桂歌丸、円楽との仲。一門&後継者はだれ?性格と評判まとめ

放送開始から50年たった今も高視聴率を獲得する人気番組、『笑点』。

その第1回からレギュラー出演し、後年は5代目司会者として番組を盛り上げた桂歌丸(かつらうたまる)さん。

まさに「ミスター笑点」の称号にふさわしい落語家ですね。

円楽さんとの罵倒合戦は『笑点』の名物でしたが、二人は実生活でも仲が悪かったのでしょうか。

この記事では桂歌丸さんの性格に迫るとともに、歌丸一門や後継者についてみていきます。

桂歌丸のプロフィール

本名: 椎名巌(しいな いわお)

生年月日: 1936年8月14日

没年月日: 2018年7月2日(81歳没)

血液型: A型

出身地: 神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)

最終学歴: 横浜市立横浜商業高等学校 定時制(中退)

所属: 日本芸術協会→落語芸術協会 オフィスまめかな(マネジメント・業務提携)

『笑点』名物だった桂歌丸と円楽の悪口バトル。本当の仲は?


2018年7月2日、慢性閉塞性肺疾患のため81歳の生涯を終えた桂歌丸さん。

本名を椎名巌さんといい、1936年8月14日、横浜市に生まれました。

「桂歌丸」の初代です。

15歳で古今亭今輔師匠に入門して以来、65年という長い年月を落語一筋に生きてきました。

晩年は車椅子での移動を余儀なくされ、鼻には酸素吸入用のチューブを付けて高座へ。

埋もれた演目の発掘や好きな古典落語への情熱を絶やすことなく、生涯現役を貫いた姿には頭が下がる思いです。

「ジジイ」と呼ばれながらも、まだまだ元気に『笑点』の司会を続けてほしいと出演者も視聴者も願っていたはず。

勇退したのは放送スタートからちょうど50年を突破した2016年5月22日でした。

『笑点』で繰り広げられた歌丸さんと円楽さんの罵り合いも忘れられませんね。

歌丸さんをジジイ呼ばわりし、葬式ネタや髪の毛ネタでけなし続けた円楽さん。

この掛け合いはあくまで演出であり、番組を離れれば稽古をつけてもらったり、二人会を行ったりと関係はとても良好でした。

すべてディスり芸だったというわけです。

この悪口バトルが誕生したきっかけは、ネタに苦しんでいた円楽さんに歌丸さんがくれた、俺をネタにしていいよというひと言でした。

おかげで円楽さんはキャラ作りに成功。

自分には父親が3人いるとも語っています。

それは実父と5代目円楽さんと歌丸さん。

いつも真っ先にお見舞いに駆けつけたのもこの人でした。

没後に放送された『ありがとう歌丸さんSP』では、こらえきれずに歌丸さんへの思いをぶちまけた円楽さん。

「桂歌丸を人間国宝にする会」の会長として署名も呼びかけていますね。

桂歌丸一門と後継者

歌丸一門には5人の弟子がいます。

一番弟子の桂歌春さんは、いつも『笑点』で見ていた歌丸さんが独演会では打って変わって古典落語に取り組む姿に感銘を受けて入門。

桂歌助さんは東京理科大学理学部数学科卒業のインテリです。

著書『師匠 歌丸 背中を追い続けた三十二年』を刊行しました。

桂歌若さんの得意は新作落語。

ウェブの企画や機関誌の編集を担当しており、「Here we go!」となぜか英語で気合いを入れて高座に上がる落語家です。

桂歌蔵さんはプロボクシングのC級ライセンスを持ち、極真空手やバンド活動もしていたという変わり種。

コラムニストとしても活動しており、師匠を描いた小説『廓に噺せば』を発表しています。

桂枝太郎さんは高校時代の学校寄席で落語の虜になりました。

桂歌丸さんの死去を受けて、大きな柱を失った東京の落語界はどうなるのかと心配する見方もあるようです。


かつて『笑点』の先代司会者だった5代目円楽さんから『笑点』と東京の落語界のバトンを託された歌丸さん。

生前、歌丸さんは後継者についてこんな言葉を残しています。

まだ本人たちには伝えていないが、自分が会長を務めてきた落語芸術協会の3人に後を託したい。

その3人は三遊亭小遊三さん、桂米助さん、春風亭昇太さん。

『笑点』の司会者のバトンは春風亭昇太さんに受け継がれました。

2023年現在、昇太さんは落語芸術協会会長も務めています。

桂歌丸はどんな性格?

桂歌丸さんの性格について、落語家たちが口をそろえて言うことがあるそうです。

それは相手が誰であっても、いつも「さん」付けで呼んでいたこと。

上下関係が厳しい落語界にあって、同業者には常に「さん」付けでした。

とはいえ、ただ優しいだけの大先輩だったわけではありません。

とりわけ弟子に対しては厳しく、叱るべきところはしっかり叱る師匠だったようです。

歌丸さんの師匠である桂米丸さんによると、真面目でとても意志が強く、頑固なところがあったとのこと。

人気者になっても天狗にならず、好きな古典落語に真摯に向き合う姿勢は見事だったと評しています。

円楽さんとの掛け合いからもわかるように、後輩による先輩いじり芸を許容できる器の大きさもあったのでしょう。


『笑点』を通じて、寄席の落語という演芸を日本中に行き渡らせた功績ははかり知れません。

「山田君、座布団全部持ってって」という声が今も聞こえてくるようです。

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