中山竹通は現在(2023)も話題。息子も陸上!マラソン教室参加。性格は一匹狼&独特な練習法

中山 竹通(なかやま たけゆき)さんという隠れたマラソン選手をご存知でしょうか。

オリンピックで2大会連続4位にも輝きましたが、それほど知名度は高くありません。

今回は中山竹通さんの性格や現在、陸上をしていた息子について見て行きましょう。

中山竹通のプロフィール

生年月日:1959年12月20日

身長:180cm

出身地: 長野県北安曇郡池田町

最終学歴:長野県池田工業高等学校

現在(2023)も話題になる中山竹通のエピソード

中山さんは1992年に開催された「バルセロナオリンピック」のマラソンに日本代表として参加。

二大会連続となる4位の成績を残しましたが、その後は静かに第一線から去っていました。

引退後は大阪産業大学や付属高校の監督を務め、2004年4月から2009年3月まで「愛知製鋼」の陸上部監督として後進を指導していましたが、今は監督などには就いていないそうです。

福岡国際マラソンを振り返り話題に

近年の中山さんはインタビューなどで現役時代を振り返っており、その活躍がたびたび話題になっています。


2021年も、新聞の取材を受けた際、1987年の福岡国際マラソンについて語っていました。

これは、「中山竹通といえば」といった話題でよく出てくる有名なレース。

当時の活躍を見ていた人は、中山さんの話を懐かしい気持ちで楽しんだことでしょう。

このレースでの中山さんは、途中から大雨が降り出す中、2時間8分18秒で見事に優勝を飾りました。

中山さんは取材の中で、かなりのハイペースで走り抜いたことを語っています。

あえて無謀とも思えるペースにした理由は、より面白く、感動的なレースにするためでした。

「マラソンは自分でドラマを作らないといけない。与えられた台本ありきではつまらない」

中山さんには、「感動がなければ覚えていてもらえない」といった考えがあったようです。

そのため、必死で夢を追いかける姿を見せようとしたのでしょう。

確かに、大きな感動は記憶に残りやすいですよね。

スポーツに限らず、心を揺さぶられるようなことがあると、そう簡単には忘れないものです。

見ている人にどんな影響を与えるか考えて走るのは、本当にすごいことです。

こうした中山さんの思いは、若いマラソン選手にもよい刺激を与えているのではないでしょうか。

話題になった「這ってでも」発言の真意を語る

2021年の中山さんは、物議をかもした「這ってでも出てこい」というフレーズにも言及しています。


1987年の福岡国際マラソンでは、瀬古利彦選手との対決も期待されていた中山さん。

ところが、瀬古さんが怪我で出られなくなり、「這ってでも」と発言したという説があります。

ですが、実際には微妙にニュアンスが違っており、強い表現に改変されたものが報道されてしまったのだとか。

そのため、中山さん本人が噂を否定したこともありました。

2021年は、そんな「這ってでも」発言を改めて振り返り、真意を語っています。

あくまでも「自分だったらこうする」という意見を述べただけのようですね。

受験生が“熱っぽいから試験を明日にしてくれ”と言ってもダメでしょう? 自分ならルールを守って、どんな状況でも戦う。

こうした有名なエピソードは、これからも事あるごとに話題となるでしょう。

中山さんの熱い気持ちは、ずっと語り継がれることになりそうですね。

中山竹通の息子も陸上をやっていた!

次は中山竹通さんの息子もマラソン選手だったという噂を見て行きます。

息子さんは中山 卓也(たくや)さんといい、1989年9月29日に兵庫県で誕生。


中学から始めた陸上では主に中距離を専門として活躍し、須磨学園高校の3年時に出場したインターハイでは5000mで5位(14分12秒55)という記録を残していました。

2008年に早稲田大学(スポーツ科学部)に進学して競技部に入りましたが、周囲の期待とは裏腹に箱根駅伝に出場することも無く、目立った活躍をすることができずに3年生の頃に退部。

その後はひとりで練習を重ねて2011年の「第1回神戸マラソン」で初マラソンに挑戦し、なんとマラソンデビュー戦で優勝(2時間24分13秒)をして注目を集めました。

2012年度から実業団の「トーエネック」に入社して陸上を続けますが、またも目立った成績を残せずに2014年度をもって退部し、2015年の泉州国際市民マラソンをもって現役を引退。

