国民的アニメ『クレヨンしんちゃん』の生みの親として知られる臼井儀人(うすい よしと)さん。
あまりにも急な訃報に日本中が騒然となりました。
臼井儀人のプロフィール
本名:臼井義人(うすい よしひと)
生年月日:1958年4月21日
血液型:不明
出身地:静岡県静岡市葵区
最終学歴:埼玉県立春日部工業高等学校
臼井儀人の遺書が大きな話題に?
1990年に『週刊Weekly漫画アクション』で連載が始まった『クレヨンしんちゃん』。
ギャグ漫画ながら累計発行部数は5000万部を超え、大ヒットとなりました。
1992年にアニメ化されると子供達のハートを鷲掴み。
その翌年に公開された映画は子供向けアニメながら大人も感動できると社会現象化しています。
今となっては国民的アニメの一つとしれ知られていますよね。
そんな『クレヨンしんちゃん』の作者と言えば臼井儀人さん。
高校卒業後にデザイン系の専門学校へ進学し、その後は広告関係の会社に勤務するサラリーマンでした。
広告関係の会社に勤務しながら漫画家を目指していたんですね。
そして投稿した作品が賞を受賞し漫画家としてデビューする事となりました。
今では子供に大人気の『クレヨンしんちゃん』ですが、当初連載されていたのは青年誌。
そのためかなり際どい表現も少なくありませんでした。
作者としても、子供に大人気になるなんて想像もしていなかった事でしょう。
突然の訃報と悪質なデマ画像
日本だけでなく世界でも大人気となった『クレヨンしんちゃん』。
連載話が1000話を超えても連載はまだまだ続くと誰もが思っていました。
ところが臼井儀人さんは2009年9月に51歳という若さで死去。
あまりにも突然の訃報だったため日本中が騒然となりました。
その後、遺書が発見されたとネットで大きな話題になります。
臼井儀人さんの遺書とされるのは1枚のイラストでした。
一面が真っ赤な背景に描かれているのは溶けかかった野原しんのすけ。
『クレヨンしんちゃん』のキャラクターの名前と「ごめんねおらもう」という意味深な言葉が綴られていました。
そんなイラストからは、精神的に相当追い詰められた状態だったことが伝わってきますよね。
ところがこの遺書は全くの偽物。
臼井儀人さんの名を語った誰かがイタズラで作成したものだったんです。
人の死と『クレヨンしんちゃん』を冒涜する行為。
決して許される事ではありませんよね。
噂の拡散には公開時期も影響
嘘の遺書が拡散され、「本物なのでは?」と騒がれてしまった理由には、画像が出たタイミングも関係しているものと思われます。
正確な日付などは不明ですが、画像が公開されたのは、訃報と近い時期なのだとか。
そんなタイミングで意味深な画像が公開されたら、信じたくなる気持ちもわかります。
本当に遺書が発見されたと思い込み、ショックを受けたファンも多かったのではないでしょうか。
しかし、臼井儀人さんの死去については、遺書の存在自体が不自然なもの。
詳しくは後述しますが、亡くなった原因は事故の可能性が高いからです。
また、ネットで遺書を公開するという行為にも、疑問を感じた人は多かったのだとか。
中には、おかしな点が目立つことから、すぐにデマと気づいた人もいたのかもしれません。
それにしても、訃報のタイミングに合わせてデマを流すというのは、非常に悪質なやり口です。
遺族の気持ちなど微塵も考えていないことがわかり、強い嫌悪感を覚えますね。
書いた本人が嘘と認めている?
