清川あさみ、旦那だった佐藤オオキとの結婚。再婚も芸術家!経歴まとめ

カリスマ読者モデルから、あらゆる分野でのアーティストとして活躍する清川(きよかわ)あさみさん。

旦那さんに関しても、佐藤オオキさんと結婚され、また、再婚者も彫刻家の名和晃平さんとお二方とも芸術家でした。

そんな彼女の輝かしい経歴も話題のようです。

清川あさみのプロフィール

生年月日:1979年9月15日

出身地:兵庫県淡路島

最終学歴:文化服装学院

清川あさみ、かつて結婚した旦那は佐藤オオキ!

清川あさみさんは2度の結婚を経ておられますが1人目は、佐藤オオキさんです。

デザイナーや建築家としてご活躍され、デザインオフィスnendoの代表を務められている方ですね。


早稲田大学OBでもあり、2016年には同大学のラグビー蹴球部新ユニフォームのデザインを担当されています。

また、より私たちの身近なところではロッテ「ACUO」のブランド開発にも協力され、ロゴ、パッケージ、店頭用資材や広告用グラフィックなどその全てに携わられました。

本商品は、2007年のグッドデザイン賞を受賞しています。

こうした才能をお持ちのお二人は、2006年に結婚され、2012年に離婚されています。

離婚理由に関しては価値観の不一致とみられています。

二人の破局理由は明らかになっていないが、仕事による価値観の違いではないかといわれている。

お互い才能があるだけに、合う時と合わないときの差が激しそうですね。

交際のきっかけは?

清川さんが佐藤さんと付き合うきっかけとなったのは、やはりアートという噂があります。

その素晴らしいデザインに心を打たれたことが、交際につながったのだとか。

確かに、佐藤さんのデザインはどれも素晴らしいですよね。

また、出会ったのは何かの賞の授賞式だったという説もあるようです。

詳しい馴れ初めは明かしていないようで、噂の真偽は不明ですが、2人はアーティストとデザイナー。


授賞式で出会ったり、作品に感動して恋心が芽生えたりすることは、いかにもありそうです。

そんな想像が、馴れ初めの噂として広まったのかもしれませんね。

佐藤オオキとの深いつながり

最終的には離婚してしまった清川さんと佐藤さんですが、長く寄り添っていく可能性もあったかもしれません。

スピリチュアルヒーラーとして活躍する伊藤嶺花さんが、2人の深いつながりを発見したのです。

最初に佐藤さんが伊藤さんと会っており、そのすごさを教えてもらったという清川さん。

対談企画で実際に伊藤さんと対面したところ、夫婦の意外な関係がわかりました。

清川 ツインソウル?

伊藤 もともとひとつだった魂がふたつに分かれて、今生で出会ってるんです。

清川 ええぇぇぇぇぇー!

ツインソウルだと、どちらにもまったく同じエネルギーが流れているのだとか。

別々の人間として誕生したため、異なる部分がいろいろありますが、もとは2人で1つだったわけです。

伊藤さんによれば、分かれてツインになった理由は、伝えたいことが大きすぎるから。

世界の大きな流れを意識し、自分なりのやり方で何かを発信しようとしたものの、そのためにはいくつものアプローチで挑戦する必要がありありました。

1人の人間としての肉体ではとても足りなかったため、ツインソウルとなったそうです。

この話を聞いた清川さんは、佐藤さんと似ている部分が多いことを思い出したようですね。

ツインソウルの人間同士が惹かれ合い、結婚したというのは、自然な流れだったのでしょう。


ただ、伊藤さんはデメリットも説明していました。

合わせ鏡のようにそっくりなため、イラっとすることもあるそうです。

自分と似た欠点のある人に対して、「自分を見ているようでイライラ」ということはありますよね。

前述のとおり離婚理由は明かされていませんが、似すぎているために、うまくいかないことも多かったのかもしれません。

清川あさみ、再婚相手は?

清川あさみさんは、佐藤オオキさんと離婚後、2016年4月27日に彫刻家の名和晃平さんとの再婚を発表されています。

公式サイトで掲載されたそのコメントが見受けられました。

この度わたくしごとではありますが名和晃平さんと、先月結婚し入籍いたしましたことをご報告致します。先日、互いの家族が揃ってのささやかながらの式も執り行いました

彫刻というと、黙々と彫刻刀で削っているイメージかもしれませんが、名和晃平さんはガラスビーズなども使われるようです。

また、京都造形芸術大学大学院特任教授、総合造形コース主任という肩書きもお持ちですね。

同年10月18日に第1子となる男の子を出産されました。

このお子さんは、なんと名和晃平さんそっくりだそうです。

また、2019年2月11日に第2子を出産されています。


こちらは、お誕生日が建国記念日だそうです。

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この度、第二子が日本の建国を祝う日、建国記念日という日に我が家にとても元気にやって来てくれました。 予定より早く、予定よりちょっと大変なお産でしたが、パパも立会いのもと生まれた赤ちゃんはとても凛とした男の子です。 見守ってくださった皆様ありがとうございました、これからも家族四人共々よろしくお願いします。取り急ぎご報告まで✨ #初代天皇が天皇になった日 #幸せ #japan #第二子出産 #うまれてきてくれてありがとう #名和晃平 #清川あさみ #チビ君もお兄ちゃんに #男子に囲まれ賑やかなお家へ🏠#asaminawa

