本田美奈子の父親&母親エピソード。喫茶店を経営&兄弟は?改名の理由と出身高校について

澄んだ歌声が「天使の歌声」と評される本田美奈子(ほんだ みなこ)さん。
愛らしいルックスと慈愛に満ちた精神を持つ本田美奈子さんは本当の天使だったのかもしれません。

本田美奈子のプロフィール

本名: 工藤美奈子(くどう みなこ)

活動名: 本田美奈子.(2004年11月~)

生年月日: 1967年7月31日

没年月日: 2005年11月6日(38歳没)

身長: 162cm

血液型: O型

出身地: 東京都葛飾区

最終学歴: 堀越高等学校

所属事務所: BMI(最終所属)

本田美奈子の父親は芸能界入りに反対だった

1985年にアイドル歌手としてデビューした本田美奈子さん。

今も昔もアイドルと言えばルックスばかりが注目の的。
ですが本田美奈子さんはルックスだけでなく歌声も高く評価されていました。


原宿でスカウトされた事で芸能界入りした本田美奈子さん。
スカウトしたスタッフは本田美奈子さんをアイドルグループ「少女隊」のメンバーにするつもりだったそうです。
ですが、歌声が素晴らしかったためにソロデビューが決まったというエピソードがあるほど。

抜群のルックスと歌唱力を兼ね備えた本田美奈子さん。
アイドルに必要な素質を持つ本田美奈子さんの人気が出ないはずがありません。

当然のように多くの賞レースで新人賞を受賞。
更にはデビュー1年目で日本武道館でコンサートを行うなど瞬く間にトップアイドルの仲間入り。

1990年代になると活動の中心をミュージカルに移した本田美奈子さん。
1万人以上が応募し、半月にも及ぶオーディションで「ミス・サイゴン」の主演に決定。

当初は元アイドルに主演が務まるのか、という声もありました。
ですがそんな声を見返すかのように1年半ものロングランで主演を演じ切ると評価が一変。
その後、本田美奈子さんの元には多くのオファーが舞い込むようになったそうです。

こうしてミュージカル界の新たなスターとなった本田美奈子さん。
更なる飛躍が期待されていましたが、2005年1月に急性骨髄性白血病を発症。
復帰を目指して臍帯血移植や抗がん剤による治療を行うも2005年11月6日に帰らぬ人となってしまいました。

本田美奈子さんの葬儀で喪主を務めたのは母。
というのも本田美奈子さんが17歳の頃に両親は離婚してしまっているんです。

両親は一般人のため当然ながら離婚の原因は明かされていません。
ただ、本田美奈子さんの父は芸能界に入る事に反対だったと言われています。

もしかすると本田美奈子さんが芸能界に入った事が両親の仲に亀裂を入れてしまったのかも。
離婚後は父親が家を出て行ったそうなので、その可能性は高いかもしれません。

本田美奈子の歌唱力は母親のおかげ?

歴代のアイドルの中でも屈指の歌唱力を持つ本田美奈子さん。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、本田美奈子さんは幼少期から歌う事が好きだったそうです。

本田美奈子さんが歌を好きになったきっかけは母親の存在。
というのも本田美奈子さんの母はかつて歌手を夢見ていたそうです。

母に影響を受けたためか、本田美奈子さんは当初はアイドルではなく演歌歌手を目指していたようです。

演歌歌手に求められるのは何と言っても歌唱力。
本田美奈子さんは演歌歌手を目指していたから歌唱力も高かったのかもしれませんね。

なお、父親が芸能界入りを反対していたのに対して母親は大賛成。
きっと自分の夢を娘が叶えてくれる事が嬉しくて仕方が無かった事でしょう。

この温度差も離婚の原因に繋がってしまったようにも思えてしまいます。

母親の意思を受け継ぎ歌手となり大成功を収めた本田美奈子さん。
現在は母親が本田美奈子さんの遺志を受け継ぎ、白血病に苦しむ人々の支援活動を行っています。

本田美奈子は喫茶店を経営していた

芸能界は浮き沈みが激しいため、いつ仕事がなくなるか分かりません。
特に最近では清廉潔白を求められる事が多く、ちょっとした不祥事が命取りになることも。

そのためサイドビジネスとして会社の経営や不動産や株式投資を行うタレントが増えているようです。
ですが、芸能人のサイドビジネスとして一般的なのが飲食店の経営でしょう。

