中山千夏の現在は作家。夫は佐藤允彦。学歴に大学なし。父親公表せず母親は毒親?子役の仕事

女優、歌手、司会者、参議院議員、作家と多方面での活動歴を持つ中山千夏(なかやまちなつ)さん。

60年に及ぶキャリアの出発点は子役でした。

才女と呼ばれるだけに、2023年現在の活動や結婚した夫に、学歴ついても興味をひかれます。

また、父親の情報や、母親との関係を告白した自著『幸子さんと私』についても取り上げます。

中山千夏のプロフィール

本名:中山千夏

生年月日:1948年7月13日

身長:不明

血液型:不明

出身地:熊本県山鹿市

最終学歴:麹町学園女子高等学校

所属事務所:フリー(元:東宝演劇部)

中山千夏、現在の活動は?

1948年7月13日に熊本県山鹿市で生まれた中山千夏さん。

本名は前田千夏さんです。


読者の世代によっては、芸能人、参議院議員、作家など異なるイメージを抱くかもしれませんね。

11歳で子役デビューしたあとは活動のフィールドを広げ、歌手や声優、テレビタレントとしても活動。

『お昼のワイドショー』では司会役の青島幸男さんと横山ノックさんのアシスタントを務め、持論を積極的に述べる姿が注目を集めました。

男性でも「ひとつの仕事を一筋に」という風潮だった当時、歌手としてもヒットを飛ばし、タレント議員になり、著作も次々と出版。

まさにマルチタレントの中山千夏さんですが、現在は芸能活動から撤退している状態といってよさそうです。

とはいえ体調不良というわけではなく、文筆活動のかたわら、人権・反戦・死刑廃止などの社会運動に取り組んでいるとのこと。

2019年11月24日には、最新刊『主人公はきみだ ライツのランプをともそうよ』のトークショーを開催。

プライベートでは、40代から始めたスキューバダイビングと50代から始めたパソコンにハマっているようで、2007年11月には東京を離れて静岡県伊東市に転居しています。

冬場でも月に一度は伊豆の海でダイビングをするそうです。

中山千夏が結婚した夫は誰?

歌手としての本格的なデビューは、1969年9月にリリースされた『あなたの心に』。

岩崎宏美さんら多くの歌手にカバーされている名曲ですね。

『あなたの心に』のB面、今でいうカップリング曲の『ZEN ZEN ブルース』の編曲を担当したのが、のちに夫となる佐藤允彦(さとうまさひこ)さんでした。

佐藤允彦さんは慶應義塾大学在学中から名ジャズピアニストとして知られた人物。

海外でのアルバムリリースやモントルー・ジャズフェスティバルへの出演など、国際的にも評価の高いプレイヤーです。

作曲家・編曲家としては『パンダコパンダ』などのアニメ、テレビドラマ、映画など映像作品の音楽も手がけています。


二人は1971年1月2日に結婚。

仕事で知り合い、一緒にお酒を飲んだ際、酔ってデートを申し込んだ允彦さん。

これに対して、母が口うるさいから無理だけど、結婚するなら話は別と答えたことから、すんなりゴールインの運びに。

自身が「急転直下」と語っているように、ほとんど交際期間もなかったそうです。

妻のウーマンリブ運動にも理解を示していた允彦さんでしたが、1978年に離婚。

破局の理由としては、男女の関係が希薄になったことなどが取り沙汰されたようですが、結婚と同様に離婚の理由もいまひとつはっきりしないのが実状。

なんとなく夫婦になって、なんとなく別れたというのが本当のところなのかもしれません。

中山千夏の最終学歴は高卒

中山さんは熊本県山鹿市生まれですが、4歳の頃、大阪府布施市(現:東大阪市)に移り住んでいます。

その頃の小学校については公表していませんが、おそらく布施市のどこかでしょう。

当時の中山さんは、すでに芸能活動を始めていたため、小学校5年生の頃に再び引っ越し、東京で暮らし始めます。

そのため、学校は「中央区立泰明小学校」に転校となりました。

小学校を卒業した中山さんは、「中央区立明石中学校(現: 中央区立銀座中学校)」に入学します。

芸能活動を続けながらしっかり勉強するのは、とても大変だったことでしょう。


中学卒業後は、「麹町学園女子高等学校」へ進学。

ここでも苦労は多かったと思われますが、無事卒業することができました。

その後の進路については、「東京大学」などの噂が出ています。

しかし、中山さんは大学への進学はしておらず、最終学歴は高校卒です。

ロシア文学を学ぶため、18歳になる1966年に「上智大学」を受験しましたが、残念ながら不合格となっています。

その後は受験に挑戦することはなく、女優やタレント、政治家としての活動を続けていきました。

大学での勉強はできなかったものの、中山さんの活動の歴史を振り返ってみると、結果的にはよかったのかもしれません。

中山千夏は父親を公表していない

中山さんは父親についてほとんど話さないようで、確かな情報は出ていません。

詳しいプロフィールはもちろん、顔写真などもわからないため、どんな人物なのかは、想像するしかないようです。

情報がないことから、芸能界とは無縁の一般人と思われます。

一部では、漫才師である西川のりおさんの名前が出ることもありますが、中山さんとの血縁関係はありません。

この噂は、アニメ映画での共演から生まれた可能性があります。

中山さん演じる主人公の父親役が、西川さんでした。

アニメをよく見ていた人は、2人を親子として記憶してしまったのかもしれません。

ですが、中山さんは1948年生まれであり、西川さんは1951年。

役と違い、中山さんの方が3つ年上です。

このことからも、西川さんが父親でないことは間違いないでしょう。

中山千夏の母親は毒親?著書で母娘関係を告白!

2009年に刊行された『幸子さんと私~ある母娘の症例~』は、中山千夏さんが実体験をもとに母親と娘の関係を見つめ直した問題作。

考えてみると、母親と息子の場合は「マザコン」という言葉がありますが、娘のケースは何も呼び名がありませんね。

母娘関係に問題があったとしても、社会はまだそれを名づけるほど深刻にはとらえていないという証拠でしょう。


中山千夏さんの母親は、娘を無条件に愛することができない支配的な母親だったようです。

その母に抑圧され続けた自分の半生を告白し、分析することは、自身のカウンセリングの意味合いもあったのでしょう。

同時に、実の母親のことを悪く書いて出版するのは抵抗もあったはず。

社会に対して母娘関係の問題を問いかけた意義深い告白の記録だと思います。

中山千夏は名子役だった!

入団資格が小学3年生以上だった児童劇団「劇団ともだち劇場」に1年生で入団した中山千夏さん。

3か月で早くもラジオドラマの仕事をしています。

大阪テレビの子供番組「少年探偵団」シリーズなどの出演を経て、11歳の時に劇作家・菊田一夫さんの目に留まり、芸術座の舞台『がめつい奴』に出演。

天才子役として注目を集めました。

1960年から1961年にかけての芸術座『がしんたれ』では、菊田一夫さんの少年時代を好演。

以降は東宝演劇部の専属俳優として舞台出演するかたわら、テレビでも活躍しました。

子役時代にはドラマの主題歌も歌っています。

やがてテレビに疑問を持ち、『お荷物小荷物・カムイ編』を最後にドラマから撤退。

もう少し女優としての中山千夏さんを見ていたかった人はたくさんいたと思います。


タレント議員のはしりでもあった中山千夏さん。

落選後は公約通り、再び出馬することなく、市民の立場で社会活動に取り組んでいます。

長年にわたるエネルギッシュな活躍ぶりには頭が下がるばかりです。

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