NGT48暴行被害事件が波紋を広げている総合プロデューサーの秋元康(あきもと やすし)さん。
放送作家、作詞家、プロデューサーとして、これまで多くの人気テレビ番組やヒット曲、アイドルグループを世に送り出してきました。
そんな秋元康さんの学歴や経歴を調査。
出身高校や出身大学などをまとめます。
秋元康はドロップアウト組?
『ザ・ベストテン』『とんねるずのみなさんのおかげでした』ほか多くの人気番組の企画構成を担当し、その後、作詞家として『川の流れのように』『なんてったってアイドル』をはじめ、数々のヒット曲を手がけてきた秋元康さん。
1991年には『グッバイ・ママ』で映画監督デビューも果たしています。
著書も多く、映像化された『着信アリ』シリーズや『象の背中』などがあり、さらには、おニャン子クラブやAKB48をプロデュースして
成功をおさめました。
まさに押しも押されぬ業界の大物プロデューサーですね。
けれども秋元さん自身は、放送作家の鈴木おさむさんとの共著『天職』(2013年6月13日発売)で過去にこんな告白をしています。
「東大に行って、官僚になりたかった。
ドロップアウトしてると思う」
この言葉は当時物議を醸したようです。
売れっ子プロデューサーが自らを「ドロップアウトした」とさらりと言ったことに不快感を抱いた人が続出。
ネットではアンチスレッドが立てられ、テレビ番組ではコメンテーターが苛立ちをあらわにしました。
「俺たちだって挫折経験があるんだぜ、みたいな。
ヤラシイよね。
『俺官僚になれなかったし人気プロデューサーになったけどドロップアウトだよね』って。
何が挫折だふざけんなって」
高校時代、ラジオ番組へ投稿したパロディー脚本がきっかけで放送作家になった秋元康さん。
志望していた東京大学へ進学できず、そのまま放送作家の道へ進みました。
小学生の頃は、体は弱かったものの成績はよく、優等生だったそうです。
当初の目標は、開成中学、開成高校、東京大学というコース。
ところが中学受験に失敗してしまいます。
挫折を味わった秋元康さんのその後の進路をみていきましょう。
秋元康の学歴 出身高校、出身大学は?
秋元康さんは、親の勧めもあって中央大学附属高等学校に進学。
高校2年の時にそろそろ勉強しないと東大に入れないと思い、勉強を開始。
そんなある日、ラジオ番組に送ったラジオドラマが放送作家の目に留まり、ニッポン放送に出入りするようになります。
肝心の受験勉強はというと、同級生の大半が中央大学に進学する環境もあって、なかなか集中できなかったようです。
結局、志望校の東京大学ではなく中央大学文学部に入学。
大学生活と並行して放送作家の活動を始めます。
当初は放送作家をアルバイトと考えていたそうですが、その収入は当時のサラリーマンの4倍近いものでした。
やがて大学は籍だけ置いているという状況になり、テレビの原稿と学校のレポートの締切が重なっては何度も呼び出され、大学を中退します。
秋元康の経歴
さまざまな肩書を持つ秋元康さん。
2010年6月に日本放送作家協会理事長に就任したほか、2016年4月には代々木アニメーション学院名誉学院長兼総合プロデューサーに就任。
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、日本映画監督協会会員でもあります。
作詞家としては、2011年、AKB48の『フライングゲット』が第53回日本レコード大賞を受賞。
翌2012年の第54回で『真夏のSounds good !』により二連覇を達成しました。
自身初となる作詩賞も受賞しています。
ともあれ、いろいろなプロジェクトを並行して手がけている秋元康さんのバイタリティには目を見張るものがありますね。
しかし、秋元さんは周りからハードスケジュールを心配されてもピンとこないのだそうです。
「仕事が楽しいから。
天職に就いているから」
かつて志望したコースに進んでいれば、たどり着くことができなかった天職。
人生にはやりたいことをやる時間しかないと言う秋元康さん。
好奇心に突き動かされながら、やりたいことをやるスタンスは一貫して変わらないようです。
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