松方弘樹、死去の原因は脳リンパ腫。遺産は少ないが年収は億?家を売却&家族まとめ

いかにも昭和の大物スターらしいきっぷのよさや派手な女性遍歴、また巨大マグロを釣り上げるなど豪快伝説を残した松方弘樹(まつかたひろき)さん。

コワモテの風貌とお茶目な一面を併せ持つチャーミングな役者でもありました。

2017年に惜しまれつつ死去しましたが、遺産や年収、京都の家について迫ります。

また、芸能人一家に生まれた松方弘樹さんの家族も紹介します。

松方弘樹のプロフィール

本名: 目黒浩樹(めぐろ こうじゅ)

生年月日: 1942年7月23日

没年月日: 2017年1月21日(74歳没)

身長: 173cm

血液型: A型

出身地: 東京府東京市王子区(現: 東京都北区)赤羽台

最終学歴: 明治大学付属中野高等学校 定時制

所属事務所: MARE(最終所属)

松方弘樹が脳リンパ腫で死去

2017年1月21日、脳リンパ腫のため74歳で死去した松方弘樹さん。

前年に病名を公表し、闘病生活を送っていました。

抗がん剤投与の治療中に脳梗塞を起こすことがあり、年が明けてからは予断を許さない状況が続いていたそうです。


入院中、足繁く病室を訪れた親友・梅宮辰夫さんの話によると、意識が常にしっかりしていたのは前年の半ば頃まで。

やがて声をかけても反応がなくなり、虚ろな目で天井を見つめているだけになったとのこと。

まだ会話ができた頃、次の手土産は何がいいかと訊ねると、辰兄がつくった弁当がいいと答えたそうです。

スタッフや関係者の話を総合するかぎり、松方弘樹さんの生前の評判は絶賛の嵐です。

いつも豪快かつ気持ちのよい人柄で、にこやかな笑みを浮かべていたのだそう。

気分にムラがなく、スタッフを決して怒らず、野次馬にも神対応。

自身のギャラはみんなに還元する信条を持っていました。

とにかく愛された人だったようです。

死因の「脳リンパ腫」は珍しい病気

松方さんの訃報が流れた際は、死因となった病気も話題になりました。

どうやら、めったに発症しない珍しい病気だったようです。

悪性リンパ腫の中でも発症率が低く、10万人に1人のまれな病気とされる。

10万人に1人となると、確かになかなかない病気ですね。


医療関係者ならともかく、ごく普通の一般人なら、「聞いたことない」「どんな病気?」と感じる人も多かったことでしょう。

ただ、発症した人の中では60代以上の高齢者が多いのだとか。

松方さんが脳リンパ腫とわかったのは亡くなる前年なので、70代です。

発症する確率が低いとはいえ、年齢的に可能性はあったのかもしれません。

ですが、10万人に1人しか発症しないなら、回避できた可能性も決して低くはなかったはず。

もし病気にならなかったら、まだまだ元気な姿を見せてくれたのでしょうか。

そう考えると、やりきれないものがありますね。

最後の映画で健康法を語るも病には勝てず

松方さんが出演した映画の中で最後の作品となったのは、中島貞夫さんが監督した2016年の『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』。

