない人生・平凡な幸せを手に入れられると感じたと語ったことがあります。

そういう人生を大切にしいという思いから、家事・子育てに専念すべく芸能活動を休止したということでしょうね。

その想いはとても強かったとみられ、当初は本気で歌手を辞めるつもりだったとも明かしています。

しかし、結局は歌への情熱が捨てられなかったようで、その後歌手としての活動を再開させました。

娘は2024年現在35歳になると考えられますが、歌手である母親を応援しているのではないでしょうか。

カルメンマキ、現在(2024)の活動

カルメンマキさんは2024年現在も歌手として活動しています。

彼女の公式サイトを覗くと、オリジナル曲・カバー曲の歌唱をはじめ、トーキングソング・即興演奏の中での朗読など様々なスタイルで活動を続けているとのことです。

また、彼女のXアカウントではBio欄に「残り少ない人生で誰にも遠慮せず、言いたいことを言い、歌うたい歌を歌う」とあります。

デビュー曲がいきなりヒットした若い頃にはやりたくても出来ないことがあったことでしょうから、その分を今取り返しているところなのかもしれませんね。

さて、2019年にデビュー50周年を迎えたときには「17歳で社会に出てからずっと歌ってきたため、自分にはそれしかできない」と語った彼女。

それに付け加えて、「そういう生き方ができるのは聞いてくれる人がいるから」とも語っています。

この言葉通り、これからもファンへの感謝を忘れずに、生涯現役で頑張ってほしいですね。

カルメンマキの若い頃はミリオン歌手

カルメンマキさんは若い頃に妖艶な魅力で人気を得たアーティストです。

その活躍を物語るのが、彼女のデビュー曲の大ヒットではないでしょうか。

カルメンマキさんはアメリカ人の父親と日本人の間に生まれたハーフです。


そんな彼女は香蘭女学校高等学校に通っていた時に寺山修司さんが主宰する劇団・天井桟橋の公演を観劇しました。

そして、芸能活動を禁止していた学校を辞めて、同劇団の新人募集に応募したのです。

女子高生という若さで、そこまでの決断力と行動力があったというのはすごいですよね。

さて、劇団に入団した後は、若干17歳で主宰者である寺山修司さんが作詞した『時には母のない子のように』でデビューを果たしました。

このデビュー曲のヒットの仕方がとても印象的なのでご紹介します。

この曲はリリースされる前に亀渕アンコーさんのオールナイトニッポンで放送されました。

そうすると、ラジオ局に問い合わせが殺到したといいます。

その後は有線でさらに人気をあげ、なんとたった3か月でミリオンセラーを達成したというのです。

実はこの曲は、ラジオ番組・オールナイトニッポンがきっかけで生まれた初めてのミリオンヒットとも言われています。

若い世代にはピンとこないかもしれませんが、当時のラジオは今でいうSNSのような役割を果たしていました。

そのため、今でいうとSNSがきっかけで大ヒットしたようなものでしょうから、彼女が当時世間に当たえた衝撃の大きさが想像できますよね。

カルメンマキさんの若い頃は、独特の存在感と歌で世間を魅了したカリスマ歌手といったところではないでしょうか。

カルメンマキが逮捕された事件

カルメンマキさんは1980年9月に覚せい剤所持の現行犯で逮捕されています。

彼女は逮捕された日、在日軍人宅で大麻パーティーを行っていました。

そこに警察が踏み込み、覚せい剤が見つかり逮捕となったのです。

この時はすぐに釈放となったようですが、このすぐ後の11月に今度はヘロインの所持が見つかり再逮捕となりました。


一連の事件を受けて、彼女が所属するカルメンマキ&LAFFは活動停止となっています。

最近でも芸能界の薬物汚染問題は深刻ですが、昔も同じような状況だったようですね。

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