現在は市民ランナーやペースメーカーとしてマラソンに携わっているそうです。

才能が無かった訳ではないですが、もしかするとプレッシャーに弱かったのかも知れませんね。

ちなみに、世界遺産検定1級を持っている俳優の中山卓也さんとは別人なのでご注意ください。

マラソン教室などに参加

近年はマラソン解説者や講演活動を行っている中山さん。

マラソン教室に参加し、競技の普及にも取り組んでいる様子です。

中山竹通さんほどの実績があれば指導者として声が掛かりそうですが、それについて本人は高齢だからと前置きした上で「表舞台に立つつもりはない」と発言しています。

一方で”陸連とは関わりたくない”と意味深なコメントも残しているらしく、瀬古利彦さんを巡る一連の騒動で感じた陸連への不信感は今でも消え去っていない様子でした。

もっとも、瀬古利彦さんには何も思っておらず、むしろ尊敬できる偉大な存在だったそうです。

現役時代はストレートな物言いや性格もあって色々と騒がれましたが、現在(2023)はマラソンの厳しさだけではなく楽しんで走ることの良さを味わっているのかも知れませんね。

中山竹通の性格は一匹狼

競技に対して非常に真面目でストイックな性格をしているのですが、あまりに度が過ぎて”楽しそうに走る市民ランナー”を見ると思わず腹が立つほどでした。


この件には批判的な声もありましたが、それだけマラソンに打ち込んでいる証拠でしょうね。

また、自身のマラソンについても場当たり的な作戦で挑むのではなく、事前にレース全体を考えたりライバル選手などを頭に入れるなど勝負に対する熱意は相当なものでした。

動画の中でも「完全」というワードを何度も使っているところに職人気質を感じさせます。

一方で思ったことをストレートに逝ってしまう傾向があり、マスコミのオリンピック至上主義を批判したことがありました。

前述の瀬古利彦さんに対する発言も、そのストレートさが出たものでしょう。

他にも指導者とも折り合えない性格だったらしく、同僚からは”一匹狼”と呼ばれたほどでした。

中山竹通さんは自分の考えを曲げない性格が結果として競技面に良い影響を与えたのかも知れませんが、ストレートな物言いから誤解をされがちなのは気の毒としか言えませんね。

中山竹通の独特な練習スタイル

ここでは中山竹通さんの少し変わった練習を見て行きましょう。

中山竹通さんは指導者に練習方法を教わるというよりも自分で考えるタイプらしく、アスリートであればハングリーさを持って”自分で試行錯誤するべき”との考えでした。

トラックでの練習でも最内の1レーン(コース)を走るのではなく、わざと2レーン目を走るなど実戦に近い形でのトレーニングをすることで本番でも力を発揮させることができました。

実際のレースでは最内を走れるとは限らず、理想のコース取りができるのは珍しいことです。

また、怪我が完治していない状態でも敢えてレースに出場したことがあるのですが、これはレース中にアクシデントがあった場合でもパニックにならない経験を積むためでした。


さらに快適な環境でのトレーニングに疑問を感じることもあり、実戦に近い過酷な環境下での練習こそが役に立つ、というストイックなところも中山竹通さんらしいですよね。

独特の練習ではありましたが、自らが結果を出して立証したのはさすがとしか言えません。

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コメント

  1. オレも嫌われ者ってほどではないけど周囲から浮いてるのは感じてて中山氏の気持ち理解できるわ。まあ本当に理解してればオレもオリンピックで金メダルを取ってるんだろうけど。
    とにかくフェアじゃないのはダメ。誰かの不幸という土台の上に築く自分の幸福。そんなことしてまで旨いもん食いたくない訳。「みんな生活が掛かってるんだから仕方ないだろ」と周囲は努力ではなくコネ(接待)や違法な手段(例えばサービス残業などてコストを下げる)で仕事を取ろうとするんだよね。あのね、生活が掛かってるのは仕事を取れなかったライバルも同じだから。