夏目雅子の兄は実業家、弟がプロゴルファー。姪が宝塚、家族も癌、実家は裕福だった

病により早逝し伝説となった夏目雅子(なつめまさこ)さん。

もし健在であれば今の芸能界は全く違ったものとなっていた事でしょう。

夏目雅子の兄は実業家

白血病により27歳の若さで亡くなった女優の夏目雅子さん。

今では「伝説の女優」と称される事も少なくありません。

小学3年生の時に見たドラマに影響され女優を志すも母親が猛反対した事で断念。

まだ幼かった事から親の反対を押し切ってまで女優を目指す事は出来なかったのでしょう。

ですが、17歳の時に見た映画に衝撃を受けて女優への思いが再燃。

そして短大入学直後の1976年に父親の知人の伝手によりタオルメーカーのCMに出演。


CMに出演した事で女優として活動する決心をしたのでしょう。

通っていた短大が芸能活動に厳しかったこともあり退学。

自ら退路を断って本格的に芸能界へ進出する事となります。

ただ、ルックスが良いだけで活躍できるほど女優は簡単な仕事ではありません。

夏目雅子さんはオーディションで選ばれ出演したドラマ「愛が見えますか…」でNGを連発。

あまりにも拙い演技で「お嬢さん芸」と言われ、57回も続けてNGを出した事も。

そのため関係者の間では降板も検討されていたんだとか。

それでも女優デビュー作という事からプロデューサーの強い意向で続投が決定。

ただ、スタッフの自宅で合宿を行い、演技指導を受ける事が条件とされたそうです。

そんな厳しい撮影を乗り越えた事で女優として一皮むけた夏目雅子さん。

翌年にはカネボウのキャンペーンガールに抜擢され、連続ドラマへの出演や映画にも初出演するなどブレイク。

そして1978年にドラマ「西遊記」で三蔵法師を演じた事で女優としての地位を確固たるものに。

女優としての地位が上がるにつれて課題だった演技力も目を見張るほどに向上。

1982年の「鬼龍院花子の生涯」では日本アカデミー賞優秀主演女優賞、ブルーリボン賞の主演女優賞を受賞。

ブルーリボン賞の授賞式では「これからもお嬢さん芸でがんばりたい」と過去の批判を交えたユーモラスなスピーチ。

本当にお嬢さん芸のままだったらこんなスピーチをする事は出来なかったはず。

「過去の自分とは違う」という自信と余裕を感じますよね。

そして1984年には不倫の末、作家の伊集院静さんと結婚。

公私に渡って充実した日々を過ごしていたと誰もが思った事でしょう。

ところが1985年2月に急性骨髄性白血病を発症。

伊集院静さんの献身的な看病と治療のおかげで退院も噂されるまでに回復。

そんな矢先の8月下旬に抗がん剤の副作用と思われる肺炎を併発。

そして9月11日に27歳という若さでこの世を去ってしまいました。

闘病中は抗がん剤の副作用で毛が抜ける事を恐れていたという夏目雅子さん。

そのため当初、副作用の弱い抗がん剤を使用していた事が早期の死に繋がってしまったとも言われています。

この事を後悔した母の思いから設立された「夏目雅子ひまわり基金」。

癌患者にかつらを無料で貸し出しや、ドナーカード、骨髄移植の啓蒙活動などその活動は多岐に渡っています。

現在、夏目雅子ひまわり基金の理事長を務めるのが実の兄である小達一雄さん。

小達一雄さんは実業家で音楽や映像等、様々な事業を行うスイート・ベイジル株式会社の元会長。

医療用かつらの開発、販売を行うヘキサ・プロセス株式会社で社長を務めた事もありました。

実業家という経歴に加えて端正な顔立ちの小達一雄さん。

非常にモテモテだったようで、女癖にはやや難があったようです。

最初の妻に関する情報は見つかりませんでしたが、子供が生まれた事で2度目の結婚。

そして不倫が原因で離婚し、その後、不倫相手と3度目の結婚をしています。

3度も結婚しているのも驚きですが、もっと驚きなのが3度目の結婚相手が女優の田中好子さんということ。

夏目雅子さんとは親友関係だったそうなので、夏目雅子さんが縁となり結婚する事になったのでしょう。

ただ、田中好子さんも2011年に癌で亡くなっています。

妹だけでなく妻をも癌で亡くした小達一雄さん。

なんだか偶然ではなく因果めいたものすら感じてしまいます。

夏目雅子は弟がプロゴルファーへ後押し

実業家の兄の他に弟が1人いる夏目雅子さん。

弟の小達敏昭さんは知る人ぞ知るプロゴルファーだったんです。

10歳の時にゴルフを始め、中学生の時には全日本ジュニアのタイトルを獲得。

高校でも関東ジュニアのタイトルを獲得するなど将来が有望なゴルファーでした。