拡散された遺書がデマとわかったのは、作成した本人が名乗り出たからでした。
犯人はブログを運営しており、その中で真実を告白しています。
『臼井儀人 遺書』
あのクレしんの生みの親である臼井儀人先生が死ぬ前に描いた不気味な遺書の画像が見つかったという事で話題になった…という、フェイク画像である。コレを描いた人素直に出てきなさい!…出てきました。描いた本人は一応謝罪してはいるが…不謹慎過ぎるだろう。— 検索してはいけない言葉紹介bot (@Bad_kensaku_bot) October 3, 2022
その記事では、他にもわざと勘違いにつながる画像を拡散させたり、ウイルス付きURLを匿名掲示板に張り付けたりと、さまざまな悪行を重ねていたことも明かしていました。
それによって多くの人が混乱する様を眺め、楽しんでいたのだとか。
臼井儀人さんが行方不明になったときも、大騒ぎになることを期待して画像を公開したようです。
カミングアウトした当時は、ブログのコメント欄に多数の誹謗中傷が書き込まれたそうですが、完全に自業自得ですね。
そうした炎上が起こることも想像できるはずなので、「注目されたい」という理由で罪を告白した可能性もあるでしょう。
人が亡くなっているというのに、あまりにも不謹慎な話です。
ちなみに、犯人の詳細な情報などは特定されていないようで、確かなことはわかりませんでした。
臼井儀人の死を多くの人が追悼
人気漫画家、臼井儀人さんの突然の訃報。
当時、『クレヨンしんちゃん』が掲載されていた『まんがタウン』で執筆する漫画家の多くが追悼の記事等をブログやHPに掲載。
テレビアニメの冒頭や翌年に公開された映画の最後にも追悼のメッセージが流されました。
さっきAbemaTVでクレヨンしんちゃんの映画(2010年公開)を見てて、最後に原作者・臼井儀人先生への追悼メッセージが流れたから調べたら、臼井先生が亡くなったのが2009年だから、もう10年経つんだね。早いなぁ。
— Yuya OkadaーT (@yuya_okada95T) July 6, 2019
漫画連載中に顔出しを望まなかった臼井儀人さん。
その意向を汲んで葬儀では遺影も位牌も飾られる事はなかったそうです。
訃報から約2か月後には、青山葬儀場で「思い出を語る会」が開かれています。
この会でも、顔は非公開。
そのため祭壇に代わって花に囲まれた野原一家の大型パネルが飾られました。
その他にも臼井儀人さんのヒストリーや仕事道具、下書き原稿も展示。
もちろん代表作である『クレヨンしんちゃん』のグッズの数々も展示されていました。
昨日、ジャニーさんのお別れ会行って、10年前、青山葬儀場で催されたクレヨンしんちゃんの作者、臼井儀人氏の「思い出を語る会」と題したお別れ会を思い出した。場内はクレしんのアニメ、主題歌が流れ、パネル展示や色々なグッズ、生原稿など、クレしんファンを楽しませてくれる温かさに溢れていた。→ pic.twitter.com/AaQuQZxdwx
— つぶやきおハミ (@syoupchan) September 5, 2019
「思い出を語る会」を訪れたのは関係者やファンなど約3600人。
それぞれが展示された品々を見ながら臼井儀人さんに想いを馳せたことでしょう。
臼井儀人が死亡したのは荒船山?
多忙のためどうしても不規則な生活になりがちな漫画家。
時間に追われて外出する事もままならないという人も少なくありません。
ところが臼井儀人さんの趣味は意外にも登山。
それも仲間でワイワイ、というよりも単独での登山の方が多かったそうです。
人気漫画の原作者でありながら登山する時間を確保できるなんて凄いですよね。
もしかすると山に登って素晴らしい景色を見る事で創作意欲が掻き立てられていたのかも。
ただ、亡くなる原因となったのも、趣味の登山でした。
臼井儀人さんは、2009年9月11日、群馬県と長野県に跨る荒船山に単身での日帰り登山へ。
ところが翌日になっても帰宅しなかったため警察に捜索願が出されました。
死去の報道がされたのはそれから数日後の事でした。
群馬・長野県境にある荒船山(1423メートル)のがけ下で見つかった男性の遺体が20日、行方不明となっていた漫画「クレヨンしんちゃん」の作者臼井儀人さん(51)=本名臼井義人=と確認された。
臼井儀人の発見に時間がかかった理由とは?
臼井儀人さんが発見されたのは2009年9月19日のことです。
登山客が高さ120mの崖下に転落している男性の遺体を発見。
9月20日に警察の捜索隊により遺体は警察署へ搬送されるも顔は判別できないほど激しく損傷していました。
そのため歯型データで身元を確認した結果、男性は臼井儀人さんと確認されました。
検死によると、死因は全身を強く打った事による肺挫滅。
死亡推定時刻は9月11日の午後と見られています。
滑落した場所は過去に同様の事故が起きた事が殆どない場所。
事故ではなく事件の可能性も考慮して捜査が行われました。
その後、現場で発見されたデジタルカメラで最後に撮影された写真が崖下を覗き込むように撮られた写真でした。
そのため、誤って転落したことが滑落の原因と言われています。
捜索隊もまさかこんなところで事故が起こるとは思わなかったのでしょう。
発見に時間がかかったのも仕方ありません。
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