日本を代表する詩人の谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう)さん。
言葉の名手として知られる大詩人ですが、女性遍歴が華やかなことでも知られています。
今回は谷川さんの妻だった、佐野洋子さん、岸田衿子さんとのエピソードをご紹介しましょう。
また息子、結婚歴、家の詳細もまとめます。
谷川俊太郎のプロフィール
本名:谷川俊太郎
生年月日:1931年12月15日
身長:不明
出身地:東京都杉並区
最終学歴:東京都立豊多摩高等学校
元妻・佐野洋子とのエピソード
まずは元妻の佐野洋子さんとのエピソードをご紹介します。
名作絵本『100万回生きたねこ』の著者として知られる洋子さん。
最初の夫と結婚したのは、武蔵野美術大学を卒業後、白木屋宣伝部に入社してイラストを描く仕事をしていた時期です。
その後はベルリン留学を経て、『やぎさんのひっこし』で絵本作家デビューし、作家、エッセイストとして活躍します。
1980年に離婚し、10年後に谷川さんと再婚しました。
最初の夫との子供である画家の広瀬弦さんは、母の再婚当時21歳でした。
しかし中学の時点で、谷川さんと共作も手掛けていた母から、彼を紹介されたそうです。
広瀬さんにとって谷川さんは、父というよりは知り合いのおじさんという印象だったのでしょう。
最初の頃は「母と谷川さんはイチャイチャしていた」と語っています。
熱愛だったと思われますが、結婚から6年後に離婚。
おそらく洋子さんから見た谷川さんは、詩人として尊敬はできても、家庭人としては身勝手に思えたのでしょう。
しかし離婚後、北軽井沢の谷川さんの別荘の隣に転居し、彼を気にするそぶりを見せ続けたそうです。
一緒にいるとかみ合わないことがあっても、少し距離を置けば問題なく愛せたのかもしれません。
2010年に72歳で、乳がんにより亡くなった洋子さん。
しかし彼女に関するイベントで、谷川さんと広瀬さんの対談が行われるなど、血のつながらない親子同士の交流は続いています。
昨日、友人と出かけた
オトナの修学旅行♪神奈川近代文学館にて
開催中の
「まるごと佐野洋子展」谷川俊太郎さん
広瀬弦さんの対談も
愉しくて〜♪ひとりの女性の
生きていらした姿を
遺された言葉や作品から#想い起して pic.twitter.com/FWjXVd10dC— sako yuko (@LittleRing) September 12, 2015
部外者からは理解できない、複雑な愛憎関係で結ばれた夫婦だったのでしょう。
元妻・岸田衿子とのエピソード
次に最初の妻だった岸田衿子さんとのエピソードをご紹介します。
劇作家・岸田國士の長女として、谷川さんと同じ杉並に生まれた衿子さん。
妹に女優の岸田今日子さん、従弟に俳優の岸田森さんがいる、芸術家一族でした。
衿子さんも芸術的センスが抜群で、東京藝術大学油絵科を卒業しています。
しかし肺病により画家の道を断念し、絵本制作や詩作を行うようになりました。
彼女の業績として最も知られているのは、フジテレビ『世界名作劇場』で放送された名作アニメの主題歌の作詞でしょう。
『アルプスの少女ハイジ』、『フランダースの犬』、『赤毛のアン』などのオープニング、エンディングのテーマを作詞。
また童話の翻訳、執筆を行い、日本を代表する作家となりました。
岸田衿子(2011年4月7日没)
きこえるかしら ひづめの音…で始まる名作アニメ「赤毛のアン」主題歌の作詞が、岸田衿子と知ったのは、アニメ放映からずいぶん経ってから。父は岸田國士、元夫は谷川俊太郎、田村隆一(ともに後に離婚)という、言葉のサラブレッド。一語一語が美しい。82歳没。 pic.twitter.com/74wjkLyLup
— 命日の本棚 (@yahachi3) April 7, 2019
谷川さんと結婚したのは、1954年10月4日。
幼馴染みだった2人はお互いを「俊ちゃん」、「衿子さん」と呼ぶ、仲睦まじい夫婦でした。
しかし谷川さんは自身作の『大きな栗の木』を劇団文学座が上演した際、出演女優の大久保知子さんと急接近。
夫婦は別居し、1956年10月に離婚しました。
衿子さんはその後、詩人の田村隆一さんと結婚しますが、結局関係が悪化し離婚しています。
谷川さんは知子さんと再婚し、最長の結婚期間となる32年間を共に過ごしました。
偉大な詩人の自由奔放な人柄に、振り回される女性も多かったのでしょう。
谷川俊太郎の息子は?結婚歴まとめ
次に谷川さんの息子の詳細と、結婚歴をまとめます。
実子は息子が1人、娘が1人いて、いずれも2番目の妻である知子さんとの子供です。
息子は1960年生まれの音楽家・谷川賢作さん。
佐渡入りしました!お昼を食べない俊太郎さんは、日本酒をご注文。まったり。奥にいるのは今回一緒に共演する、息子で音楽家の谷川賢作さん。(スタッフ) pic.twitter.com/fF2aTkQkA1
— 谷川俊太郎 (@ShuntaroT) June 13, 2014
1986年に市川崑監督の映画『鹿鳴館』で作曲家デビューし、以降ほとんどの市川作品の音楽を手がけています。
96年には父の現代詩を歌う音楽ユニット「DiVa」を結成しました。
大詩人と女優の優れた感性を受け継ぎながら、音楽という独自の道を進んで、両親にも認められてきたのでしょう。
面倒見の良い妻だった知子さんですが、谷川さんの母の介護問題で不和が生じ、89年に離婚しています。
大詩人の甘えん坊でわがままな一面は、衿子さん、知子さん、洋子さんと、目まぐるしい3度の結婚歴ににじみ出ていますね。
谷川俊太郎の家
最後に谷川さんの家をご紹介します。
谷川さんには北軽井沢の別荘がありますが、普段生活と仕事をしているのは、地元杉並の自宅です。
自宅の正確な位置はわかりませんが、阿佐ヶ谷、荻窪付近を地下鉄丸ノ内線で移動しているようです。
自宅の仕事部屋で、Macで作業を進める様子もメディアで公開されています。
軽井沢はあくまで避暑用の土地であり、本当に落ち着く土地は生涯杉並に変わりないのでしょう。
自由奔放に、感性の赴くまま生きてきた、詩人の素顔が垣間見られましたね。
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