森村誠一の子供は娘!家族や妻とのエピソード。玉川学園に家。経歴まとめ&死因は肺炎

『人間の証明』などで知られる小説家の森村誠一(もりむら せいいち)さん。

今回は森村さんについて、子供と家族のことを詳しく見ていきます。

また、玉川学園に住んでいるという情報や経歴、死因となった病気についてもご紹介しましょう。

森村誠一のプロフィール

本名:森村誠一

生年月日:1933年1月2日

没年月日:2023年7月24日(90歳没)

出身地:埼玉県熊谷市

最終学歴:青山学院大学文学部英米文学科

森村誠一の子供は娘

そのため、森村さんに子供はいないと考える人もいたでしょう。

しかし実際には、娘さんの存在が明らかになっています。

訃報が流れた際、次女である繭子さんのコメントが報道されたのです。


その中で、職業が編集者という情報も明かされました。

作家である父親の影響で、編集者の仕事に興味を抱いたのかもしれませんね。

ちなみに、長女の情報は非公開。

次女がいるなら間違いなく長女もいるはずですが、詳しいことは不明です。

また、報道では子供の人数について詳しい情報が出ていません。

娘2人で全員かもしれませんし、三女や息子さんがいる可能性もあるでしょう。

父親を尊敬する娘

人間の命の尊厳をテーマに、50年以上も作家として走り続けた森村さん。

その姿を見てきた繭子さんは、父親について「尊敬すべき人」と語っていました。

確かに、50年以上も小説家の仕事を続けたのはすごいことです。

1作だけ出して次が書けない人、続いても数作で終わってしまう人など、継続できないケースは多くあるでしょう。

アイディアがたくさんあっても、人気が出ず売れなければ、続けるのは難しいはず。

しかし森村さんは、さまざまな課題をクリアしながら50年以上も書いたわけです。


繭子さんは編集者なので、そのすごさをより強く感じるのかもしれませんね。

娘の顔を忘れても優しい接し方は変わらず

晩年は認知症を患っていた森村さん。

繭子さんがお見舞いに行っても、娘とわからないことがあったそうです。

しかし、そんな状態でも繭子さんを気遣い、「疲れるからお帰り」と言ってくれたのだとか。

そんな様子を見た繭子さんは、父が誰に対しても優しいことを実感したそうです。

確かに、目の前の女性が誰かわからなくても気遣いができるなら、本当に優しい性格だったのでしょう。

そんな人柄も、尊敬できる長所のひとつなのかもしれません。

家族や妻とのエピソード

戦時中の貧しい暮らしを経験している森村さん。

繭子さんによれば、家族みんなで食事をするのが好きだったそうです。

家族に対して「貧しい思いをさせてはいけない」という強い思いを抱いている様子だったのだとか。

戦争による飢えを経験したからこそ、家族で食事をする日常がどんなに尊いものか、よくわかっていたのでしょうね。

そんな森村さんの妻・千鶴子さんは、リーガロイヤルホテルで重役を務める人物の姪。

就職難世代の森村さんはやむを得ず同ホテルにコネ入社しました。


その後は妻の手前、メンツを保つためにも努力をして、ホテルニューオータニに実力で転職しています。

ちなみに同じホテルだった頃の千鶴子さんは、仕事中に読書をしたり、詩を書いたりする森村さんを見かけていたそうです。

そのため「変わった人」という印象だったそうですが、森村さんから声をかけられて交際に発展。

経済面を心配した千鶴子さんの親族は結婚に反対でしたが、押し切って夫婦になったそうです。

初めて森村さんを見かけたときの千鶴子さんは、将来結婚するとは夢にも思わなかったでしょうね。

玉川学園に住んでいた

森村さんが玉川学園に住んでいたという情報を見ていきます。

東京都町田市にある玉川学園は、教育と文化による共同体を作ることをテーマにしたまちづくりで知られています。

遠藤周作や赤瀬川原平など、数多くの文化人が暮らしたことで有名な街です。

森村さんも30年以上玉川学園に住んでいました。

町田市民文学館では森村作品の原稿の展示イベントが開催されたこともあります。

森村誠一の経歴まとめ

かつては埼玉県熊谷市に住み、12歳の時に熊谷空襲を経験した森村さん。

反戦の精神はこの時期から備わっていました。


東日本大震災後に被災地を訪れた際は、空襲で家が全焼した後の様子が思い浮かんだといいます。

上京後、留年を経て大学を25歳で卒業した森村さん。

ホテルでサラリーマンとして勤めながらも、幼少期からの夢だった作家を目指し始めます。

『サラリーマン悪徳セミナー』を発表して作家デビュー後は、副業を認められず退職し、ビジネス講師になりました。

しかし作家としては一向に売れず、ある時知人からミステリーの執筆をすすめられます。

こうして書いた『高層の死角』で、江戸川乱歩賞を受賞し、一躍ミステリー作家として知られるようになりました。

『高層の死角』の舞台はホテルですので、やむを得ず働いていたホテルでの経験が思わぬ形で活かされたのです。

森村さんが「作家」というよりは、きちんとした紳士という印象があるのは、社会人経験があるからこそでしょう。

ミステリーで人々を楽しませ、反戦思想を積極的に発信する姿勢は、昭和1桁世代の鏡といえるかもしれません。

年齢を感じさせないほど旺盛だった執筆意欲と強い生命力は、戦争を生き延びた体験によって培われたといえるでしょう。

森村誠一の死因は肺炎

森村さんが亡くなったのは、2023年7月24日。

都内の病院にて、肺炎のため死去しています。


肺炎と聞くと苦しい症状を想像してしまいますが、奥さんによれば、眠るように静かに旅立ったのだとか。

訃報は悲しいものですが、あまり苦しまなかったなら、少しほっとしますね。

訃報で作品が話題に

訃報が流れると、多くのファンが続々と追悼メッセージを投稿。

これまで発表してきたさまざまな作品も、あちこちで話題になっていました。

若い頃に読んでしばらく離れていた人は、訃報を知って作品を読み返したのかもしれません。

まだ読んだことがない人も、手に取るきっかけとなった可能性がありますね。

亡くなってしまったのはとても残念ですが、森村さんが生み出した物語は、これからも多くの人を魅了することでしょう。

死去や死因は海外でも報道された

森村さんが亡くなったことは、アメリカや中国など、海外でも報道されています。

日本軍の人体実験を扱ったノンフィクション『悪魔の飽食』に言及したものが多かったようです。


そうした有名作品があったことで、注目する人も多かったのでしょう。

そういえば、中国の人気ホラー小説が日本で出版された際、森村作品の登場が話題になったこともありましたね。

知名度の高い『悪魔の飽食』がきっかけで他の作品も読み、ファンになった外国人は多いのかもしれません。

そんな人たちにとっても、森村さんの死去は悲しいニュースだったことでしょう。

年齢に驚きの声

訃報を知ったファンからの声には、90歳という年齢に驚いているものもありますね。

これには、近年も元気そうに活動していたことが影響しているのかもしれません。

一時期うつに悩まされたという森村さんですが、回復後は執筆活動を再開。


2020年代に入ってからも、「老い」をテーマにした本が話題になっていました。

こうした作品を読み続けていた人は、まだまだ元気に書き続けていると思っていたのではないでしょうか。

突然の訃報でもう新作が読めなくなったことを知り、衝撃を受けたファンは多いのでしょうね。

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