伊集院静、酒と麻雀。武豊の競輪の師匠&競馬にも精通。石橋貴明との関係

作家や作詞家として高く評価される伊集院静(いじゅういんしずか)さん。

決して完ぺきとはいえない人物だったようですが、どこか憎めない人柄も魅力の一つなのかもしれません。

伊集院静のプロフィール

本名: 西山忠来

生年月日: 1950年2月9日

没年月日: 2023年11月24日(73歳没)

出身地: 山口県防府市

最終学歴: 立教大学文学部日本文学科

所属事務所: 自身の個人事務所

伊集院静はお酒に命を救われた?

吉川英治文学賞や直木賞など数々の賞を受賞した作家の伊集院静さん。

注目が集まるのは作品だけではありません。

妻子ある身でありながら女優の夏目雅子さんと不倫の末に結婚。


夏目雅子さんと死別した7年後には女優の篠ひろ子さんと3度目の結婚をするなど私生活も注目を集めました。

今でこそ誰もが知る作家となった伊集院静さん。

ですが、当初から作家として活動していたわけではありません。

何と作家になる前は電通に勤務するサラリーマンだったんです。

最初の妻と結婚したのも電通に勤務していた頃。

その後、CMディレクターに転身すると1977年に手掛けたCMで出会ったのが夏目雅子さん。

このCMがきっかけで不倫関係となった事で1980年に離婚。

作家としてデビューしたのはその翌年でした。

女優として活動する夏目雅子さんを見て創作意欲が掻き立てられたのでしょうか。

そして1984年に伊集院静さんと夏目雅子さんは結婚。

これから幸せな日々を二人で過ごしていくと誰もが思った事でしょう。

ところが夏目雅子さんは1985年2月に急性骨髄性白血病を発症。

それから約7か月に渡る闘病生活を送るも1985年9月11日に亡くなってしまいます。

最愛の妻との別れで自暴自棄となった伊集院静さん。

お酒やギャンブルなどに手を出しビルが1棟買えるほどのお金を使ったとも言われています。


毎晩のように飲み歩き自宅に帰りつくのは明け方になってから。

酷い時には公園や墓所で寝てしまう事もあったそうです。

妻のいない自宅に帰る事が辛くてお酒に逃げてしまったのでしょう。

お酒のおかげで眠れない夜もどうにか横になれた、と語っています。

もしお酒の力を借りなかったら思い詰めて最悪の事態を招いていたかもしれません。

そう考えるとお酒に命を助けられたと言っても過言ではないでしょう。

ただ、お酒を飲み過ぎた事でアルコール中毒となり精神的にもボロボロに。

そんな伊集院静さんを支え続けてくれたのが友人達。

周囲の心優しいサポートのおかげで再び作家として活動する事が出来るようになったそうです。

その後、「夏目雅子さんを偲ぶ会」で知り合った女優の篠ひろ子さんと1992年に3度目の結婚。

1996年には篠ひろ子さんの故郷である仙台市に住まいを移し創作活動に勤しむ日々。

年を重ねても創作意欲が衰えず、多くの作品を発表し続ける伊集院静さん。

ところが2020年1月にくも膜下出血で倒れ病院に緊急搬送されてしまいます。

決して若いとは言えない年齢だけに安否を心配する人は多かったはず。

ですが翌日に行われた手術は無事に終わり、リハビリも順調に進んだのだとか。

その後は自宅で英気を養いながら仕事をしていたようですが、亡くなってしまったのは残念です。

麻雀は趣味でもあり仕事でもある

芸能界に負けず劣らず麻雀愛好家が多い文壇。

もちろん伊集院静さんも麻雀を愛する一人。

「おけら先生」の異名を持つなど決して強くはなかったようです。

ですが麻雀を愛する気持ちは人一倍。

かつて森山茂和さんが日本プロ麻雀連盟の会長となった時は祝賀会の発起人に。


そして祝賀会ではお祝いのスピーチも行っています。

共に山口県出身と同郷という事もあって懇意にしていたのでしょう。

そして2018年には発起人として角川新春麻雀大会を開催。

伊集院静さんが発起人という事で冲方丁さんや海堂尊さん、桐野夏生さんなど豪華な作家が参加し話題となりました。

ただ、伊集院静さんにとって麻雀は単なる趣味というわけではありません。

2017年に阿佐田哲也さんの「麻雀放浪記」が劇画化された際には題字を担当するなど仕事の一環でもあったのです。

ネット対戦の普及とプロリーグの誕生でファン層を広げている麻雀。

かつてはギャンブルというイメージが強かったですが今やエンターテイメントの一つ。

