秋元康は幼少期から天才?川の流れのように作詞に美空ひばり評価は?心に刺さる名言まとめ!

プロデューサーや放送作家、作詞家など色々な活動をする秋元康(あきもと やすし)さんですが名乗る職業は「作詞家」。
そこにはある秘話が隠されていたんです。

秋元康のプロフィール

本名:秋元康

生年月日:1958年5月2日

身長:167cm

出身地:東京都

最終学歴:中央大学文学部中退

所属事務所:株式会社秋元康事務所

秋元康は昔から天才だった?

5000曲以上も作詞を行いプロデューサーとしても大成功を収める秋元康さん。
CDが売れないと言われる時代でミリオンセラーを連発する秋元康さんを「天才」と呼ぶことに異論を唱える人はいないでしょう。


そんな秋元康さんは小さい頃、官僚志望だったそうです。
官僚になるために開成中学を受験するも不合格。

その後、親に勧められた事もあって中央大学附属高校へ進学。
親の勧めとは言え中央大学附属高校の偏差値は71もあるので入ろうと思って誰もが入れる学校ではありません。

官僚を目指していた秋元康さんの人生が変わったのは高校2年生の時。
ニッポン放送のラジオ番組「せんだみつおの足かけ二日大進撃!」を聞いていた時に何となくMCのせんだみつおさんを主役にして「平家物語」のパロディをノート20枚という分量で執筆。

これをニッポン放送に送った所、後に社長となる亀渕昭信さんと放送作家の奥山伸さんの目に留まりニッポン放送に遊び来ないか、と誘いを受けることに。
秋元康さんは何度かニッポン放送に出入りするうちに奥山伸さんに弟子入り。
中央大学の文学部に進学した後、放送作家として活動を始めるようになりました。

当初はアルバイト感覚で放送作家をしていたそうですが、既にサラリーマンの4倍近い収入があったそうです。
秋元康さんのクリエイターとしての才能はこの時に開花したのでしょう。

もし秋元康さんが開成中学に合格していればそのまま官僚への道を歩んでいたかもしれません。
官僚となった秋元康さんを見てみたかった気もしてしまいます。

秋元康が作詞家を名乗るのは美空ひばりが関係していた?

放送作家に作詞家、プロデューサーと幾つもの肩書を持つ秋元康さん。
ですが秋元康さんが常に名乗る職業は「作詞家」。

元々は放送作家として活動していた秋元康さんですが次第に物足りなさと将来への不安を感じるようになったそうです。
そんな時に亀渕昭信さんから音楽プロデューサーの朝妻一郎さんを紹介され作詞家としても活動を開始。

その後、秋元康さんはとんねるずやおニャン子クラブ、AKBグループに坂道シリーズなど数々の楽曲で作詞を担当。
そんな秋元康さんの作詞家人生と転機となったのが「川の流れのように」。

それまではアイドルの楽曲の作詞を担当することが多かった秋元康さん。
ですが不世出の歌姫、美空ひばりさんの楽曲の作詞をした事で作詞家として確固たる地位を確立。
また、美空ひばりさんに詩を褒められたことで「作詞家」を名乗る自信が付いたと明かしています。

ひばりさんに褒められたっていう、手がかりが作詞家という肩書きだけはある

作詞家って名乗っていいかなと、はじめてそこで思った

美空ひばりさんに詩を褒められるなんて音楽業界に生きる者としてはこれ以上の名誉はないでしょう。
秋元康さんが作詞家を名乗るのも納得ですよね。

秋元康が作詞した「川の流れのように」はアルバム曲の予定だった?

昭和の大スター、美空ひばりさんの遺作となった「川の流れのように」。
実はアルバム「川の流れのように〜不死鳥パートII」の表題曲として収録される予定だったそうです。

当初は同アルバムに収録される「ハハハ」がシングルカットされるはずでした。
いつもならばスタッフの意見を尊重していた美空ひばりさんですが

お願いだから、これだけは私に決めさせて!

と「川の流れのように」のシングルカットを強く希望。
美空ひばりさんの熱意に押されたことで「川の流れのように」がシングルとして発売されることになったんだとか。

ちなみに「川の流れのように」の川はニューヨークを流れるイーストリバーのこと。
当時、ニューヨークで生活していた秋元康さん。
普段は作詞が終わってからタイトルを考えるそうですが、この楽曲だけは先にタイトルが思いついたそうです。

いつもとは違う形で作詞した楽曲が後世に語り継がれる名曲になるなんて何か不思議な力が働いたのかもしれませんね。

秋元康が生み出した名言の数々

作詞を通して人々の心に多くの感動を与えてきた秋元康さん。
言葉やフレーズを常に考えているためか多くの名言も残しています。

様々な事に挑戦し続ける秋元康さんらしい名言です。
前例がない事であってもまずやってみることの大切さが伝わりますよね。

これは秋元康さんの信念と言える言葉かもしれません。
時には手法が批判されることもある秋元康さん。
ですが、この言葉を胸に自分が信じた道を突き進んでいるのでしょう。

右肩上がりでメンバーが増えているAKBグループに坂道シリーズ。
中には埋もれてしまって不貞腐れているメンバーもいる事でしょう。
ですがそんな状況を変えられるのは自分だけ。
周りに認めてもらえるように努力をするしかありません。


これは一般社会でも同じことが言えます。
誰かが自分を幸せにしてくれることを願うのではなく、自分の幸せは自分で掴まなければなりません。

自分自身の力で成功を掴んだ秋元康さんの言葉だけに心に刺さる人は多いのではないでしょうか。

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