崔洋一の新町の事務所。たけしとの関係、古谷経衡との対立。結婚情報なし&膀胱がんで死去

『血と骨』や『クイール』など多くのヒット作を手掛けた映画監督、崔洋一(さい よういち)さん。

長野県で生まれながら韓国籍を選んだ在日韓国人の監督として知られ、時には政治的な発言で物議をかもすこともありましたが、2022年に亡くなっています。

今回は、生前に所属していた事務所や、ビートたけしさんへの思い、古谷経衡さんとの対立について見ていきましょう。

またプライベート面では、結婚の情報を探っていきます。

崔洋一のプロフィール

本名: 崔洋一 (ハングル読み:チェ・ヤンイル)

生年月日: 1949年7月6日

没年月日: 2022年11月27日(73歳没)

身長: 不明

出身地: 長野県佐久市

最終学歴: 東京朝鮮中高級学校高級部 (東京綜合写真専門学校 中退)

崔洋一の事務所について

世田谷区の新町に、有限会社C2崔洋一事務所という法人があります。

元々渋谷区にあった事務所ですが、2019年に世田谷区へ移ったようです。


落語家の立川談慶さんが崔さんと打ち合わせをしたと発信しているので、監督本人の事務所であることは間違いないでしょう。

崔洋一とビートたけしとの関係

崔さんの代表作と言えば、2004年の映画『血と骨』。

実在した凶暴な韓国人男性の生と死を描いた衝撃作です。

主人公の男を演じたビートたけしさんの熱演は話題を呼び、強烈な印象を受けトラウマになった方も多いかもしれません。

監督自身は主演俳優の起用について次のように発言していました。

「聖の部分と俗の部分を表現できるのは、たけしさんだけ」

お笑い芸人でありながら、狂気を感じさせる演技のできるたけしさんなら、支配的な面と人間的な面を併せ持つ主人公を演じられると考えたのでしょう。

一方でたけしさんは監督に対し、「怒鳴ったり、殴るようなことをしたらやめる」と注文を付けていました。

自身も監督として世界的に活躍していますが、崔監督への注文からは監督という存在へのこだわりが見えてきます。

たけしさんは監督や演出家について、「イビる伝統がある」と発言。

蜷川幸雄さんやつかこうへいさんといった演出家のやり方については、「学生運動のセクト」に例えています。


土下座の強要や罵声を浴びせる行為は、時代遅れで今の俳優に対してそのようなことをするのは間違っていると考えているのです。

だからこそたけしさんは監督をする際、役者に対して怒鳴り散らすようなことをしない方針を貫いています。

そこに崔さんをはじめとする監督への反発が表れているのでしょう。

崔さんはたけしさんの注文こそ聞き入れましたが、代わりにスタッフを怒鳴り散らしていたと言います。

またトイレで本人に聞こえないように、「たけしの馬鹿野郎」と叫んでいたという話もありました。

お互いに敬意を表しながらも、方針の違いで内心は反発し合っていたことがうかがえます。

また1999年、大島渚監督の『御法度』で崔さんが近藤勇、たけしさんが土方歳三の役で俳優として共演しています。

崔さんは普段から近藤役になりきっていたらしく、たけしさんは「面倒くさい」と発言していました。

本当に対立しあっているというよりは、方向性が違うとはいえ互いを認め合い仕事をしている印象を受けました。

古谷経衡との対立

保守的な立場をとっている作家の古谷 経衡(ふるや つねひら)さん。

2010年、NHKの討論番組「日本の、これから ともに語ろう 日韓の未来」で、崔さんとともに日韓の歴史認識について討議をしました。

古谷さんはそこで、「かつて日本が朝鮮を植民地化していたのは、帝国主義の時代にやむを得なかった」と発言。

それに対して崔さんは、帝国主義の時代に植民地を作るのが当然だった事実を認めつつ、その歴史を肯定する古谷さんに「歴史を語る資格がない」と断定しました。


その場にいた韓国人の人々は古谷さんの発言を困惑しながら聞いていましたが、日本人の多くは韓国の植民地がやむを得なかったという発言に同調しています。