ですが、両親が望んだのはプロゴルファーではなく会社員。

きっと夢を追うよりも堅実な道を歩んで欲しいと思っていたのでしょう。

そんな時、背中を押してくれたのが夏目雅子さん。

小達敏昭さんにプロゴルファーになる事を勧めたそうです。

当時の夏目雅子さんは急性骨髄性白血病と闘病中。

そのため「自分の代わりに夢を追い続けて欲しい」という願いも込められていたのかもしれません。

そんな姉の思いに応えるべく小達敏昭さんは名門として知られる日本大学のゴルフ部へ。

大学でも数々のタイトルを獲得し、1991年にプロに転向。

そしてプロでもツアーで2勝を挙げる活躍を見せました。

ですが、既に競技生活を引退したようで、2004年に設立した「小達敏昭 銀座ゴルフクリニック」で指導者として活躍中。

また、南青山のヒーリングサロンをプロデュースするなど多岐に渡る活躍を見せています。

姪が宝塚に入団して話題

1984年に伊集院静さんと結婚した夏目雅子さん。

不倫中に何度か子供を身ごもったそうですが、婚姻していなかった事もあり堕胎していたんだとか。

そして結婚後は翌年に白血病となった事もあり子供には恵まれず。

そのため夏目雅子さんには子供はいませんでした。

一方、兄の小達一雄さんと弟の小達敏昭さんには娘が一人ずつ。

そのうち小達敏昭さんの娘、小達はるなさんは「風間柚乃」の芸名で活躍するタカラジェンヌなんです。

母の影響で宝塚ファンになったという風間柚乃さん。

小学生の時から「芸能界ではなく宝塚に進みたい」と思っていたんだとか。

ただ、両親とすれば「親の七光り」ならぬ「伯母の七光り」と言われる事を懸念していたはず。

それでも夢に向かってひたむきな姿を見て反対する事は無かったそうです。

そして2012年に宝塚音楽学校に入学し、2014年に宝塚歌劇団に入団。

100期生という記念すべき団員であること、そして夏目雅子さんの姪という事で大きな話題となりました。

宝塚歌劇団に入団後は新人公演で幾度も主演を務め、本公演でも準主役級に大抜擢。

伯母譲りのスター性で将来の男役トップ候補として注目を集め続けています。

ちなみに小達一雄さんの娘、楯真由子さんは「Mayuli」という芸名で芸能界で活動中。

叔母である夏目雅子さんが出演する映画を見て女優を志すようになったそうです。

小学4年生だった1997年にオーディションに合格して以降、子役として活躍。

その後も演技力を武器に様々な作品に出演するなど将来を嘱望されていました。

ところが「夏目雅子の姪」というプレッシャーに押しつぶされパーソナリティ障害を発症。

そして一時、芸能界から遠ざかるもその後、芸能界に復帰。

今は「表現よろず屋さん」を自称し、女優だけでなく歌手や声優などマルチに活躍しています。

夏目雅子の家族も癌で亡くなっていた

急性骨髄性白血病でこの世を去った夏目雅子さん。

実は父親の小達宗一さんも癌で亡くなっているんです。

小達宗一さんが罹患したのはスキルス性胃癌。

1979年に発症し摘出手術を行うも、その翌年に47歳という若さで死去。

当時は夏目雅子さんが女優としての評価が高まり始めた頃。

父親としても一ファンとしても今後の活躍を楽しみにしていたはず。

そんな時期に癌で亡くなるなんて。

きっと「死んでも死にきれない」という思いだった事でしょう。

共に若くして癌で亡くなった小達宗一さんと夏目雅子さん。

恐らく癌になりやすい家系だったのでしょう。

残された家族には定期健診を心掛けるなど十分気を付けて欲しいもの。

きっと夏目雅子さんも家族の健康を心から願っているはずです。

実家は非常に裕福だった

かつて未熟な演技力から「お嬢さん芸」と揶揄された夏目雅子さん。

ですが、生まれ育った家庭は本当にお嬢様だったんです。

元々は港区麻布で雑貨商を営んでいた父、小達宗一さん。

ですが東京オリンピック開催のため都市が整備された事を機に店をビルにして貸しビル業に転業。

するとこれが大成功となり、高輪や山手など高級住宅街を移り住むように。

更に千葉県の館山市には別荘まであったそうです。

夏目雅子さんがお嬢様学校として知られる東京女学館に通ったのも、弟がゴルフを始めたのもきっと実家が裕福だったから。


また、兄が実業家として成功したのも父親の血を色濃く引いていたからなのかもしれません。

容姿や女優としての才能だけでなく家庭環境にも恵まれていた夏目雅子さん。

「伝説」として今も語りつがれる理由も分かる気がしますよね。

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