横溝正史の家と生い立ち、家族について。成城の豪邸と子供の今

『悪魔の手毬唄』などで知られる推理小説家の横溝正史(よこみぞ せいし)。

作品は人気ですが、本人の家や生い立ち、家族情報を知る人は少なそうなので、詳しく見ていきましょう。

成城暮らしだったという情報と、子供についてもご紹介していきます。

横溝正史のプロフィール

本名:横溝正史(よこみぞ まさし)

生年月日:1902年5月24日

死没:1981年12月28日

身長:164cm

出身地:兵庫県神戸市

最終学歴:大阪薬学専門学校(現在の大阪大学薬学部)

横溝正史の家と生い立ち

まずは横溝の家と生い立ちについて見ていきましょう。

兵庫県神戸市の東川崎町に生まれた横溝。

実家は春秋堂という薬屋で、薬剤師の免許を取った彼は一時期家業を継いでいます。


生家はJR神戸駅から西南方面に向かった先にあったようですが、現在は跡地です。

ただ横溝が1945年から3年間、疎開先として過ごした家が、倉敷市真備町岡田1546に現存しています。

親族がこの付近にいたため、そのツテを頼って転居しました。

無料で見学できるので、多くのファンが今でも訪れているようです。

ウォーキングコースには金田一シリーズのキャラクターの像が建っているので、楽しみながら散策できます。

横溝の生い立ちはかなり複雑でした。

4人兄弟の3番目として生まれましたが、父の宜一郎には先妻との間に歌名雄という息子がおり、彼は横溝の異母兄にあたります。

5歳で実母の波摩を亡くし、翌年には継母がやって来て、腹違いの弟と妹が3人生まれました。

複雑で兄弟の多い家庭ということもあって、家族を支えるためか18歳で銀行員となっています。

しかし異母兄の歌名雄が早世したことで、横溝は薬剤師の免許を取得後に家業を継ぎました。

19歳で『新青年』という雑誌で『恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)』が懸賞入選し作家デビュー。

しばらく後に、江戸川乱歩に認められ上京しているので、家業を継いだ時期も短かったことがわかります。

「乱歩がちょっかいを出さなければ、私はしがない薬局の主人だったはず。だが乱歩はしつこかった」と当時を振り返っていました。

幼い頃から好きだった推理小説の道へ進めるきっかけをつかんだ時は、喜んで家を飛び出すことにしたのでしょう。

複雑な生い立ちは、『犬神家の一族』を始めとした家庭内の争いを描いた作品に、大きな影響を与えたのかもしれません。

横溝正史の家族

横溝の家族情報をより詳しく見ていきます。

先述の通り、父、実母、実母の死後は継母の元で育った横溝。

腹違いを含み6人の兄妹がいて、おそらくあまり居心地の良い家庭ではなかったのでしょう。

1927年に結婚後は、妻の孝子との間に一男二女をもうけました。

複雑な家庭で育ちながら、おおらかな性格だった横溝は、父のように何度も結婚を重ねず孝子と生涯を共にしています。

その分、生い立ちへの不快感は、作品に書くことで浄化させていたのかもしれませんね。

横溝正史は成城暮らし、子供の今

続いて横溝が成城に暮らしていたという情報と、子供について詳しく見ていきます。

1948年に長男が早稲田大学に合格したことで、疎開先の岡山から東京へ戻ることになった横溝一家。

しかし戦後の住宅難で、家探しは難航することが予想されました。


そこへ横溝の知人で出版社に勤めている杉山市三郎が、成城の大邸宅を譲っても良いと持ち掛けます。

かなり高額だったと推測されますが、横溝はその邸宅を買い取り、一家で成城へ転居したということでした。

早稲田大学へ入った長男とは、音楽評論家の横溝亮一さんです。

東京新聞へ入社し文化面を担当したのち、音楽批評の道へ進みました。

足しげく訪れていたフィンランドからは、フィンランド獅子勲章騎士第1級章を授与されます。

2015年に亡くなりましたが、日本を代表する音楽評論家として名を残しました。

また娘については、長女の高松宜子さんと、次女の野本瑠美さんがいます。

2人は兄と共に、父を語るイベントに登壇したこともあります。

次女の野本さんは平安から鎌倉の和歌を研究する文学者です。

島根大学で準教授を務める傍ら、横溝の幻の長編とされた『雪割草』の出版記念会に出席するなど、父の偉業を後世に伝えています。


子供たちもみな知的好奇心にあふれた、インテリに成長したようですね。

複雑な家庭に育った分、自分の子供たちのことは大切に育てようと心掛けていたのかもしれません。

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