実録路線のヤクザ映画や時代劇で活躍し、バラエティ番組でもお茶の間に親しまれた松方弘樹(まつかたひろき)さん。
時代劇スター・近衛十四郎さんを父に持ち、俳優一家に育った2世俳優です。
昭和の大スターらしく多くの豪快伝説を残しましたが、女性遍歴もやはり豪快でした。
嫁だった仁科亜季子さん、最期を看取った山本万里子さん、最初の妻・夏子さんら、結婚歴や離婚の経緯をまとめます。
松方弘樹のプロフィール
本名: 目黒浩樹(めぐろ こうじゅ)
生年月日: 1942年7月23日
没年月日: 2017年1月21日(74歳没)
身長: 173cm
血液型: A型
出身地: 東京府東京市王子区(現: 東京都北区)赤羽台
最終学歴: 明治大学付属中野高等学校 定時制
所属事務所: MARE(最終所属)
仁科亜季子は松方弘樹の2番目の嫁
松方弘樹さんは、渡哲也さんの代役を務めた大河ドラマ『勝海舟』で共演した若手女優・ 仁科亜季子さんと1979年に結婚。
スタートは不倫関係でした。
当時、松方弘樹さんには妻子がいたからです。
仁科亜季子さんは周囲の反対を押し切り、紙袋三つを持って同居生活を開始。
結婚後は仁科克基さん、仁科仁美さんを出産しました。
しかし、やがて松方弘樹さんと千葉マリアさんとの間に隠し子が発覚。
この難局は乗り越えたものの、ふたたび祇園の高級クラブのホステスとの不倫騒動が持ち上がります。
結局、夫妻は1998年に離婚。
子供たちの養育費とマンションのローン残額を支払うことで決着がつきました。
克基さんと仁美さんの親権が亜季子さんに渡ったため、兄妹は仁科姓を名乗っています。
【インタビュー】仁科亜季子、がん再発「おっかない」に同情 息子・克基と初親子ナレ #仁科亜季子 #仁科克基 #ザ・ノンフィクション #子宮頸がん https://t.co/yW9E5lMNg0
— マイナビニュース・エンタメ【公式】 (@mn_enta) 2018年8月10日
病気の妻を真剣に支えた過去
松方さんの不倫が原因で別れたとなると、結婚していた間の夫婦仲はどうだったのか気になるところです。
他の女性とばかり遊んでいる松方さんを見て、亜季子さんが常にイライラしていたのでしょうか。
ですが、実際の松方さんは、亜季子さんをとても大切にしていたのかもしれません。
亜季子さんは1991年に子宮頸がんが見つかり、抗がん剤による治療を受けています。
その際、薬の副作用で脱毛に悩まされ、ひどく傷ついたそうです。
当時の亜季子さんを救ったのは、松方さんかけた言葉でした。
抗がん剤で髪の毛が抜けた時に泣き叫んでわめいたら、『命とどっちが大事なんだ』って怒られました。
髪がどんどん抜けていくのは、本当にショックなことだったはず。
パニックになるのも無理はありません。
そんな苦しい時期をなんとか乗り越え、また元気に活動できるようになったのは、松方さんが真剣に支えてくれたからなのでしょう。
これほどまで奥さんを心配していたというのに、他の女性と交際してしまったのは、とても残念なことですね。
離婚で10億が妻の手に?