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日本と同じ誕生日とは、国民みんなに祝福されているみたいですね。

清川あさみの経歴

カリスマ読者モデルからアーティストへと転身した清川あさみさん。

美貌とクリエイティブの能力という二物を神が与えてしまったかのような彼女の経歴は、一体どのようなものなのでしょう。

FRaUでの活躍

1979年9月15日に兵庫県の淡路島で生まれた清川あさみさんは、1997年に上京されます。

これは、決して芸能界デビューを目指してというわけではなく、服飾系の専門学校に通うためでした。

しかし、すぐにスカウトされ、翌年にはカリスマ読者モデルとして名を馳せました。

そこから、2001年に初個展を開くなどアーティストとしても活躍し始めます。

彼女の芸術作品を語る上で外せないのがFRaUで連載中の『美女採集』ですね。

こちらは2007年から発表し続けている作品で、社会で活躍する様々な女性の本質を動植物に見立てるというシリーズです。

『様々な』というなかには、決して人間だけには留まりません。

時には、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイなどアニメのキャラクターもその対象となるようです。

テーマとなった女性の写真に刺繍を施すという独自の手法でも人気を博しておられます。


2016年8月10日発売の同誌では、芳根京子さんが選ばれたそうです。

当時、彼女はNHK朝の連続テレビ小説『べっぴんさん』で主演を務めていましたね。

実は清川あさみさんも同作のポスターとオープニング映像のビジュアル全般のディレクションを手がけていたのです。

Mr.Childrenの『ヒカリノアトリエ』に乗せて芳根京子さんがステップを踏んでいたのが懐かしいですね。

なんでも、同曲を聞いてガラッと作品を変えたそうです。

さらには、木村カエラさんのデビュー曲『リルラリルハ』のCDジャケットや、絵本、広告、空間などあらゆるジャンルで活動されていますね。

現在(2023)へとつながる変化

このように順風満帆な人生を歩んできたかに見える清川あさみさん。

しかし、意外な淡路島時代とそれを変えたエピソードを資生堂『専科』のインタビューにて明かしています。

同じメンバーで同じ学校にずっと通って……淡路島という独特のコミュニティの中で、毎日、特にやりたいこともなく、なんだかつまらないなと思ってました。3~4歳くらいから、冷静にまわりを俯瞰していた気がします。唯一の楽しみといえば、土日の家族旅行くらい。それを楽しみに平日を乗り切る、サラリーマンみたいな小学生でした(笑)

『毎日満員電車に揺られて…』みたいな心境だったということでしょうか。

年齢の割に大人びた性格だったのかもしれませんね。

そのなかで、美術の成績が良かったといいますが、これも、好きで絵を描いていたというより、『それしかやることがなかった』んだそうです。

そんな彼女の生活を変えるきっかけとなったのが『黄色いリュック』との出会いだったといいます。


実は、これがご自身にとって初めての自らの意思で選択したモノだったそうです。

そこから、ファッションに目覚めた清川あさみさん。

女子高生ともなると、その風貌はおそらく島でオンリーワンだったのではないでしょうか。

ピンクの前髪、真っ赤なヴィヴィアン・ウエストウッドのコート、そしてヒールを履いていたそうです。

しかし、このオンリーワンはとくに女子からモテたといいます。

『こういう服を着てほしい』というリクエストまで届いたというのですから、もう島のファッションリーダーですね。

しかし、淡路島を飛び出してもその存在感はあせることなく、むしろ輝きを増します。

文化服装学院に通うと、『Zipper』、『CUTiE』、『A-GIRL』などで活躍するカリスマ読者モデルになっていました。

『東京に出て現実を突きつけられる』という話はよくありますが、清川あさみさんの場合は別ですね。

その背景には、彼女の考え方が活きているのかもしれません。

自分の意思で全てを決定し、そこに生まれる責任もまた嬉しいといいます。

だからこそ、カリスマモデルになった後、スパッと辞めることにも抵抗はなかったようですね。

むしろ、自分の居心地の良い場所に戻ろうと考えて決定したそうです。

あるいは、非常に潔い性格で、美女採集を始めたきっかけがそれを物語っています。


またやりたくなるかもしれないということに関しては、彼女は考えていないとも語っています。

こうした言葉の数々を読んでいると、『可能性を残す』というのは、選択肢を広げるのではなく、ブレーキになってしまうのかもしれないと思えてきますね。

これだけの思い切りを持つ彼女、『VOGUE JAPAN Women of the year 2012』や『ASIAGRAPH2013 創(つむぎ)賞』の獲得も、納得ですね。

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