有名な所では市川猿之助さんに和田アキ子さん、名倉潤さんに東貴博さんなど。
錚々たる面々がサイドビジネスとして飲食店を経営しています。


実は本田美奈子さんも過去に飲食店を経営していたことがあるんです。

本田美奈子さんが経営していたのはカラオケ喫茶「本田美奈子の店・5555」。
時期としては1990年頃で場所は中目黒でした。

常に第一線で活躍しているイメージが強い本田美奈子さん。

ですが1986年にリリースした「1986年のマリリン」の後、大ヒット曲は生まれず。
1988年には心機一転、ロックバンド「MINAKO with WILD CATS」を結成するも1989年に解散。
そしてミュージカル「ミス・サイゴン」で再び脚光を浴びたのが1992年。

つまり1989年から1992年までは目立った活動をしていなかったんです。
本田美奈子さんがカラオケ喫茶をオープンしたのは丁度このころ。

そのため喫茶店の経営はサイドビジネスというよりも本業に近い形だったのかもしれません。

ただ、本田美奈子さんほどの人気者であれば喫茶店の経営でも十分すぎるほど稼げていたことでしょう。
ゆくゆくは複数店舗化も可能だったかもしれません。

それでも再び表舞台に戻ってきた本田美奈子さん。
かつて「歌と結婚した」と語ったように、本当に歌う事が大好きだったのでしょうね。

本田美奈子には兄弟がいる?

本田美奈子さんには4歳年下の妹がいるようです。
妹の名前は岡村律子さん。

岡村律子さんは芸能界には進まず一般人。
そのため詳細な情報を見つける事は出来ませんでした。

ただ、岡村律子さんの顔は確認する事ができます。
2017年に本田美奈子さん追悼コンサート「音楽彩」に出演した田村芽実さんのブログに岡村律子さんの写真が掲載されていました。

本田美奈子さんの妹だけあってかなりの美人。
芸能界に進んでいてもおかしくない美貌の持ち主です。

なお、この写真には岡村律子さんの娘も写っている事から既婚者のようです。

本田美奈子が改名した理由

本名と思われがちですが実は「本田美奈子」は芸名で本名は「工藤美奈子」。

芸名を付ける事にしたのは先に工藤夕貴さんがデビューしていたから。
そして世界を舞台に活動して欲しいという思いから自動車メーカーのHONDAにちなんで「本田」となったそうです。

長らく「本田美奈子」で活動してきましたが2004年に「本田美奈子.」に改名。
やや分かりにくいですが名前の後ろにピリオドが付いたんです。

「本田美奈子」から「本田美奈子.」に改名した理由は画数。
31画という数字が女性にとっては演技が良い画数という事で1画増やすためにピリオドを付けたようです。
なお、ピリオドが付いても読み方は「ほんだみなこ」のまま。

改名をした2004年は本田美奈子さんが体調を崩し始めた時期。
何かを変えようという思いから改名をしたのかもしれません。

本田美奈子の出身高校はどこ?

高校生の頃にスカウトされ芸能界に入った本田美奈子さん。
そのため出身高校は芸能活動コース(現在のトレイトコース)がある堀越学園。

ただ、本田美奈子さんは最初から堀越学園に通っていたのではなく編入。
元々は東京成徳短期大学附属高校に通っていました。

普通の学校だと仕事との両立が非常に困難なため堀越学園に編入したのでしょう。

堀越学園の同級生には岡田有希子さんや長山洋子さん、いしのようこ等がいたそうです。
そんな中でも特に仲が良かったのは南野陽子さん。


本田美奈子さんと南野陽子さんは編入試験で席が隣同士に。
その後も交流を深めていき親友と呼べる存在になったそうです。

公私に渡って何でも話せる間柄だった二人。
もしかすると普通の女子高生と同じく恋の話もしていたかもしれませんね。

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