淡い色彩と数学的な計算に基づいた細密描写で読者を魅了した画家・絵本作家の安野光雅(あんの みつまさ)さん。
国際アンデルセン賞や菊池寛賞など多数の受賞歴を誇り、2020年に94歳で亡くなるまで活躍を続けました。
今回の記事の筆者も、精緻な描写が特徴的な「旅の絵本」シリーズが大好きだったものです。
『旅の絵本』『さかさま』『ふしぎなえ』『もりのえほん』… 安野光雅さんの絵本たちは、わたしの子ども時代を照らしてくれたし、確実に今のわたしの一部を作ってくれた。
旅に、出てしまわれたのだな。 pic.twitter.com/2f8l38Fvuy— atsu_sasa (@atsu_sasa) January 16, 2021
安野光雅さんの旅の絵本、好きだなぁ〜〜 pic.twitter.com/LJooRL2ALW
— 依田四十郎 (@yorita3) March 20, 2021
今回は安野さんの知られざる私生活について、息子と家族の情報を見ていき、現在小金井市の自宅がどうなっているか確認します。
また絵本作家になる前の、若い頃の活動に迫ります。
安野光雅のプロフィール
本名:安野光雅
生年月日:1926年3月20日
死没:2020年12月24日
身長:不明
出身地:島根県津和野町
最終学歴:山口師範学校研究科(現在の山口大学教育学部)
安野光雅の息子は安野雅一郎
まず安野さんの息子について確認します。
安野さんには娘さんと息子さんがそれぞれいます。
息子さんの名前は雅一郎さんです。
早稲田大学理工学部を卒業した後、広告代理店に就職しています。
仕事の傍ら、数学の知識を活かした絵本を、父と共著で発表し続けました。
『魔法使いのABC』や『壺の中』は2人の代表作です。
子供の頃みたいに鏡の向こうをのぞいていた。いつも心がどこかふわふわしてしまうわたしには、ここじゃない場所、普段は見えない世界がほんとうにあってそこへつなげてくれる扉みたいな一冊だった。昨夜も夢中になってしまったから、魔法はずっととけないまま。
絵•文 安野光雅『魔法使いのABC』 pic.twitter.com/K2PUdVJDfd— lepre (@cittameraviglia) January 17, 2021
「壺の中」童話屋
安野雅一郎・安野光雅壺の中には広い海がありました。
海には1つの島があって、島には2つの国があって…
と進み、
9つの箱には10個の壺が入っている。
その壺のなかには…階乗を表した絵本ですが、絵の中に別の数も隠されていて、無限に遊べそう!
壺の中にひろがる数の世界へ。 pic.twitter.com/ApnRNxS2Bn— 積読崩壊@絵本 児童書アカウント (@k0domonohon) October 16, 2021
円筒形や階乗などの仕組みを活かした、いずれも視覚的に楽しい作品。
父の安野さんも数学に造詣が深かったため、理系の親子らしく数学を活用した絵本を作成できたのですね。
安野光雅の家族、妻はまど・みちおの姪
安野さんの息子さんは雅一郎さんですが、娘さんについて詳しい情報はありませんでした。
特に美術とは関係のない分野で働いている、一般女性なのでしょう。
妻は末次みどりさんという名前で、詩人のまど・みちおさんの姪にあたる人です。
まどさんは『ぞうさん』『やぎさんゆうびん』『ふしぎなポケット』などの童謡の作者として有名ですね。
安野さんは、まどさん、上皇后美智子様と共に翻訳絵本『どうぶつたち』を発表したことがありました。
11月16日は詩人まど・みちおの誕生日。まど・みちお詩、美智子選・訳、安野光雅絵「どうぶつたち」(すえもりブックス)は、上皇后美智子さまがまど・みちおの詩20篇を英訳し、1992年に日米同時出版された絵本の日本版(日英対訳)です。 pic.twitter.com/JS3AVflM1n
— 板橋区立いたばしボローニャ絵本館 (@itabashiehon) November 16, 2021
まどさんとは、日本を代表するアーティスト同士、仲良く交流していたようですね。
みどりさんとの結婚を通して、親戚関係になったことからも、信頼で結ばれていたことが分かります。
現在の小金井市の自宅
安野さんは上京後、長年小金井市に暮らしていました。
上京してすぐ暮らし始めたのかは分かりませんが、1970年前後にはすでに小金井市で生活しています。
根拠は1970年の年賀状に書かれた言葉です。
小金井刑務所の囚人になりきって、「今年は真面目に働きます」とつづったのです。
年賀状には小金井刑務所の独房の住所を書いて、知人たちに送りました。
当然冗談でしたが、年賀状を受け取った人は妻のみどりさんに「旦那さんはいつ刑務所から出て来るの?」と質問したそうです。
さらに姉からは「光雅のせいで親戚の縁談に支障が出る」と怒られてしまいました。
思いがけず冗談を周囲から本気にされてしまい、安野さんもさぞ困ったことでしょう。
周囲には理解されなかったものの、茶目っ気とユーモアのセンスが抜群だったことは確かですね。
小金井市にある本物の自宅の詳細は不明ですが、安野さんの死後は奥さんや子供たち、親戚の誰かが管理しているのかもしれません。
ただ長年暮らしていた古い家のため、売却を検討している可能性もありますね。
安野さんの思い出が詰まった自宅が、なるべく長く保存されることを願います。
安野光雅は若い頃、美術教師だった
安野さんは若い頃、絵描きとは異なる仕事をしていました。
山口師範学校(現在の山口大学教育学部)を修了すると、上京して美術教師になります。
10年ほど三鷹市立第五小学校や明星学園などで教師を務めていました。
教師の傍ら、玉川学園出版部で本の装幀やイラストなども担当。
テキスト「にっぽんご」シリーズの装幀がとくに有名な仕事です。
安野光雅さん、たくさんの素晴らしい作品をのこしてくださいました。
わたしは『まよいみち』(福音館書店)が好きでした。
写真左は装丁をされた教科書『にっぽんご』『わかるさんすう』(むぎ書房) pic.twitter.com/yi7qJGPE6i
— オガワメイ (@m__ogawa) January 16, 2021
教師を辞めて本格的に絵描きとして独立したのが35歳のとき。
42歳にして絵本『ふしぎなえ』を出版し、絵本作家デビューを果たしました。
数学的なだまし絵で知られるエッシャーに影響を受け、実在不可能な図形「不可能図形」を巧みに使った世界を描き話題となります。
上野の森美術館でエッシャー展を見て、図録と安野光雅「ふしぎなえ」を購入 pic.twitter.com/ifDVqQIQOv
— そらみみ (@soramimipafy) June 20, 2018
40代でデビューという遅咲きの絵本作家でしたが、同作で世界的に高く評価され、一躍著名な絵描きとなったのです。
若い頃から教師の傍らデザイン系の仕事にも邁進し、絵描きに必要な素養を身に付け続けた努力の成果ですね。
安野さんはコツコツと作品作りに邁進できる、真面目な職人気質の偉大な絵本作家でした。
作者の死後もなお安野作品は、子供から大人まで新たなファンを獲得し、多くの人を楽しませてくれるに違いありません。
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