浜圭介の今。死去説や病気の噂。奥さんは奥村チヨ&国籍について

日本人の心の琴線に触れる多くの名曲を世に送り続けてきた作曲家・浜圭介(はまけいすけ)さん。

奥さんの奥村チヨさんが2018年に芸能活動を引退したことから、夫の浜圭介さんにも注目が集まっていますね。

死去説や病気の噂も浮上しているようですが、今の状況を追ってみたいと思います。

また、浜圭介さんの国籍についてもみていきます。

浜圭介の今。死去説や病気の噂は?

1946年4月8日生まれの浜圭介さん、2023年は77歳となりました。

これまで奥さんの奥村チヨさんとともに『徹子の部屋』に出演したり、特別な音楽番組に姿を見せることはありましたが、それらは貴重な映像といっていいでしょう。


ふだんはほとんどメディアへ登場することはありませんね。

すでに高齢なことと、姿を目にする機会が限られていることから、ネット上では死去説や病気の噂もちらほら。

ですが、それらはたんなる噂にすぎません。

浜圭介さんは今も元気に活動しています。

2019年10月には、幼少期を過ごした青森県大鰐町で「浜圭介杯争奪歌合戦」が開催され、審査員を務めることに。

旧満州で生まれ、1歳の時に日本に引き揚げた浜圭介さん。

北海道や青森県で幼児期を過ごしますが、大鰐町も故郷のひとつ。

大鰐小学校の校歌を作曲したことで再び町との絆が生まれたそうです。

芸能生活に終止符を打った奥村チヨさんは、残りの人生を大切にして思いきりエンジョイしたいと語っていました。

奥村チヨの現在(2023)。夫・浜圭介との子供は?兄弟ほか家族まとめ

仲睦まじい夫妻のことですから、今は二人で穏やかな時間を楽しんでいるのではないでしょうか。

浜圭介の奥さんは元祖エロかわ歌手の奥村チヨ

歌手としてデビューするも、歌の神様に見放され、度重なる改名の末に作曲家に転向した浜圭介さん。

1968年から「浜圭介」名義で作曲活動をスタートしますが、その名を一躍世に知らしめたのが1971年に奥村チヨさんに提供した『終着駅』でした。

以降、ミリオンセラーを連発する売れっ子作曲家に。

とにかくヒット曲のラインナップがすごいです。

ざっと挙げると、 内山田洋とクール・ファイブの『そして、神戸』、 三善英史さんの『雨』、堺正章さんの『街の灯り』、八代亜紀さんの『舟唄』『雨の慕情』、細川たかしさんの『望郷じょんから』。

時代を超えて歌い継がれる名曲ばかりですね。

『終着駅』まではこれといったヒット曲がなかった浜圭介さん。

アメリカの生の音楽を体験する旅に出た時、窓から眺めたニューヨークの雨の夜景に物悲しいメロディーが浮かんだそうです。

一方の奥村チヨさんは、コケティッシュな魅力と甘えた歌声で男性ファンを虜にしてきた人気歌手。

しかし「恋三部作」の成功後、その路線も行き詰まりをみせていました。

もともと奥村チヨさんは、男性に媚びるような歌を歌うことをためらっていたとのこと。

行き詰まった作曲家と歌手。


二人の再起をかけてリリースされた『終着駅』は空前のヒットとなり、運命的な出会いを果たした彼らはのちに結婚。

恋のキューピッドは、大ヒットのお礼に浜圭介さんを食事に招待した奥村チヨさんの母親でした。

お互いにとって新たな人生の始発駅となったのがこの曲だったのですね。

浜圭介の国籍について

浜圭介さんは終戦直後、満州国の収容所で生まれており、本名を金野孝さんといいます。

国籍についての確証的な情報は出ていませんが、出生の経緯を見る限り、両親は旧満州の収容所にいた日本人と推測できます。

おそらく名字の「金野」が在日韓国人の通名のように思われがちなのでしょう。

また、韓国で発掘した歌手・桂銀淑さんとは師弟関係にあったばかりかシングル曲も多く手がけており、『北空港』ではデュエットもしていることから、浜圭介さんも実は韓国籍ではないかと思う人もいるのでしょう。

近年は著名人の国籍についての噂がたちまち拡散されてしまいますね。

歌手時代は鳴かず飛ばずで故郷の青森に帰り、屋台で働いていたという浜圭介さん。


ヒットメーカーとして不動の地位を築くまでには多くの試練があったと思います。

「運も実力のうち」という言葉がありますが、歌手の奥村チヨさん、作詞家のなかにし礼さん、阿久悠さんとの運命的な出会いは浜圭介さんの作曲家としての才能が引き寄せたものだったのかもしれません。

関連記事
奥村チヨの現在(2023)。夫・浜圭介との子供は?兄弟ほか家族まとめ

阿久悠の息子は作曲家!家族と結婚まとめ。天才と呼ばれる理由&資産は莫大?

欧陽菲菲の現在(2023)の状況。どこに住んでる?画像公開なし。病気の噂&若い頃の活躍

欧陽菲菲、夫の死因は肝不全。娘や姪、孫などの家族まとめ。国籍は日本?

コメント

  1. 奥村チヨさんの実家は、大阪府池田市石橋にありました、お父さんは麻生財閥関係の重役だったとおもいます、チョさんの、祖母のご葬儀が、昭和43年頃に 自宅でありましたが、なんせ自宅敷地は 多分100坪以上の、旧家でお葬式の花輪も、レコード会社のが沢山 並んでいた記憶があります 近所では そのことはタブーで あまり噂にしなかったと 記憶しております、姪で俳優の 麻生未央さんが おられる ように 麻生財務大臣とは なんらかの 血縁関係が あると 確信していますが あまりの 家柄なので 隠しているように おもいます、