阿部 慎之助(あべ しんのすけ)さんは球界を代表する捕手として余りに有名です。
実は父親も野球経験者でポジションや出身大学が同じという共通点がありました。
今回は阿部さんの父や中央大学を中退した噂など学歴について見て行きましょう。
阿部慎之助のプロフィール
#阿部慎之助 2軍監督、全マッチョ化指令 筋肉増えてなければ3軍 https://t.co/I8qGgFvAJc #巨人 #ジャイアンツ #読売ジャイアンツ pic.twitter.com/dqAP29M2ac
— スポーツ報知 巨人取材班 (@hochi_giants) December 13, 2020
本名:阿部 慎之助 (あべ しんのすけ)
身長:180cm
出身地:千葉県浦安市
生年月日:1979年3月20日
所属球団:読売ジャイアンツ(2001~2019) ※選手歴
阿部慎之助の父親は掛布を押さえて4番を打っていた
まずは阿部慎之助さんの先輩であり師でもある父親について見て行きましょう。
父親の名前は阿部 東司(あべ とうじ)さんといい、生年月日は1955年(昭和30年)6月7日です。
東司さんは慎之助さんと同じ捕手として野球を経験しており、習志野高校の野球部では後のミスター・タイガースとして名を馳せる掛布雅之さんと同級生でした。
日刊スポーツ毎日連載「野球の国から高校野球編」。9月3日付からはミスタータイガース掛布雅之さんがスタート。ライバル江川と高校時代の縁、とは。読ませます。ぜひ新聞で。【当番T】#高校野球 #阪神タイガース pic.twitter.com/YUjGXvr1Sx
— 日刊スポーツ新聞社東京本社編集局 (@nikkan_tokyo) September 2, 2017
ミスター・タイガースと同じ野球部だったことでも十分凄いのですが、なんと東司さんは掛布さんの後ろで4番を打つという素晴らしい経歴を持っているそうです。
とは言っても大きな大会では掛布さんが4番を務めることが多かったそうなので、その時の対戦相手や試合内容によって打順が入れ替わっていたのかもしれません。
東司さんはプロ野球へ進まず実業団野球の「電電東京(現:NTT東日本)」に進み、そこで野球人生を終えているのでプロ野球選手としての経歴はありませんでした。
また、少年時代の慎之助さんにとって掛布さんの存在は大きかったらしく、小学低学年の時に同じ右投げ左打ちに変えたのも右目を悪くしたことや憧れだったそうです。
ちなみに、その後の東司さんは浦安市で東(あずま)建設株式会社を経営する実業家に転身。
ジャイアンツの阿部慎之助選手のパパ。東司パパ伊江島の家まで来てくれたよー♩
トレーナーのお話沢山聞かせてくれてありがとうございました☺️✨
はやくアンダーアーマーのトレーニング施設行きたーい🏋️♀️🏋️♀️🏋️♀️ pic.twitter.com/kSJ3H8WdhN— Seika 名城 星香 (@StellaTraininng) January 1, 2018
結果としてプロ野球選手になることはできませんでしたが、球史に残る息子を育てた父親や多くの従業員の生活を守る経営者として素晴らしい人生を歩んでいる様子でした。
阿部慎之助は中央大学を中退していた
次は阿部慎之助さんが大学を中退したという噂を見て行きます。
阿部さんは父親の東司さんの母校でもある中央大学(商学部)へ進み、4年次に行なわれたドラフト会議(2000年11月)で読売ジャイアンツを逆指名して1位で入団しました。
【あの日、あの時。⑥】
中スポ創部以来、中大から数多くのプロ野球選手が誕生した。そのうちドラフト1位指名を受けたのは阿部慎之助氏、澤村拓一氏、鍬原拓也氏(いずれも読売ジャイアンツ)の3選手。今年新たな歴史は刻まれるか。運命の日は11月5日だ。#コロナに負けるな#大学スポーツが好きだ pic.twitter.com/8a3UOefMPI— 「中大スポーツ」新聞部 (@chuosports) May 4, 2020
通常であればこのまま大学を卒業してプロ野球界入りというスケジュールになりますが、阿部さんは単位がまったく足らなかったことで留年が確定したことで退学をしています。
マスコミも気を使ったのか中退の情報はあまり報じられていないので、通っていた中央大学を卒業したと思い込んでいるファンの方は少なくないのも当然かもしれませんね。
もっとも、スポーツ推薦による入学であれば事情が違う場合もあるそうですが、いずれにしてもスポーツと学業の両立がいかに難しいかを表すようなエピソードでした。
高校や中学時代の阿部慎之助は平凡だった?