崔さんの方がむしろバッシングを受けていました。

確かに植民地を肯定することは時代錯誤的感覚とはいえ、「歴史を語る資格がない」と断定してしまうのは、討論の場にふさわしくなかったかもしれません。

崔さんは韓国人として、さまざまな苦難を味わってきたからこそ、つい感情的になってしまったのでしょう。

冷静に討論する場であっても、自身の経験やトラウマなどがあれば、本音で語りたくなるのも当然。

2人の対立は、どちらかをバッシングするのではなく、正しい歴史認識のために歩み寄りながら議論することの大切さを痛感させられるエピソードでしょう。

崔洋一の結婚

崔さんの業績や発言について見てきましたが、韓国ルーツということ以外にあまりご本人の情報は知られていないかもしれません。

結婚についてですが、やはり情報はありませんでした。

ただ、娘がいるという噂もあり、既婚である可能性は高そうです。

子供も独立している時期でしょうし、病気さえなければ、仕事に邁進できる環境だったことでしょう。

亡くなってしまったのは悲しいことですが、何度でも監督の作品を見返していきたいものです。

崔洋一、73歳で死去

数多くの話題作を手がけ、次回作に注目が集まる有名監督だった崔さん。

ですが、2022年11月は、ファンが衝撃を受けるニュースが飛び込んできました。

「月はどっちに出ている」や「血と骨」などの作品で知られる映画監督の崔洋一さんが、27日ぼうこうがんのため亡くなりました。

もう新作を見ることができないわけですから、熱心なファンにとっては、かなりショックな報道だったことでしょう。


当時のSNSでは、自分が好きな崔洋一作品を語る人も多くいました。

ちょうど作品を見ようとしていたところで訃報が流れてきたら、驚いたでしょうね。

亡くなったことを知って作品を見始めた、新しいファンもいるのではないでしょうか。

監督が残した名作は、これからも多くの人が鑑賞し、長く語り継がれていくことでしょう。

膀胱がんで闘病

死因となった膀胱がんは、数年前に発見されたもの。

2022年1月に病気を公表していたので、闘病生活を続けていたことは知っているファンも多かったでしょう。

19年にぼうこうがんが見つかり、20年4月に全摘手術を受けたものの21年春に肺、右の腎臓、リンパ節などに転移していることが判明。

転移が見つかり、長く治療を続けていくのは、とても大変だったはず。

途中で肺炎まで患い、一時は治療を中断したこともありましたが、崔さんはあきらめずにがんばっていました。

同年4月には、治療を続けながらトークショーにも出演し、ファンを喜ばせていましたね。

笑顔で話す姿を見ていたファンは、回復して本格的な活動を再開する日が、いつか来ると信じていたのかもしれません。


崔さん自身もそれを目指して治療を続けていたと思われますが、願いが叶わなかったのは残念です。

松田優作と同じ病気

崔さんは俳優の松田優作さんと親交があり、『松田優作・メモリアル・ライブ』の演出や構成も担当しています。

松田さんが亡くなったのも、同じ膀胱がんのためでした。

病気が発覚したときは、やはり驚いたようです。

「優作とまさか同じ病気になるとは…」

亡くなる前には、仲良しだった松田さんとの思い出を語ったこともある崔さん。

2人の家がすぐ近所だったこともあるんですよ。お互いの家を行き来し、食事などをしながら、映画や演技の話をしていた。

監督と俳優、仕事は違うものの、2人は親友だったんですね。

そんな2人が同じ病で命を落としてしまうとは、誰も想像できなかったでしょう。

天国で再会した崔さんと松田さんは、奇妙な偶然について語り合ったかもしれませんね。


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コメント

  1. 正直、日本の映画をダメにしたのは、大島渚と崔だと思ってる。