内海哲也の現在(2023)。西武移籍後は故障で引退覚悟?経歴&高校では不祥事で甲子園出場できず

内海 哲也(うつみ てつや)さんは巨人で活躍をした後に西武ライオンズへ移籍をしています。

開幕投手や長年の功績にも関わらず、人的補償で放出されたことは大きな話題になりました。

今回は内海哲也さんの現在や引退の可能性、今までの経歴などをチェックして行きましょう。

内海哲也の経歴が凄い

まずは内海哲也さんの輝かしい経歴を振り返って行きましょう。

2000年11月17日の「第36回ドラフト会議」でオリックス(当時)に1位指名されたものの固辞し、意中の球団である巨人へ進むべく社会人の東京ガスへ就職をしました。


事前に「巨人以外には行かない」と公言していたので他球団は指名することを避けましたが、あえて強行したオリックスの方針は今でも賛否が分かれるところです。

2003年11月19日の「第39回ドラフト会議」で自由獲得枠で念願の巨人へ入団し、元巨人で内野手をしていた祖父の五十雄(いそお)さんが付けていた背番号「26」を受け継ぎました。

入団1年目の2004年は2軍で9勝と最優秀防御率を獲得しただけでなく、1軍で3試合に登板して14イニングで13個もの奪三振を記録するなど順調なスタートを切ります。

2007年は初の開幕投手(対横浜ベイスターズ)を務め、投球内容でも抜群のキレをみせてリーグ2位となる14勝を挙げ、さらに180個の奪三振で「最多奪三振 」のタイトルを獲得。

2011年には自身最多となる18勝を挙げで最多勝のタイトルに輝き、翌年も8連勝を含む15勝を挙げて2年連続の最多勝を記録するなど名実ともに”巨人のエース”に成長しました。

しかし、2014年以降は味方の打撃不振や怪我を繰り返すようになって成績が低迷し、巨人時代の最後5年間は35勝28敗とチームに貢献することができずに苦しむ日々を送ります。

2018年オフにFAで移籍した来た炭谷銀仁朗選手の人的補償として西武ライオンズへ移籍となり、小さい頃からの憧れだった巨人のユニフォームに別れを告げて新天地へ旅立ちました。

球団が長年の功労者をプロテクトから外したことにファンから批判の声が多く上がりましたが、結果が全てであるプロの世界では避けて通れない道と言えるのかも知れません。

ただ、西武から必要と求められたことは野球選手として誇るべき点と言えるでしょう。

内海哲也は高校時代に甲子園に行けなかった

次は意外にも内海哲也さんが甲子園に出場していなかった件を見て行きます。

内海哲也さんは福井県の名門「敦賀気比高校」の野球部へ進んで早くから活躍し、高校野球ファンや関係者たちから「北陸のドクターK」という異名を付けられていました。

同級生には後に中日入りをした仲澤忠厚さんや巨人入りをした李 景一(り けいいち)さんが居ましたが、意外なことにこの世代は甲子園に出場することができなかったのです。

1999年(高校2年)の秋季福井大会・北信越大会で同校は圧倒的な強さで優勝して翌年春のセンバツ出場を確実にしましたが、部員の不祥事によって部として甲子園出場の辞退を決断。

最後の夏の大会は決勝戦で福井商業高校と延長10回の激戦を繰り広げた末に2-3で敗れてしまい、世代屈指の名投手と言われながらも甲子園のマウンドに立つことは叶いませんでした。

それでも高校生離れをした内海哲也さんの投球はプロのスカウトたちから高く評価されており、事前に”巨人志望”を宣言しなければならなかったことからも人気の高さが伺えます。

また、バッテリーを組んだ李景一さんは2000年のドラフトで巨人から8位指名をされていますが、これは後に内海哲也さんを入団させるための作戦だったとも言われていました。

それらを見ても、今も昔もドラフトは喜怒哀楽が混ざり合った人間ドラマの場と言えます。

現在の内海哲也は引退の危機を乗り越えて復活

最後に現在の内海哲也さんについてチェックしておきましょう。

長年、巨人やセ・リーグのエースとして活躍をして来ましたが、2018年オフにFA移籍をしてきた炭谷銀仁朗選手の人的補償として西武ライオンズへ入団することになりました。

西武1年目の2019年は左前腕の故障などもあってプロ生活で初となる一軍未登板を経験し、渡辺久信ゼネラルマネジャーから呼び出された際には「クビや引退」も覚悟したそうです。

ところが、渡辺GMから「来年こそよろしく頼む」と声を掛けてもらったそうですが、この発言によって内海哲也さんも”西武で一花咲かせよう”と改めて決意したのかも知れません。

現役続行が決まった2019年オフに”左前腕の筋腱修復手術”を行い、二軍での長いリハビリや調整を経て2020年8月22日に移籍後初となる一軍昇格と2年ぶりの先発登板を飾りました。

そして同年9月2日、千葉ロッテ戦に先発をして5回を”2安打6奪三振無失点”という好投をみせ、巨人時代の2018年8月21日(対DeNA戦)以来となる743日ぶりとなる大きな1勝を挙げます。

もちろん全盛期に比べれば球速や球威は衰えていますが、長年の経験で培った投球術は若い投手が多い西武で「生きる教科書」として貴重な存在なのかも知れませんね。

しかしながら、本人は指導者ではなく現役選手としてバリバリやって行く気持ちを強く持っているので、まだまだベテランらしい巧みな投球でファンを楽しませてくれることでしょう。


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