この作品の撮影ではまだ症状が出ておらず、元気に仕事をしていたそうです。

当時の松方さんは、自分なりの健康法について語っていました。

「趣味の釣りでマグロを追いかけるのが僕の健康法なんですよ。何カ月か釣りを楽しんで、その後、何カ月か仕事をするといった生活をしたい」

松方さんといえば釣りを思い浮かべる人は多いでしょう。


本当に大好きな趣味であり、休日は夢中になってやっていたようです。

釣り関連の番組にも多数出演していたので、映画やドラマをあまり見ない人からすれば、「あの釣り好きの」という印象になるかもしれませんね。

こうした釣り好きの人たちは、楽しみながらある程度の運動量を確保できるのだとか。

確かに、倒れないようにふんばったり、腕の力でぐっと引き寄せたりするので、トレーニングのような効果が期待できそうです。

また、自然の中で好きな釣りをすることで、精神的に落ち着いたり、充実感を得られたりするので、心の健康維持にも役立ちそうですよね。

松方さんは、病気にならないためにも真剣に釣りをしていたのではないでしょうか。

病を撃退し、いつまでも釣りを続けてほしかったものですが、とても残念です。

松方弘樹の遺産・年収は?京都の家は売却

豪快なお金の使い方で知られた松方弘樹さん。

クレジットカードが今ほど普及しておらず、会計に現金が必要だった頃から伝説級の逸話を残しています。


ステーキハウスでの一回の飲食代2000万円を一人で支払ったり、趣味の釣りに数億円を投じたり。

きっぷのいい大スターとしては萬屋錦之介さんや勝新太郎さんが有名ですが、松方弘樹さんも間違いなくお仲間ですね。

こうしたエピソードもあって、巨額の遺産を残したイメージが強い松方弘樹さん。

けれども、意外にも晩年は経済的に厳しい状況に追い込まれていたらしく、遺産はあまりないのではと見る向きが強いようです。

入院中には1日10万円の特別個室から一般個室に移っていました。

家賃100万円超の麻布のマンションは解約し、ランクを下げた部屋に転居。

広大な敷地に建つ、ヘリポート付きの京都の豪邸もすでに売却。

加えて、高額な医療費や仕事復帰のめどが立たなくなったことも影響したと思います。

松方弘樹さんはまた、慰謝料と養育費も支払っていました。

最初の妻への離婚慰謝料だけでなく、二人目の元妻・仁科亜季子さんが住むマンションのローン残額。

そして婚外子を含む子供たちの養育費。

逆に考えると、それだけの経済力があったということになりますね。


年収は公表されていませんが、芸能レポーターの井上公造さんによると、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』1本の出演料は500万円だったとか。

仮に遊興費はタニマチなどの後援者が援助していたとしても、年収は数億円とみていいのではないでしょうか。

松方弘樹の家族まとめ

松方弘樹さんは時代劇俳優の近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの長男として生まれた2世芸能人。

目黒祐樹さんは弟です。

十四郎さんは映画スターを志し、北大路欣也さんの父・市川右太衛門さんの右太プロに入団。

八重子さんは映画で十四郎さんの相手役を務めていました。

松方弘樹さんの釣り好き、お酒好きは父親譲りのようです。

最初の妻・夏子さんとの間にもうけたのが目黒大樹さん。

二人の娘、七重さんとなちさんも授かりました。

再婚した仁科亜季子さんとの間には仁科克基さんと仁科仁美さん。

また、婚外子として千葉マリアさんとの間に十枝真沙史さんをもうけています。

弟・目黒祐樹さんの妻が江夏夕子さん、その娘が近衛はなさんです。


家族や元家族のほとんどが芸能人ですね。

2015年6月には仁美さんが男児を出産し、松方弘樹さんにとっては初孫となりました。

芸能人が亡くなると、生前に銀座でつくった借金が明るみになることがたびたびあるそうですが、松方弘樹さんにはそうした話が一切なかったといいます。

遊びでも最後まで大物スターらしい姿を見せつけた松方弘樹さんでした。

松方弘樹の経歴まとめ

松方弘樹さんは本名を目黒浩樹(めぐろこうじゅ)さんといい、1942年7月23日生まれ、東京都北区出身。

明治大学付属中野高等学校を卒業し、個人事務所のMAREに所属していました。

ひと言で言うなら、とても器用な俳優といえるでしょう。

例えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった三英傑から、山口組三代目組長・田岡一雄さん、稲川会初代会長・稲川聖城さんら、その筋では有名な人物までをカバー。

時代劇から現代劇までと言い換えることもできますね。

殺陣にも定評がありました。

また、畑違いのバラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』では「松方部長」にも。

笑い上戸の一面を見せ、焦って声を裏返らせたり、ハンカチで額の汗を拭ったりする姿は女子中学生にも「カワイイ」と評判になりました。


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