青島幸男の死因、病気とは。息子は脚本家。都知事になり都市博を中止の真意とは

青島幸男さんはタレントや作詞家として芸能界で活躍しただけでなく、参議院議員や東京都知事に当選して政治活動もしていました。

今回は青島幸男さんの死因(病気)や息子さんについての情報に加え、都知事として都市博を中止した件について見て行こうと思います!

青島幸男の死因となった病気は何?

青島幸男さんは2006年12月20日午前9時31分に「骨髄異形成症候群・こつずいいけいせいしょうこうぐん」のため74歳で亡くなっていました。


あまり聞いた事のない病名ですが、簡単に言えば”骨髄の細胞が異常を起こし、体内で正常な血液が造られなくなる病気”だそうです。

これによって赤血球が不足して貧血を起こす症状や、白血球が不足して感染症にかかったり発熱が続いたりします。

症状が悪化すると「急性骨髄性白血病」になって命を落とすことも多いのですが、青島幸男さんは重い白血病までは進行していない様子でした。

最近は高齢化が進んでいるので「骨髄異形成症候群」を発症する方が増加傾向にあるそうです。

また、青島幸男さんは高校時代に結核にかかっていたらしく、1991年には悪性リンパ腫と診断され治療したそうです。

どちらかといえば明るく元気な姿が印象的でしたが、若い頃から色々な病気と闘い続けていた事がわかりました。

青島幸男の息子は何をしている?

青島幸男さんには1961年2月13日に生まれた利幸(としゆき)さんという息子さんが居ました。

父と同じ様に放送作家として「王様のブランチ」や「サザエさん」などの脚本を担当する売れっ子でした。

しかし、2012年頃に肺ガンと診断され家族には知らせたものの、レギュラーの仕事は休まずに続けていたそうです。

肺ガンと闘いながらの生活は約5年に及びますが、最後は力尽きて2017年11月2日に肺ガンによって亡くなりました(56歳没)

作家をしている姉の美幸さんによると利幸さんは最後まで仕事に取り組んでいたそうでした。

弟は5年前に肺ガンと診断された後も仕事を続け、亡くなる1週間前まで病床で番組の台本を書いていました

父と同じく真面目で仕事熱心でしたが、結果としてその性格が自らの命を縮めたとしたらとても悲しい話ですよね。

利幸さんが手掛けた番組や歌などの作品はこれからも受け継がれて行く事でしょう!

青島幸男は都知事になって都市博を中止させた?

東京都は1996年(平成8年)3月24日から10月13日の約半年にわたって臨海副都心での「世界都市博」開催を目指していました。

開催を推し進めていた当時の都知事(鈴木俊一)が4期16年の任期を終えて引退し、その後継の座を巡る戦いの場が1995年の東京都知事選挙でした。

青島幸男さんは参議院議員を辞職し、公約として「都市博中止」などを掲げて選挙戦に突入しました。

無所属の青島幸男さんと自民党など政党が応援する候補との戦いの構図となり、激戦の末に青島幸男さんが都知事に当選しました。

東京では青島幸男さんが勝利し、大阪府知事選挙では横山ノックさんが当選する衝撃的な選挙結果になりました。

当選後も都議会は都市博中止に猛反対を続けますが、青島幸男さんは選挙で勝った”民意”を武器に中止へ突き進みました。

そのまま都市博中止を断行し、業者への補償金など都の損失は610億円にもなりましたが、そのまま都市博を開催した場合は約830億円の支出が想定されていたそうです。

青島幸男さんにとって最大の公約なので絶対に引けない案件でしたが、当時の都議会は(100対23)で中止に反対する議決していました。

当選直後に最大の公約を達成したのは良い事でしたが、その後の任期は特に目立った功績もなく1999年に退任しました。

これについては青島幸男さんが”孤立していた”という背景があり、議会での支持が得られない状態では独自の政策実行は不可能だったのです。


結果的に有権者の不信感を集めて退任する事になり、その後も参議院選挙へ二度出馬しますがいずれも落選していました。

しかし、青島幸男さんの選挙戦術「一点突破の公約」は小泉純一郎氏に受け継がれる事になりました。

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