伊集院静の娘は西山繭子。ルーツは韓国、父親・母親との関係&弟の遭難で家族と初めての別れ

思わず読者が憧れるカッコいい大人の姿を語った「大人の流儀」シリーズで人気だった伊集院静(いじゅういんしずか)さん。

直木賞作家でありながらギャンブルや野球にも精通し、ちょっと無頼なエッセイも評判でした。

「大人の流儀」シリーズのベストセラーは、作中で語られる大人のあり方に共感し、憧れずにはいられない読者が多いことの証でしょう。

ビートたけしさんもカッコいい人として伊集院静さんを挙げていますね。

これまでに『受け月』の直木賞、『機関車先生』の柴田錬三郎賞などの文学賞を獲得しているだけに、執筆活動に専念してきた作家のイメージがある伊集院さん。

実は作詞家でもあり、かつてはCMディレクターとしても活躍していました。

近藤真彦さんの『愚か者』や『ギンギラギンにさりげなく』『大人の流儀』などの歌詞は伊集院静さんによるものです。

今回は、そんな伊集院さんが最初の妻との間にもうけた娘について調べてみました。

また、韓国との関係、たびたび自著に綴ってきた父親・母親・弟など家族についても紹介します。

伊集院静のプロフィール

本名: 西山忠来

生年月日: 1950年2月9日

没年月日: 2023年11月24日(73歳没)

出身地: 山口県防府市

最終学歴: 立教大学文学部日本文学科

所属事務所: 自身の個人事務所

伊集院静の娘(次女)は西山繭子

伊集院静さんには最初の妻との間にもうけた娘が2人おり、次女は女優・作家の西山繭子(にしやままゆこ)さんです。

1978年1月21日に誕生していますが、生まれる前に父が家を出てしまったために一緒に暮らした記憶はないとのこと。

両親が離婚したのは2歳の時で、父と初対面したのは13歳でした。


繭子さんは『愛なんていらねえよ、夏』『相棒』などのドラマ出演をはじめ、『しょーとほーぷ』『辞書、のような物語。』といった著作を発表しています。

文筆業に挑戦することを父に告げた際は、「女優に物書きに、金にならない仕事ばかりするなんて変わってるね」と言われたのだそう。

繭子さんについては、ブログの叩かれ方がひどすぎると一部で話題になっていますね。

ブログを見てみると、確かに辛辣な書き込みが見受けられます。

叩かれる理由がわからないという声があるなかで、人気作家の娘で才色兼備な繭子さんへのやっかみもあるのではと分析する芸能ライターも。

ですが、ブログにはコメントフォームが設けられていないようなので、これらはコメント欄からの投稿ではなさそうです。

炎上というほどではありませんが、ちょっと謎めいた様相を呈している繭子さんのブログです。

家を出て別々に暮らしたことが娘の作品に影響

2008年に出版された西山さんの小説『しょーとほーぷ』は、小学生の女の子と、家を出て行った父親の関係を描いた作品。

この作品は、幼少期に父親がいなかったことで生まれたそうです。

物語の主人公・凛は、いなくなった父親の愛情を確かめるため、狂言誘拐の計画を立てます。

実は西山さん自身も、「もし自分が誘拐されたら父はどうするか」と考えたことがあるのだとか。

普通なら助けようとするはずですが、伊集院さんは家を出ていたので、幼い西山さんにはよくわからなかったのでしょう。

面と向かって質問することはなかったそうですが、当時気になっていたことを、小説の中で主人公にやらせてみたようですね。


もし父親がいる家庭で育っていれば、『しょーとほーぷ』は誕生しなかったか、まったく違うストーリーになっていたのではないでしょうか。

ちなみに、本の発売前に父親と会った西山さんは、内容には触れず「今度長編が出ます」とだけ伝えたそうです。

あとからストーリーを知った伊集院さんは、少々複雑な気持ちだったかもしれませんね。

親子の関係は良好

幼少期に父と娘が離れていたとなると、「その後の関係は微妙かも」と想像する人は多いかもしれません。

ですが、伊集院さんと西山さんの関係は非常に良好のようです。

2021年の西山さんは、父親を歯医者に連れて行ったことをコラムで話していました。

西山さんは頑固な父を心配していたようですが、実際に行ってみると歯科医と話が弾み、うまくいったようです。

伊集院さんは、「いい歯医者を紹介してくれてありがとう」と感謝したのだとか。

親子の仲の良さがわかるエピソードですね。

また、2022年からは、伊集院さんの事務所を西山さんが手伝っていました。

それまでは女優、作家、会社員と3つの仕事をしていた西山さん。

しかし、値上がりの影響で生活に不安が出てきたため、仕事を増やそうとします。

そんなとき、父親から経理の手伝いを頼まれていたことを思い出し、引き受けることにしたのです。

伊集院さんは娘を信頼して話を持ち掛けたようなので、とても良い関係を維持できていたのではないでしょうか。

韓国にルーツをもつ伊集院静と父親・母親のエピソード

1950年2月9日、在日韓国人2世として山口県防府市に生まれた伊集院静さん。

出生名はチョ・チュンネさんです。

日本に帰化したのは中学生の頃で、戸籍名は西山忠来(にしやまただき)さんといいます。

父親は韓国の慶尚南道出身で、わずか13歳で下関行きフェリーの片道切符を手に体ひとつで日本へ渡りました。

そして伊集院さんの母親と出会い、6人の子供を授かります。


『お父やんとオジさん』は、そんな父親の朝鮮戦争時の実体験をもとにした物語。

日本で懸命に働き、幸せな家庭を築いていたお父やんが、愛する妻の家族を救出するために戦火の故郷へ舞い戻る話です。

失敗すれば射殺されるかもしれない戦場へ、なぜお父やんは身を投じることができたのか。

これは奇跡の物語ではなく、誰かを深く愛した時に人は強い力を持つことを伝えたかったと伊集院さんは述べています。

2016年には紫綬褒章を受章した伊集院静さん。

当初、受章は辞退するつもりでいたそうです。

ところが、辞退すれば亡くなったお父様が承知しませんよと母親に説得され、受けることを決めたのだそう。

子供の頃から何をしても許してくれた母親が「許しません」と言ったのはこの時だけだったそうです。

伊集院静、初めて経験した家族との別れは弟

人の命は限りあるものですから、大切な人の死による別れは避けられません。

伊集院静さんにとっての最初の大きな別れは大学2年の時でした。

17歳の弟が海で遭難したのです。

6人きょうだいの中で男の兄弟は2人だけ。

家を継ぐ、継がないで父親と大ゲンカしたあげくに勘当され、大学生活の仕送りも止められてしまった伊集院さん。

父親は弟に期待を寄せ、医学部進学を勧めます。

心やさしい弟は兄の気持ちを汲みとり、自ら父親の希望にそうように努力していたそうです。

けれども、弟は本当は医者ではなく、探検家になりたかったことが日記からわかります。

そこに書かれていたのは、まずは父親の意向を尊重し、定年退職を迎える頃に自分のやりたいことをはじめようという決意でした。

昔いじめられていた自分を兄が何度も助けてくれたから、今度は自分が兄のためになりたいという思いが綴られていたそうです。

20代で弟を亡くし、30代では前妻の夏目雅子さんと死別するという運命に直面した伊集院静さん。


『大人の流儀7 さよならの力』では、大切な人との別離を経験した人にしか見えないものについて語られています。

つらく切ない思いを体験したからこそ得られる人間的な深みや底力は確かにあるように思えます。

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