男が憧れる男といわれ、世代を問わず読者を魅了してきた伊集院静(いじゅういんしずか)さん。
故・夏目雅子さんの唯一の伴侶であり、晩年は三人目の嫁・篠ひろ子さんと結婚生活を送っていました。
今回は伊集院静さんの結婚歴を振り返りながら、田中好子さんとの意外な関係をご紹介します。
伊集院静のプロフィール
本名: 西山忠来
生年月日: 1950年2月9日
没年月日: 2023年11月24日(73歳没)
出身地: 山口県防府市
最終学歴: 立教大学文学部日本文学科
所属事務所: 自身の個人事務所
伊集院静の嫁は篠ひろ子
伊集院さんが篠ひろ子さんと再々婚したのは1992年8月のことでした。
夏目雅子さんの七回忌がすんだことと、前月に受賞した直木賞をひと区切りとして結婚を決めたようです。
篠ひろ子さんは2歳年上の1948年生まれ。
大ヒットドラマ『時間ですよ』の小料理屋の女将役や、沢田研二さんとベッドシーンを演じた『悪魔のようなあいつ』が年配の方には懐かしいところでしょう。
そして、この方のキャリアを語るうえで外せないのが「金妻」シリーズですね。
『金曜日の妻たちへII』出演時、篠ひろ子さんは30代半ばでした。
遅咲きの女優といえるかもしれません。
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結婚後、夫妻はしばらく都内に居住していたようですが、1996年に篠ひろ子さんの郷里である宮城県仙台市に移住。
その翌年、篠さんはドラマの主演を最後に女優業を休止し、以降は目立った活動をしていません。
伊集院静さんのエッセイでは、時おり篠ひろ子さんが登場しており、今の穏やかな暮らしぶりを垣間見ることができます。
出会いは夏目雅子を偲ぶ会?
前述のとおり、再婚を決めた要因には夏目さんの七回忌もあったという伊集院さん。
実は、篠さんとの出会いにも夏目さんが関係しているという噂があります。
2人が初めて出会ったのは、「夏目雅子を偲ぶ会」だったというのです。
そのとき、伊集院さんに篠さんを紹介したのは田中好子さんという噂もあります。
伊集院静
山口県防府市で在日2世として生まれました。本名はチョ・チュンネ(趙 忠來)で、1974年に帰化した際、名前を西山忠来(にしやま ただき)と改めています。
夏目と死別後田中好子の紹介で篠ひろ子と三度目の結婚、
田中の夫は夏目雅子の兄よーわからん世界だ😳 https://t.co/UmIY1E0S95
— こっこ (@gattyan0001) July 27, 2021
実際の出会いがどうだったかは不明ですが、噂が本当なら、そこから交際に発展していったことになりますね。
馴れ初めについても気になるところですが、どのような経緯で付き合ったのかは、よくわかっていません。
詳しい話は、伊集院さんも篠さんも特に語っていないのでしょう。
それにしても、前妻を偲ぶ会でたまたま知り合い、そこから交際、結婚とつながっていったのは不思議な縁ですね。
妻からの誕生日のお祝いを拒否
篠さんとのエピソードでは、2020年の誕生日での出来事があります。
当時の伊集院さんは、1月21日にくも膜下出血で入院してから、まだ意識が戻っていませんでした。
しかし、誕生日の2月9日になると、篠さんはケーキを買ってきて娘と一緒にお祝いを始めます。
そして、ハッピーバースデーを歌っていると、ちょうど伊集院さんが目を覚ましたのだとか。
意識がなくても誕生日をしっかりと祝う篠さんの行動からは、深い愛情を感じますね。
それによって目を覚ますことも、多少は期待していたかもしれません。
本当に祝福の中で目覚めたというのも、素敵な話です。
ところが、伊集院さんとしては嬉しくない状況だった様子。
せっかくの誕生日会を「つまらないこと」と切り捨て、やめるよう言い放ったそうです。
誕生日のお祝いが嫌いというのは、このとき初めて口にしたことではないのだとか。
本当に嫌いなら、以前から「誕生日会はやらなくていい」と家族に伝えておきそうなものですよね。
それで毎年やっていなかったとすれば、篠さんは夫が嫌がるのを承知の上でお祝いをしたのでしょうか。
篠さんの真意は不明ですが、ベッドの近くで嫌いなことが行われていたからこそ、刺激されて目を覚ました可能性もあるかもしれません。
前妻・夏目雅子ほか結婚歴まとめ
伊集院静さんは立教大学文学部卒業後に電通に入社。
最初の結婚をしたのは電通時代でした。
妻は一般女性なので情報がありません。
この婚姻期間中に夏目雅子さんとの不倫交際がはじまり、妻と別居に至っています。
CMディレクターになっていた伊集院さんは夏目さんをカネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMに起用。
1977年のCMですから、伊集院さんは27歳、夏目さんは19歳の時です。
妻とは1980年に離婚し、二人は1984年に結婚しますが、翌年9月に夏目さんは急性骨髄性白血病により27歳で死去。
およそ1年あまりの短い結婚生活でした。
伊集院静さんは当時を振り返り、アメリカの病院なら治る可能性が高いことは知っていたものの、その治療を受けるには何千万円もかかり、その費用が用意できない自分が情けなかったと告白。
もう二度とお金で揺さぶられる生き方はしたくないと心に決めたそうです。
仕事をすべてキャンセルし、できうる限りのことをして妻の闘病をサポートしたにもかかわらず救えなかったことで、その後はしばらく自暴自棄になった伊集院さん。
お酒に溺れ、仕事どころではなかったといいます。
伊集院静と田中好子の関係とは?
2011年4月21日に55歳で逝去した田中好子さんは夏目雅子さんと親友同士でした。
夏目さんの家をよく訪れていた頃に出会ったのが夏目さんの兄で、のちに結婚することになる小達一雄さんです。
義理の姉妹である二人には共通点がありました。
不倫愛を実らせて結婚に至ったことと、結婚の翌年に大病を発症したこと。
田中好子さんは伊集院静さんにとっても何かと縁のある存在でした。
妻を亡くしてからは荒れた生活を送っていたという伊集院さん。
そんななか、小達一雄さんの妻となった田中好子さんと夏目雅子さんを偲ぶ会で会い、田中さんに紹介されたのが篠ひろ子さんでした。
自暴自棄になっていた伊集院静さんにとって、篠ひろ子さんはまさに救世主と呼べる存在になったわけですね。
自宅静養中、小説やエッセイの連載は随時再開の予定とコメントしていた伊集院静さん。
楽しみにしていたファンは、訃報を知って悲しんだことでしょう。
伊集院静の経歴まとめ
2020年1月にくも膜下出血で倒れて救急搬送された伊集院静さん。
手術の成功や経過が良好であることが妻の篠ひろ子さんから発表された際は、ほっと一安心したファンも多かったことでしょう。
倒れた時は小説『ミチクサ先生』をはじめ、新聞や雑誌で何本も連載を抱えていました。
1950年2月9日生まれで、すでに70代を迎えていることもあり、少しオーバーワークだったのかもしれませんね。
伊集院静さんは山口県防府市出身の在日韓国人2世。
のちに日本に帰化しており、戸籍名は西山忠来(にしやまただき)さんといいます。
1981年に『皐月』を『小説現代』に発表して作家デビューする前はCMディレクターでした。
1992年には『受け月』で直木賞を受賞。
また「伊集院静」「伊達歩」名義で作詞家としても活躍しました。
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