内海哲也の祖父も巨人軍!父と母は離婚、兄弟は自衛隊員&実家手伝い。家族まとめ

内海 哲也(うつみ てつや)さんは家族思いで優しい性格の持ち主と言われています。

両親が早くに離婚をしており、プロ入り後は大黒柱として仕送りを続けていました。

今回は内海哲也さんの祖父や両親、兄弟ら家族についてリサーチして行きましょう。

内海哲也の祖父は巨人軍の選手だった

まずは祖父が元巨人軍(ジャイアンツ)の選手だったという噂を見て行きます。

祖父の名前は内海五十雄(いそお)さんといい、生まれたのは大正3年(1914年)2月19日でした。

京都府の平安中学校時代には春夏連続で甲子園に出場してベスト4入りをする活躍を見せ、法政大学を経て1938年(24歳の時)に東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)へ入団。


経歴で「おや?」と思う方もいるでしょうが、戦前の甲子園は高校ではなく中学が出場する仕組みになっており、学校の種類や通う年数も現在とは大きく違ったことが伺えます。

東京巨人軍では内野手(主に一塁)として活動をしていたらしく、同期には「打撃の神様」で知られる川上哲治さんや「猛牛」と呼ばれるようになる千葉茂さんがいました。

五十雄さんの画像はありませんでしたが、今から80年近くも前なので仕方ないでしょうね。

巨人軍では背番号26をつけて2年間ほどプレーをして「20試合1安打」という通算成績で引退。

現役を引退した後の五十雄さんに関する足取りは明らかになっていませんが、内海哲也さんが10歳の時に亡くなったそうなので享年は78歳前後でしょう。

2003年オフにジャイアンツヘ入団した内海哲也さんが祖父のつけていた「背番号26」を受け継いだというのも、長い歴史を持つ球団ならではの粋な計らいと言えるエピソードですね。

内海哲也の両親は離婚済みで母は飲食店を経営

次は内海哲也さんの父親と母親について見て行きましょう。

詳しい時期は不明ですが両親は内海哲也さんが子供の頃に離婚をしていたそうなので、父親に関する発言やエピソード、人物に関する情報は見当たりませんでした。

母親の名前は広子さんといい、現在は京都府京田辺市で「お好み焼き内海」を経営。

お店は地元の方だけでなく遠方のジャイアンツファンも訪れるなど繁盛をしており、料理の腕前だけでなく内海親子の人柄の良さを伺うことができます。

母子家庭であったことから経済的にも苦しかったらしく、2000年のドラフト会議でオリックスから1位指名をされた時は親族から入団するように強く勧められたそうです。

それでも息子が決めた”入団拒否をして社会人入り”という判断を信じ、入団していれば1億はくだらない契約金を我慢して憧れのジャイアンツ入りを見守りました。

2003年にジャイアンツ入りを果たして夢を叶え、以後は家族の大黒柱として実家への仕送りを欠かさなかったらしく、その額は多い時では年俸の半分近くにまでのぼったそうです。

また、契約金で京都に2階建て5LDKの一軒家をプレゼントした孝行息子でもありました。

広子さんの「巨人でも西武でもなく内海哲也のファン」との言葉が全てを表しているでしょう。

内海哲也の弟たちは自衛隊員&実家の手伝い

最後に内海哲也さんの弟さん2人についてチェックしておきましょう。

内海家は3人兄弟で長男が内海哲也さん、次男と三男の名前や年齢は明らかになっていません。

以前に出演したテレビ番組で次男は自衛隊員ということが語られていましたが、一般人であることや職業的なこともあって詳しいことは公表されていませんでした。

三男は大学時代から実家の「お好み焼き内海」を手伝っている姿がファンに目撃されており、最近でも店に出ている様子が伝えられているので後を継ぐのかも知れませんね。

ファンの方によると三男は内海哲也さんと顔や体格が似ているとのことでしたが、三男も一般人として生活をしているのでプライベートに深く立ち入ることはやめておきましょう。

もっとも、母親が経営している店は公表済みで弟ということも隠していないので、今のコロナウイルスの感染拡大が終息した時に足を運んでみるのも良いかも知れませんね。


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