没後も毎年のように追悼ライブが行われ、公式サイトも開設されている本田美奈子(ほんだみなこ)さん。
ミュージカル女優として、またデビュー20周年に向けて飛躍が期待された矢先の悲報でした。
歌に生き、歌い手として死にたいとの願望を持っていたそうですが、その人生に結婚が入り込む余地はなかったのでしょうか。
彼氏と報じられた諸星和己さんとの関係や「息子」という関連ワードについて迫ります。
本田美奈子は歌と結婚した歌手だった
澄んだソプラノと、華奢な体からは想像できないような力強い歌唱が「魂の歌声」と称された本田美奈子さん。
本名を工藤美奈子さんといい、1967年7月31日に東京都板橋区で生まれ、埼玉県朝霞市で育ちました。
へそ出しルックで話題をさらったアイドル時代、実力派女優として不動の地位を築いたミュージカル時代、新境地を切り拓いたクラシック時代。
デビュー以来、ずっと「本田美奈子」という芸名で活動していましたが、2004年11月に姓名判断により「本田美奈子.」に改名しました。
どんな思いで改名を決意したのかは知る由もありませんが、この頃はちょうど体調を崩しはじめた時期にあたります。
翌2005年1月には急性骨髄性白血病と診断されて入院。
およそ10か月の闘病生活ののち、11月6日に帰らぬ人となりました。
闘病中にリリースされた『アメイジング・グレイス』の美しいソプラノを記憶にとどめている人は多いでしょう。
んー私だけかなぁ…#本田美奈子さん の歌や動画や記事見て、いまだに涙😢するのは… pic.twitter.com/rnGtbVSfTo
— さむさん (@samusan1020) March 1, 2019
10代の頃は「20歳までに結婚したい」と語っていた本田美奈子さん。
あどけないルックスに似合わないセクシーさと抜群の歌唱力を持ったアイドルでした。
熱狂的な男性ファンも多く、なかには婚姻届を手に楽屋を訪れた人もいたそうです。
大の子供好きで、甥や姪には「ママ」と呼ばせてかわいがっていたというエピソードもありますから、将来は結婚して母になる夢もあったはず。
けれども、やがて結婚の夢を自ら断ち切り、歌と結婚したから現世では結婚しないと口にするようになりました。
言葉通り、生涯独身を通した本田美奈子さん。
歌に捧げた38年の人生だったといえるでしょう。
本田美奈子の彼氏・諸星和己との熱愛報道について
結婚歴のない本田美奈子さんですが、ロマンスが報じられたことはありました。
1990年に写真週刊誌が光GENJIの諸星和己さんとの交際をスクープ。
諸星さんの自宅から二人が連れ立って車に乗り込む瞬間を押さえられ、熱愛疑惑が浮上します。
諸星さんは多くの女性芸能人と浮名を流すプレイボーイとして有名ですが、本田美奈子さんとは破局と復縁を繰り返しながら2000年代初頭まで恋愛関係にあったといわれ、本命の女性だったのではないかとみる向きが強いようです。
【STAFFレポート】
ミュージカル・ギルドq.
『Last Shangri-La』
ご来場、誠にありがとうございました🎊
終演後、楽屋にて諸星さんと📸
ありがとうございます‼️
STAFF#諸星和己 #石原慎一#ラストシャングリラ pic.twitter.com/SohTbRlJIb— 石原慎一 OFFICIAL:5/23 60th.バースデーライブ開催 (@shin_ishihara) March 1, 2020
デビュー前から本田美奈子さんのファンクラブに入会していた諸星和己さん。
スクープした週刊誌によると、出会いは本田美奈子さんの『1986年のマリリン』がヒットしていた頃のこと。
姉のような存在でもあると諸星さんが自著で語っていることから、お相手は同い年の工藤静香さんではなく年上の本田美奈子さんととらえる人が多いようです。
破局の理由についてもいくつかの説がありました。
週刊誌の記事では事務所が交際・結婚に反対したとされており、諸星さんの自著では「歌と結婚したから誰とも結婚しない」と彼女に告げられたことになっています。
また、諸星さんのプレイボーイぶりに本田美奈子さんが疲れ果てたという見方もあるようです。
二人は結婚には至りませんでしたが、時代やそれぞれの立場を考えると、どうにもならないものがあったのかもしれません。
諸星和己の元彼女は工藤静香&本田美奈子。おニャン子クラブは誰と?浅香唯との関係
本田美奈子さん#本田美奈子
フォルダから見つかった1枚😅 pic.twitter.com/SOI6goSaai
— 明日花(NAkina エヌアキナ) (@NAkina0713) March 19, 2020
本田美奈子の関連ワードの「息子」とは?
本田美奈子さんには子供はいないので息子もいません。
「息子」というワードで検索されるのは、おそらく『ミス・サイゴン』の劇中の息子・タムの影響でしょう。
『ミス・サイゴン』は1992年に日本で初演された名作で、本田美奈子さんが約1万数千人の中からヒロイン・キム役を射止め、ミュージカル女優として羽ばたくきっかけとなった作品。
時はベトナム戦争末期。
家族を失った17歳のキムと米兵・クリスは愛を誓い合いますが、サイゴン陥落後にクリスは単身アメリカに帰国。
キムはクリスの子・タムを出産し、クリスとの再会を夢みながら一人でタムを育てます。
幼い息子のために国境越えを決意するキム。
本田美奈子さんの歌唱による名曲『命をあげよう』が感動的な場面です。
ヒロイン・キムの愛や母性に肉迫したパフォーマンスを観て、もしや実生活でも息子がいるのではと思った人がいたのかもしれませんね。
闘病中の日記には、「神様は歌わせてくれないのですか」と綴られていたといいます。
歌手として努力を重ね、心から歌を歌えるように成長して復帰することを強く望んでいた本田美奈子さん。
志なかばで夢が断たれてしまったのは残念ですが、それでも本田美奈子さんには歌姫という言葉がよく似合います。
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