ここでは大学以前の中学や高校時代の阿部慎之助さんについて見て行きましょう。
中学は地元の浦安市立浦安中学校へ進んで野球部員として活動をしていましたが、捕手と三塁を兼任するぐらいで特に目立つような選手では無かったと言われています。
高校も本命だった都内の私立高校の受験に失敗してしまい、たまたま二次募集があった墨田区の安田学園高校を受験して入学したというドタバタ劇を演じていました。
阿部さんは甲子園に出場することは叶いませんでしたが、後輩たちが2013年の「第85回選抜高校野球大会」に出場を決めた際には同校のOBとして名前が紹介されています。
高校3年生の時には関係者からバッティングやフィールディング、地肩の強さが高く評価されていましたが、入学した当時は地味で真面目なタイプという平凡な少年でした。
安田学園高校は当時からウェイトトレーニングを重視する方針だったこともあり、阿部さんも筋力が増したことで場外ホームランを連発するまでに成長したそうです。
元々、バッティングの柔らかさやセンスが高く評価されていましたが、トレーナーを付けた週4日のウェイトトレーニングによって”鬼に金棒”と言える状態になりました。
飛距離の凄さから練習では竹製のバットを使ったという伝説も残しています。
本命校の受験に失敗したことで安田学園高校に進むことになりましたが、野球選手として見れば失敗によって最良の高校へ進学できたと言えるのは何とも面白い話ですね。
仮に選手層の厚い名門校に進んだとしたら、後の阿部さんは存在しなかったのかもしれません。
阿部慎之助が浦安市民栄誉賞を受賞
最後に阿部慎之助さんが浦安市の市民栄誉賞を受賞したニュースに触れておきます。
浦安市は2020年1月27日、阿部さんが市民に夢や希望を与えたとして市として初の「市民栄誉賞」を贈ることを決め、同日の授賞式には約200人もの市民が応援に駆け付けました。
阿部慎之助さんに市民栄誉賞を授与(令和2年1月27日)|浦安市公式サイト
市民栄誉賞授与式が行われ、あっさり君もお祝いに駆けつけてくれました!
阿部監督のますますのご活躍をお祈りいたします!#urayasu #浦安市 #読売ジャイアンツ https://t.co/CHXhRMm8Jj pic.twitter.com/a9fQ0MxAmN— 千葉県浦安市 (@urayasu_koho) January 27, 2020
阿部さん以上に目を引くマスコットキャラクターの”あっさり君”ですが、地元の名産品だったアサリをモチーフにした個性的な姿は見る人を何とも言えない気持ちにしてくれます。
野球関連では浦安市少年野球連盟が主催する大会に特別協賛して「阿部慎之助杯」の開催や、現役時代からゲストを招いて少年野球教室を催すなど積極的に活動をしていました。
また、浦安市に対してふるさと納税制度を活用した有名人第1号として500万円を納税しており、累計での寄付金額は1,000万円以上にも上ると大きく報道されています。
最初の「ふるさと納税制度」利用者だったお返しとして初の市民栄誉賞を贈った可能性もありますが、どちらにしろ出身地である浦安市への貢献度合いは変わりません。
ちなみに、同市出身の有名人は歌手の華原朋美さんやサッカーの玉田圭司さんなどがいます。
関連記事
阿部慎之助の嫁は元モデル。子供は3人&息子は野球。家族との逸話&今は育成で評価
阿部慎之助の引退理由は怪我や首痛?原辰徳との逸話、監督としての凄さとは
阿部慎之助は阪神ファンで入団希望。性格はリーダー向き?年俸推移や愛車、腕時計をチェック
内海哲也、現在は引退してコーチ。経歴まとめ&高校で甲子園出場できず
コメント