松方さんが亜季子さんと離婚したときは、慰謝料をまったく払わなかったことに批判の声が上がりました。
最初の奥さんには高額な慰謝料を払って離婚しただけに、亜季子さんに同情の声が集中したようですね。
原因が松方さんの浮気にあり、亜季子さんは何も悪いことをしていないわけですから、確かにかわいそうな話です。
ですが、実際に起こったことはまったく違うという説もあります。
離婚後に松方さんと会った映画関係者が、本人から意外な言葉を聞いたというのです。
すでに10億円近い金が亜季子や本人の実家に行っていると思いますよ。
なんでも、亜季子さんは離婚成立前から生命保険や定期預金を解約し、松方さんの社債を現金化し始めたのだとか。
事前の相談などもなく、黙ってどんどん進めていたようなので、さすがの松方さんも困惑したことでしょう。
最終的に、亜季子さんは約10億円を入手してから離婚した可能性があるそうです。
映画関係者の話に証拠はないため、本当にそんな出来事があったのかはわかりません。
ですが、ひどい裏切りを受けた亜季子さんが離婚後に苦労しなかったのなら、安心する人も多いのかもしれませんね。
松方弘樹の最期を看取ったのは内縁の妻・山本万里子
仁科亜季子さんとの離婚のきっかけになった高級クラブのホステス、山本万里子さん。
松方弘樹さんは彼女をドラマで女優デビューさせています。
以来、万里子さんは20年近く内縁の妻として松方弘樹さんを支え続け、その最期を看取りました。
入籍を迫ることなく、闘病中も献身的に尽くした万里子さんと目黒家の関係は良好のようです。
2017年1月23日、実弟の目黒祐樹さんは兄の密葬をすませたことを公表するとともに、万里子さんに感謝の意を表明。
密葬に仁科家の人々の姿はなく、万里子さんは列席したそうです。
松方弘樹さんの晩年は以前のような経済的余裕はなかったとみられていますが、大御所俳優だったことに変わりはありません。
おそらくある程度の資産は残していたと考えられます。
一部の週刊誌は、万里子さんが遺産相続に巻き込まれないように資産を生前贈与していたことを報じています。
万里子さんを法定相続人にしないために、あえて未入籍のままだったのかもしれませんね。
松方弘樹には夏子とも結婚歴あり。離婚の理由は仁科亜季子
最初の妻は1968年に結婚したモデルの夏子さんでした。
夏子さんとの間には長男の目黒大樹さんのほか、二人の娘も誕生。
ところが松方弘樹さんと仁科亜季子さんが不倫関係になり、一緒に暮らし始めたために離婚。
慰謝料3億円は、当時の芸能界では破格の離婚慰謝料として話題を呼びました。
後年、夏子さんは元夫について、恨む気持ちなど毛頭なく、今は感謝の気持ちだけと述べています。
巨額の慰謝料と養育費、そして芸能界に進んだ子供たちには松方ブランドを遺した松方弘樹さん。
愛妻一筋とはいかず、あちらこちらの美女と浮名を流したのは事実です。
けれどもその時々でできるかぎりの責任をとり、自らの経済事情を身ひとつで立て直す男気も見せてくれた気がします。
松方弘樹の経歴まとめ
松方弘樹さんは本名を目黒 浩樹(めぐろこうじゅ)さんといい、1942年7月23日、東京都北区に誕生。
2017年1月21日に脳リンパ腫のため74歳でこの世を去りました。
生前はMAREに所属。
明治大学付属中野高等学校を卒業しています。
高校在学中に東映入りし、『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』でいきなりの主演デビュー。
ご本人曰く、この待遇は親の七光りのおかげなのだとか。
ところが当時の東映には、奇しくも同学年の2世俳優がもう一人いました。
北大路欣也さんです。
こちらは父の市川右太衛門さんが東映創立メンバーであり、重役も兼務していました。
東映は北大路欣也さんを大々的に売り出します。
その陰に隠れた不遇時代を経てようやく脚光を浴びたのが『仁義なき戦い』でした。
同シリーズでは3作品に出演し、立場の違う3人のヤクザ役を好演。
余談ですが、松方弘樹さんが出演した第1作に北大路欣也さんはキャスティングされていません。
北大路欣也さんは第1作を観て惚れ込み、シリーズ化されるのを耳にして自ら売り込んだといいます。
目標としていた時代劇俳優は、10代の頃から憧れていた萬屋錦之介さん。
その演技や殺陣に学ぶところは大きかったようです。
不幸な容貌と吃音症を持つ3代将軍家光を演じた『柳生一族の陰謀』も松方弘樹さんの代表作のひとつですね。
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