桂歌丸、娘は一般人で既婚者。鬼嫁の奥さんはネタ?家族構成が謎&横浜の家が意外

長く落語芸術協会会長を務め、東京の落語界のみならず日本の落語界を代表する存在だった桂歌丸(かつらうたまる)さん。

国民的人気番組『笑点』の名司会で知られる一方、古典落語の名手でもありました。

70年近い芸歴のなかでプライベートを公表することは少なかったようですが、今回は桂歌丸さんの私生活にスポットをあてます。

娘や奥さん、家族構成をはじめ、家や生まれ育った横浜についてお送りします。

桂歌丸のプロフィール

本名: 椎名巌(しいな いわお)

生年月日: 1936年8月14日

没年月日: 2018年7月2日(81歳没)

血液型: A型

出身地: 神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)

最終学歴: 横浜市立横浜商業高等学校 定時制(中退)

所属: 日本芸術協会→落語芸術協会 オフィスまめかな(マネジメント・業務提携)

桂歌丸と娘の笑えるエピソード。

プライベートの公表をあまり好まなかった桂歌丸さんですが、結婚後は娘が誕生しています。

入院や手術のたびに娘さんは駆けつけていたとのこと。

あるニュースサイトには父娘のこんなエピソードが取り上げられていました。


これから緊急手術がはじまるという集中治療室。

意識がもうろうとしている父を心配して、私が誰かわかるかと声をかけたそうです。

返ってきた言葉は、「ブタ」。

続いて、何かほしいものはあるかと訊ねると、今度は「カネ」。

どんな状況であっても、まず人を笑わせることを考えるのでしょうね。

娘は一般人?

歌丸さんの娘については、詳しい情報がありません。

名前はもちろん、年齢や職業なども不明であり、プロフィールが公表されたことはないようです。

となると、芸能人ではない可能性が高そうですね。

子供の情報を知った人は、父親の歌丸さんが有名人であることから、「娘も芸能界入りする?」と想像したかもしれません。

2世タレントとして活躍する芸能人は何人もいるので、期待する気持ちはわかります。

ですが、本当に芸能人ならプロフィールが出ていそうなものです。

それらしき情報がないということは、芸能とは関係ない生活をしているのではないでしょうか。


ちなみに、顔写真が紹介されたことはないため、容姿についても不明です。

情報がないので想像するしかありませんが、父親に似ている可能性もありそうですね。

娘は既婚者

2018年の訃報では、孫についても触れられている歌丸さん。

この日朝には妻冨士子さん、子ども、孫らが駆けつけ家族の見守る中で静かに息を引き取った。

娘さんには、子供が生まれていたのです。

詳しいことは不明ですが、結婚した時期は20歳の頃という噂があります。

そして、歌丸さんが42歳のときに出産しているのだとか。

歌丸さんは1936年生まれなので、噂が本当なら、孫は1978年生まれということになります。

2023年は45歳になる年ですね。

孫も一般人と思われるため、詳細な情報は明かされていませんが、すでに既婚者で出産していることは間違いありません。

2016年、歌丸さんの65周年記念公演では、ひ孫が80歳の誕生日を祝福していました。

サプライズで、ひ孫の八城穏空(やつしろ・しずく)ちゃん(7)が登場。穏空ちゃんに「80歳の誕生日おめでとう」と祝福され、歌丸は照れたような笑みを見せた。

娘や孫の写真はありませんが、ひ孫は顔を見せているんですね。

2016年時点で7歳なら、2023年現在は14歳になる頃です。


歌丸さんの娘さんからすれば孫なので、成長していく姿を嬉しく感じているのではないでしょうか。

ちなみに、娘さんの結婚の噂からは、その生活を想像することもできます。

職業不明の娘さんですが、20歳で結婚した話が本当なら、早くから専業主婦となっていた可能性もあるでしょう。

結婚した正確な時期はわかりませんが、子供が生まれてからは育児に専念していたのかもしれませんね。

桂歌丸、『笑点』で鬼嫁の奥さんは?

『笑点』では恐妻としてネタにされていた奥さんは冨士子さんといい、4歳年上。

歌丸さんの生家の近くに家があり、昔から顔見知りでした。

当初、駆け出しの落語家との結婚に冨士子さんの周囲は猛反対。

けれども冨士子さんは、噺家としての彼にかけてみたいと説き伏せたのだそう。

当時の師匠だった古今亭今輔さんが勧める縁談を断って、歌丸さんは1957年に結婚。

最後の出演となった2016年5月22日の『笑点』では、観客として客席から見守る冨士子さんの姿がありました。

歌丸さんが亡くなった2018年7月2日の明け方、危篤の知らせを受けて真っ先に駆けつけた冨士子さん。

まだ誰もいない病室で、「苦労をかけたな」と歌丸さんから最後の言葉が。


落語一筋だった自分を支えてくれた妻への感謝の思いがあふれたのでしょう。

実際は鬼嫁どころか、内助の功が大きかったようです。

桂歌丸の家族構成

家族構成についても明らかにされていません。

ですが、冨士子さんへの取材からひ孫がいることがわかっています。

芸歴が長く認知度も高い芸能人でありながら、ここまで詳細が不明なのですから、非公開を徹底したのでしょう。

父親の椎名貞雄さんは遊女屋の長男で、歌丸さんが3歳の時に結核で他界しました。

その後母親のふくさんが家を出てしまったため、9歳からは祖母・タネさんに育てられました。

タネさんは横浜で「富士楼」という妓楼を営む女将。

その筋の人も道を譲るほどの女傑だったといいます。

桂歌丸の意外な家と生まれ育った横浜

落語家として大成したあとも、昔と変わらぬつましい暮らしを送っていた桂歌丸さん。

横浜市にある家は60㎡の古い戸建てでした。

訃報を受けて駆けつけた報道関係者は、大御所に似つかわしくない質素な家に驚いたといいます。

くたびれたカーテンなどを捨てずに使っているのが外からも見てとれたそう。


質素な暮らしは新婚時代の苦労を忘れないためだったのでしょうか。

歌丸さんと冨士子さんが生まれた横浜の真金町は、かつて遊郭街として知られたところ。

それでも歌丸さんは遊郭育ちであることを隠さず、笑いに変えていきました。

江戸落語の噺家であるにもかかわらず、江戸言葉を使わない落語で知られた歌丸さん。

ハマっ子としての誇りが伝わってくるようです。

自宅近くの三吉演芸場は40年にわたり独演会や一門会を開いてきた、いわばホームグラウンド。

盆踊りなどの地元のイベントには進んで参加し、商店街に買い物にでかけては気さくに声をかけてくれたそうです。

最後まで横浜を愛し、この地を離れなかった桂歌丸さん。

『笑点』の名司会者も、地元では「近所の優しいおじいちゃん」だったのでしょう。

桂歌丸の経歴まとめ

日曜夕方の長寿番組『笑点』の名司会でおなじみだった桂歌丸さん。

1966年の放送開始からの大喜利メンバーであり、途中ブランクはあるものの、足かけ50年出演し続けました。

本名を椎名巌さんといい、1936年8月14日に横浜市で誕生。

幼い頃からラジオで落語をきくことが好きで、小学校4年生の時に落語家になると決意。


長きにわたりテレビ番組で落語人気を支えるかたわら、古典落語にも情熱を注ぎ、埋もれていた演目をわかりやすく今によみがえらせました。

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