存命であれば、伊集院静さんの麻雀の腕前をメディアで見られることもあったかもしれませんね。

武豊が競輪にハマったきっかけは伊集院静だった

長く続く日本競馬会で史上最高の騎手との呼び声が高い武豊さん。

騎手デビューした年に69勝を挙げてJRA賞最多勝利新人騎手に輝くなど桁違いの活躍。

その後も数々の史上最速や史上最年少記録を達成。

2018年には前人未到となる4000勝を達成した競馬会のレジェンドです。

そんな武豊さんが趣味としているのが競輪。


競馬会のスターが競輪を趣味にしているなんて何だか不思議な感じですよね。

実は武豊さんが競輪にハマるきっかけとなったのは伊集院静さん。

大津びわこ競輪場に連れて行ってもらった時に色々と教えてもらって以降、年に数回競輪場を訪れるように。

その後、競輪を担当していた記者に競輪選手の村上佳弘さんを紹介されると意気投合。

競輪選手の友人が出来た事で一気に競輪にハマるようになったそうです。

そして今では「真の実力日本一決定戦」と呼ばれるKEIRINグランプリに数年に渡ってゲスト出演。

時期的にKEIRINグランプリが行われるのはその年のJRAのレースが全て終わってから。

そのため、非常にリラックスしてレースを観戦していたのだとか。

競馬と競輪は馬と自転車という違いはあれど同じ公営競技。

競輪のレース展開が競馬のヒントになる事もあったのでしょう。

このような貪欲な姿勢も一流の騎手になるためには必要なのかもしれませんね。

伊集院静は競馬にも精通している

武豊さんと交流がある事から分かるように競馬も大好きな伊集院静さん。

黒鉄ヒロシさん、小林薫さん、長友啓典さんと「競団連」を設立。

設立といっても形式だけで実際は競馬愛好者の集り。


息の合った友人達と哲学的な視点からも競馬を楽しんでいたそうです。

普通の競馬ファンとは異なる視点で楽しむという事はそれだけ競馬に精通しているということ。

それだけに伊集院静さんの一言が騎手に大きな影響を与えた事も少なくなかったようです。

名ジョッキーである武豊さんもそんな一人。

かつてエッセイで「武豊騎手がひさしぶりにダービーを取りそう」と書いた伊集院静さん。

武豊さんにとってこの一文が非常に心強かったそうです。

もちろん友人からの励ましの言葉という意味合いもあったかもしれません。

ですがそれ以上に競馬に精通する賢人の言葉として心に響くものがあったのでしょう。

常にNo.1ジョッキーという誇りと自信をもって騎乗してきたであろう武豊さん。

ただ、伊集院静さんの一言でそれがさらに揺るぎないものとなったはず。

この一言がなければ武豊さんはここまでの成績を残せていなかったかもしれませんね。

伊集院静は石橋貴明を怒れる数少ない人物

1990年代から2000年代にかけて圧倒的な人気を誇ったとんねるず。

多くの冠番組を持ち、その全てが高視聴率を記録。

当時の芸能界はとんねるずを中心に回っていたと言っても過言ではありません。


また、とんねるずがきっかけでお笑いの道に進んだ人も多数。

今も多くの芸人がリスペクトしている事を公言しています。

そんなとんねるずのメンバー、石橋貴明さんにお説教できた数少ない一人が伊集院静さん。

実は30年以上の付き合いだという二人が初めて出会ったのは六本木のバー「INGO」。

伊集院静さんは立教大学で野球部に所属していた事もあり、帝京高校野球部出身の石橋貴明さんを可愛がるようになったそうです。

ただ、可愛がるといっても猫可愛がりするわけではありません。

時には厳しく接する事が本当に可愛がるということ。

実際に石橋貴明さんは伊集院静さんによく怒られていたようです。

クラブでホステスより後に火を出して怒られ、汚い恰好で銀座のクラブに訪れた時も怒られたそうです。

若かりし頃から今も破天荒が売りな石橋貴明さん。

ですが伊集院静さんに叱られた時は平謝りするしかないんだとか。

これまでに経験してきた事を惜しみなく教える事が可愛がっていた何よりの証拠。

きっと自分がいない所で恥をかいて欲しくない、という親心のような思いがあったのでしょうね。


いくら人気があってもただ破天荒なだけでは石橋貴明さんはどこかで消えていたかもしれません。

ここまで芸能界で活躍し続けられたのは伊集院静さんの教育のおかげだったのかもしれませんね。

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