安井かずみの実家&莫大な遺産とは。死因は?葬儀後の夫(加藤和彦)が驚きの行動?沢田研二と付き合っていた?

昭和の歌謡界に残る数々の名曲を作詞した安井かずみさん。

溢れる才能と豪華な生活が当時は大きな話題となりました。

安井かずみと加藤和彦は理想の夫婦


郷ひろみさんの「よろしく哀愁」や竹内まりやさんの「不思議なピーチパイ」、和田アキ子さんの「古い日記」等の作詞を担当した安井かずみさん。昭和の歌謡界を語る上で外すことが出来ない名作詞家の一人です。

安井かずみさんが作詞家となったきっかけは高校生の頃。

文化学院油絵科を卒業し画家を目指していましたが在学中にアルバイトとして洋楽の歌詞を訳す仕事をしたことで作詞家の道を歩むことに。

安井かずみさんが作詞した数はおよそ4000曲。

日本レコード大賞の作詞賞を受賞するなど作詞家として高く評価されています。

そんな安井かずみさんは1967年に青年実業家の男性とローマで結婚するも翌年にはニューヨークで離婚。

「パリにドレスの仮縫いに行って来ます」
という書置きを残して安井かずみさんは家を出て行ったんだとか。

その後、1969年から1971年までパリで暮らすなどセレブな生活を送っています。

安井かずみさんがそれだけ作詞家として成功していたという事でしょう。

1971年に帰国した安井かずみさん。

1977年に8歳年下のミュージシャン、加藤和彦さんと再婚。

「ザ・フォーク・クルセダーズ」や「サディスティック・ミカ・バンド」などのメンバーとして当時の音楽シーンの先頭を走り続けていた加藤和彦さん。

安井かずみさんが作詞、加藤和彦さんが作曲を担当した楽曲が多数あるなど二人は公私に渡る名パートナーでした。

クリスマスプレゼントがポルシェや500万円もするカルティエのイヤリング。

著名人御用達のイタリア料理店のキャンティから特別に出前を取れるなど音楽業界で大成功を収めた二人の優雅な生活は世間から憧れの的。

安井かずみさんが病に侵された時、加藤和彦さんは全ての仕事を断って看病したそうです。

その献身ぶりには主治医も驚くほどだったとか。

互いに才能を認め合い、何を差し置いても互いに尽くす。

安井かずみさんと加藤和彦さん夫婦は世の中の多くの夫婦の理想像と言っても過言ではないでしょう。

安井かずみの実家は大金持ち

裕福な家庭だったという安井かずみさんの実家。

安井かずみさんの出身高校はお嬢様学校として知られるフェリス女学院高等学校。

間違いなく裕福な家庭であることが分かります。

当時はまだ海外旅行をする人が多くありませんでした。

そんな中で安井かずみさんは世界中を旅してまわり、貴族や著名人と交流を持っていたそうです。

裕福だから若い頃から色々な経験が出来て見識や人脈が広がる。

そして得られた知見を仕事で発揮する。

「お金のある所にお金が集まる」というのは本当のようですね。

安井かずみの死因

1994年3月17日に55歳という若さで亡くなった安井かずみさん。

死因は肺癌でした。

癌が見つかり余命1年と宣告をされた安井かずみさん。

副作用が強い抗がん剤での治療ではなくクオリティオブライフを優先する緩和治療を選択。


緩和治療を選択することは当時の日本ではまだ珍しかったそうです。

苦しい治療で寿命を少しでも伸ばすのではなく残された余命を充実させることを選んだ安井かずみさん。

闘病を支えるために仕事を全てキャンセルした加藤和彦さんと幸せな生活を送ったことでしょう。

安井かずみの葬儀後に夫が驚きの行動

肺癌のため55歳で生涯の幕を閉じた安井かずみさん。

夫婦ともにキリスト教信者だったことから葬儀はキリスト教式で行われました。

ところが葬儀の後で加藤和彦さんは驚くべき行動を取っています。

何と加藤和彦さんはあれほどまでに愛していた安井かずみさんの思い出の品を処分。

長年共に暮らした自宅も改築し安井かずみさんを記憶から消すかのような行動をしたのです。

さらに死別から1年も経たないうちにオペラ歌手の中丸三千繪さんと結婚。

この時、安井かずみさん関係の友人たちとも縁を切ってしまったんだとか。

奇怪とも思われる行動を取った加藤和彦さん。

中丸三千繪さんとは2000年に離婚。

2009年10月17日に首つり自殺をしてしまいます。

加藤和彦さんは安井かずみさんが亡くなった時、遺体を病院から引き取ることを拒否。

そのため、安井かずみさんの遺体は病院の安置所に4日間置かれたままだったそうです。

もしかすると加藤和彦さんは安井かずみさんが亡くなったことを受け入れられなかったのではないでしょうか。

そのため、安井かずみさんという人物はいなかったことにしたかったとも思えます。

安井かずみさんを忘れようと別の女性と結婚しても安井かずみさんを忘れられずに後を追ってしまったのかもしれません。

安井かずみは莫大な遺産を残した?


多くの大ヒットの作詞を手掛けた安井かずみさん。

CDの売上だけでなくカラオケの印税などで多額の収入を得ていたと言われています。

以前、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんが「女々しくて」のカラオケ印税について、最盛期には月1000万円、現在でも毎月20〜30万円を得ていると語っています。

1曲でも売れればこれだけの収入になるということで多数の楽曲で作詞を務めた安井かずみさんならば相当の収入があったことでしょう。

セレブな生活を送っていたのも納得です。

安井かずみさんが一体どれだけの遺産を残したのかは不明です。

ただ、莫大な遺産だったことは間違いないでしょう。

安井かずみは沢田研二と交際していた?

「客が少ない」という理由でコンサートを直前になって中止するなどお騒がせな印象が付いてしまった沢田研二さん。

人気が絶頂だったころは中性的な容姿と溢れる色気で「男ですら目が合っただけで孕む」とさえ言われていました。

そんな沢田研二さんにも詞を提供している安井かずみさん。

これは沢田研二さんの大ヒット曲「危険な二人」の歌詞の一部。

この「年上の女」は実は安井かずみさん本人だと言われています。

安井かずみさんがこの詞を思い浮かんだとされるのは沢田研二さんを車の助手席に乗せていた時。

そう、安井かずみさんと沢田研二さんは交際していたと言われているんです。

残念ながら二人は破局してしまいますが、人気作詞家と大スターが結婚していれば世間は大騒ぎとなっていたことでしょう。

沢田研二さんは安井かずみさんと破局後にザ・ピーナッツの伊藤エミさんと結婚。

これを機に安井かずみさんは沢田研二さんの楽曲の作詞を担当することはなくなりました。


破局したことで公私ともに疎遠となってしまった安井かずみさんと沢田研二さん。

ですが安井かずみさんが亡くなった時、沢田研二さんは「ZUZU Songs」というツアータイトルで安井かずみさんが作詞をした曲だけの公演を行っています。

ちなみに「ZUZU」は安井かずみさんの愛称です。

公私に渡るパートナーを解消したものの沢田研二さんにとって安井かずみさんは忘れられない人だったのでしょうね。

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