夏目雅子と伊集院静の結婚エピソード。娘が宝塚はデマ&家系図に田中好子

当時は不治の病と呼ばれていた急性骨髄性白血病を患い、27歳という若さでこの世を去った夏目雅子(なつめまさこ)さん。

唯一の伴侶となった伊集院静さんとは不倫交際の末の結婚でした。

今回は二人が結ばれるまでの経緯を振り返るとともに、ネットで検索されている「夏目雅子の娘」とは誰なのか、また田中好子さんをはじめとする家系図の著名人をおさらいします。

夏目雅子のプロフィール

本名: 西山雅子(旧姓: 小達)

生年月日: 1957年12月17日

没年月日: 1985年9月11日(27歳没)

身長: 164cm

血液型: B型

出身地: 東京都渋谷区宮代町(日本赤十字社中央病院)

最終学歴: 東京女学館短期大学(中退)

夏目雅子と伊集院静の結婚 

女優デビューの翌年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールに起用された夏目雅子さんはCMに出演します。

当時、まだ19歳。


「クッキーフェイス」は夏の目玉商品だったことから、この時に芸名を本名の「小達雅子」から「夏目雅子」に改名しました。

水着姿での出演に家族は猛反対しますが、いたるところでポスターが盗まれる現象が起きて注目の存在に。

この時にCMディレクターを務めたのが、のちの直木賞作家で夫となる伊集院静さんでした。

伊集院さんは立教大学卒業後に電通勤務を経てCMディレクターに転身。

当時すでに妻子がいましたが、二人はよほど強く惹かれ合ったのか、出会ってすぐに交際がスタートします。

やがて伊集院さんは第二子誕生を前に家を出てしまい、1980年に妻と離婚。

その後も夏目雅子さんとの関係は続き、1984年8月27日に7年の交際を実らせてゴールイン。

結婚後は鎌倉市由比ガ浜で暮らしていたそうです。

見方によっては大恋愛の末に晴れて結ばれた二人のように映りますが、実のところは略奪婚の色合いが強いですね。

結婚前の数年間、彼らは三角関係にあったとも。

夏目雅子さんの恋敵とみられた女性が桃井かおりさんであり、彼女に伊集院さんを取られまいとした夏目さんが結婚を決めたという説もあるようです。

二人の結婚には美談という一言では言い表せないものがありますが、7年間の交際期間を経てのゴールインということもあって、末永く添い遂げるかに思われました。

しかし翌1985年9月11日、闘病中の夏目雅子さんが肺炎を併発し、先立って逝去。

結婚生活はわずか1年あまりで幕を閉じます。

結婚前の堕胎を伊集院静が公表

不倫から結婚へ至った夏目さんと伊集院さんには、多くの人に衝撃を与えたエピソードも存在します。


実は、結婚の前に堕胎を経験しているという夏目さん。

しかも、一度ではなく数回あるのだとか。

この話を初めて知った時、ショックを受けた人も多かったことでしょう。

伊集院さんに対しての最悪なイメージが頭から離れず、どうしても抵抗を感じてしまう人もいるようです。

本当にひどい話なので、拒否反応を抑えられない気持ちはよくわかりますね。

堕胎の情報が明らかになったのは、伊集院さんが1990年に発表した小説『乳房』。

伊集院さんが夏目さんとの関係をモデルにして書き上げた作品でした。

この作品の中に、それまで非公開となっていた堕胎の情報が含まれていたのだとか。

その後、夏目さんの母親である小達スエさんも、『ふたりの雅子』という著書で堕胎について書いていたようです。

それにしても、こんな情報を公開してしまえば、伊集院さんの印象が悪くなることは明白。

SNSの反応を見ても、強い拒否反応を示す人は確かにいます。


Xなどなかった当時でも、批判の声が上がることは容易に予想できたでしょう。

すぐ公表しなかったのも、非常に都合が悪かったからではないでしょうか。

それでも、結局は本に書いて多くの人に伝えた伊集院さん。

何らかの強い意志があり、公表を決断したのかもしれませんね。

結婚の決め手は難しい漢字?

