瀬古利彦、息子の病気、結婚と家族について。早稲田の練習で得たマラソン極意とは

瀬古 利彦(せこ としひこ)さんは選手としてだけでなく指導者としてもお馴染みです。

息子さんも陸上界に進んだそうですが、残念ながら大成することはできませんでした。

今回は瀬古利彦さんの陸上選手になった息子や早稲田での練習について見て行きます。

瀬古利彦の息子は怪我で裏方へ転身

まずは陸上界に進んだ瀬古利彦さんの息子について見て行きましょう。

父と同じ陸上競技をしていたのは1992年6月28日に生まれた三男の天哩(てんり)さんです。


中学時代はサッカー部に所属していましたが、瀬古利彦さんの「横より前に走ったら」というアドバイス(?)によって陸上競技へ転向したというエピソードがありました。

東海大浦安高校時代には800mの選手で高校総体に出場したという経歴を持っていますが、瀬古利彦さんも高校時代に800m~5000mで高校総体に出ているので親子二代での出場になります。

天哩さんは高校卒業後に父が走った箱根路を自分も走り、その姿を中継車で解説をしている父に見せたいとの思いから東海大学へ進学して陸上部へ入りました。

しかしながら、入部後は怪我を繰り返したことで満足な練習ができず、2年生の12月に陸上部の同級生たちによる「マネジャー選挙」で24票中19票を獲得して裏方に転向。

選手を続けたかったので泣きながら家族に電話をしたこともありましたが、瀬古利彦さんは「4年間はやり通せ」と立場が変わったとしても続けるように説得しました。

何かの競技を辞める(辞めさせる)のは始める以上に大変かつ苦しいことで、天哩さんへの言葉は選手や指導者として多くの選手を見てきた瀬古利彦さんならではの助言と言えます。

もっとも、マネージャーの適性や才能を同期から認められたのは胸を張って良いことですし、期待通り駅伝主務としてチームのバックアップを勤めあげて2015年3月に大学を卒業。

卒業後は「ベースボール・マガジン社」に入社して”陸上競技マガジン”の編集者になりました。

天哩さんは大学時代に認められた裏方としての才能を社会人になっても活かしており、父とは少し違う形で日本陸上界の発展に大きく貢献していると言えるでしょう。

もしかすると、いつの日か瀬古利彦さんへの取材や”親子対談”などがあるかも知れませんね。

瀬古利彦の結婚や家族について

次は瀬古利彦さんが結婚した奥さんや家族について迫って行きます。

瀬古利彦さんはロサンゼルスオリンピック後の1984年11月6日に婚約発表をしていました。

気になるお相手の女性は幼稚園の先生をしていた渡辺美恵さんで、ふたりの馴れ初めは今ではめずらしくなった「お見合い」という古風な縁だったのは少し意外な気もします。

美恵さんは3歳年下と言われていますが、一般の方なのであまり情報は出ていませんでした。

夫婦は4人の息子を授かっており、長男が昴(すばる)さん、次男が亜士武(あとむ)さん、三男は前の項目で紹介した天哩(てんり)さん、そして四男が聖醐(しょうご)さんです。

息子たちの生年月日は天哩さん(1992年6月28日)以外は明らかになっていませんが、年齢差は天哩さんを基準にして長男が5歳上で次男が3歳上、弟は5歳下と言われていました。

天哩さん以外は陸上に関わっていないので情報がありませんでしたが、2020年に次男の亜士武さんが元中日の山本昌さんの長女、裕里加(ゆりか)さんと結婚したことが判明。

記事には「ミズノの社内結婚」とあるので亜士武さんの職場はミズノということになります。

子供たちはスポーツで活躍することは無かったものの、立派に育っている様子が伺えました。

瀬古利彦が早稲田の練習で得たのは精神力

ここでは瀬古利彦さんが早稲田大学時の練習で得た極意を見て行きましょう。


瀬古利彦さんは1年の浪人生活を経て1976年に早稲田大学の教育学部へ入学をしています。

競走部へ入部直後に当時の中村清監督から「マラソンをやりなさい」と勧められて長距離選手に転向しますが、慣れない距離ということもあって練習でも成果は出ませんでした。

1977年2月13日に初マラソンとなる「京都マラソン」に出場しましたが、結果は10位で入賞することもできず、タイムも女子選手と同じレベルの「2時間26分0秒」という厳しい成績。

これは能力不足ではなく”経験不足”だったと本人も振り返っており、前半から快調に飛ばしてランナーズハイになってしまい、ペース配分を間違えて後半はスタミナ切れになりました。

そこで瀬古利彦さんは1kmを3分で走ることを意識して練習に励み、同じ年の12月に行われた「福岡国際マラソン」では5位に入りタイムも「2時間15分0秒」という好成績を収めます。

さらに翌年の同レースでは「2時間10分21秒」の好タイムを叩き出して見事に優勝。

この成長の過程で瀬古利彦さんは自分に「我慢する能力」があることに気付き、レースにおいても体調やペースに惑わされずに自らをコントロールすることで結果を残しました。

マラソンは”筋肉だけではなく心も大事”という極意を得て長距離選手として大きく飛躍し、その教訓は今でも瀬古利彦さんの座右の銘として講演会でも使われています。

もちろん筋力やスタミナも記録を出すためには必要ですが、それ以上に大切なのは鍛え上げた体力をコントロールする精神力(自制心)が有るかどうかが大きいそうです。

瀬古利彦さんは「心で走る」を身につけて実践したからこそ多くの記録を残せたのでしょうね。


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