2人の結婚にまつわる噂には、夏目さんが結婚を決めたきっかけもあります。

作家である伊集院さんは、難しい漢字もさらさらと書いてしまうのだとか。

「憂鬱」「薔薇」などをスムーズに書いた姿を見て、夏目さんは結婚の意思を固めたというのです。

微妙に内容の違う噂もあるようで、どこまで本当かはわかりませんが、面白いエピソードですね。

こんな話を知ったら、「難しい字を書いていればモテる」と勘違いする人が出てくるのもわかります。

そこから恋が始まるかはともかく、普通は書けない漢字をすらすら書いていたら、「すごい」とは思ってもらえるでしょう。

夏目さんと同じ考え方の女性が相手なら、漢字練習の効果は高いのかもしれませんね。

夏目雅子、娘と噂の風間柚乃は姪

夏目雅子さんに子供はいません。

しかし、ネットで「夏目雅子 娘 宝塚」というワードで検索をかけるユーザーが多いようですね。

彼らが調べている人物は、おそらく宝塚月組の男役スターである風間柚乃さんでしょう。

風間さんは夏目雅子さんの娘ではなく姪にあたり、本名は小達はるなさん。


夏目さんの実弟でプロゴルファーの小達敏昭さんが風間さんの父親です。

以前は「夏目雅子の姪」と報じられることもありましたが、最近は伯母の七光りをイメージさせる報道はほとんどありませんね。

面ざしがどこか夏目さんに似ているのは、やはり伯母と姪という血縁のなせるものでしょう。

宝塚歌劇団に入ることを決めたのは小学6年生の時。

受験対策として声楽やバレエを習いはじめたそうですから、演者の血も分け合っているのかもしれません。

夏目雅子の家系図に田中好子

1980年の『虹子の冒険』は、夏目雅子さんのドラマ初主演作であり、田中好子さんにとってはキャンディーズ解散後のドラマ初出演作でした。

当時、撮影に不安を感じていたという田中好子さん。

周囲がお膳立てをしてくれたキャンディーズ時代と違い、自らの力量が試される女優業。

勝手の違う仕事に戸惑いを感じていたのかもしれません。

この時、手紙を書いて励ましてくれたのが夏目雅子さんでした。

二人は親友になり、やがて田中さんは夏目さんの実兄の小達一雄さんと出会って、1991年に結婚。

親友がこの世を去ったあとに義姉になりました。

小達一雄さんと前妻の間に生まれたのが女優で歌手の楯真由子さんで、彼女は田中好子さんの継娘にあたります。

前述しましたが、プロゴルファーの小達敏昭さんは弟で、その娘がタカラジェンヌの風間柚乃さん。

なお、伊集院静さんは夏目雅子さんの七回忌を終えたのち、1992年に篠ひろ子さんと三度目の結婚をしています。

夏目雅子さんを偲ぶ会で田中好子さんと会い、紹介されたのが篠ひろ子さんだったということで、不思議なめぐりあわせを感じますね。


没後35年を経た今も、昭和の女優として愛され続ける夏目雅子さん。

透明感のある美しい佇まいは、これからも多くの人の記憶の中で輝き続けることでしょう。

関連記事
夏目雅子、死因の真相。白血病は西遊記の中国ロケが原因はデマ?

夏目雅子の兄は実業家、弟がプロゴルファー。姪が宝塚、家族も癌、実家は裕福だった

伊集院静、嫁の篠ひろ子とは再々婚。夏目雅子ほか結婚歴まとめ&田中好子との関係

伊集院静の娘は西山繭子。ルーツは韓国、父親・母親との関係&弟の遭難で家族と初めての別れ

田中好子、子供は産んでいない。夫・小達一雄とは再婚&実家は釣具店

桃井かおりの結婚。夫は音楽プロデューサー。子供と結婚歴

篠ひろ子の現在(2023)は自宅で休養中?旦那とは今!若い頃は身長がコンプレックス?

コメント